「ロヒンギャの子どもたちに明るい未来を!」在日ロヒンギャ、アウンティンさん講演
2019年2月6日、土浦南ロータリークラブと土浦ユネスコ協会が主催、茨城県かすみがうら市、千代田公民館で開催された「青少年のための講演会」へ。会場にはつくば国際大学東風高等学校の学生らが招かれ、在日ビルマ・ロヒンギャ協会のアウンティンさんが登壇。「ロヒンギャの子どもたちに明るい未来を!」をテーマに、故郷のミャンマーや避難先のバングラデシュでロヒンギャが置かれている深刻な状況を語った。
プロジェクターに映し紹介された写真も過激な描写のものは避けられており、アウンティンさんの若い学生たちへの気遣いも見られた。話す内容も彼なりに解かり易く言葉を選んだつもりだったのかもしれないが、途中で彼が感極まり、何度か嗚咽し涙に声を震わせる場面があった。今まで何度も彼の話や講演を聞いてきたが、普段は冷静で穏やかな彼があそこまで感情を高ぶらせて取り乱す姿を見るのは初めてだった。
1968年にミャンマー(ビルマ)西部ラカイン州マウンドーに生まれ、1988年に抑圧を続ける軍事政権に反対する政治運動に参加し逮捕されてしまう。何とか出獄したが命の危険を感じ世界各地を渡り、1992年に来日した。
現在彼は群馬県館林に住み、地域に溶け込み、日本国籍を取得して安定した生活を営んでいるが、過去に茨城県日立市に住み働いていたことがあるそう。かつて政治難民の知識がなかったことで牛久市の入管に収容された経験もあり、彼の涙は当時の苦労も理由のひとつなのかもしれない。
正直今回の講演は、地方で日常を送る高校生には難し過ぎる内容なのが見ていて明らかだった。高校生たちはただ茫然としていた。実際にミャンマーのラカイン州やバングラデシュで実際に何度もロヒンギャを訪ねている自分でさえも「近づくほど見えない」と痛感する難しい問題である。それでも多くの人の命が犠牲になってるので諦めてはいけない。
普段は解かり易い日本語で説明するアウンティンさんも今回は緊張もあったのか、言葉がカタコトになってしまい、まるで空回りをしていて切なかった。「ネウィン政権」や「(ミャンマーの)国籍法」、「国連による保護責任(R2P)」等を普通の高校生に伝えるのは難儀だ。それだけ自分たちのような状況を少しでも解かる者たちも積極的に発信していかなくてはいけないと強く感じた。在日ロヒンギャの人たちも当たり前に仕事をしながら家庭を支え、多忙な中で難民支援や講演会、マスコミ対応等も行っている。その陰で未だ日本で難民認定が認められず不安な日々を過ごす者も居る。
在日ビルマ・ロヒンギャ協会(BRAJ)が掲げている目標としては、「全てのロヒンギャに国籍と共にそのアイデンティティを取り戻すこと」「帰国する全ての難民がその元の移住地に戻ること」「事実調査ミッション、NGO団体、国際メディア、そして国連平和維持軍がアラカン(ラカイン)州に入ること」「マイノリティへの残虐行為やジェノサイド(虐殺)に関わった者たちをその犯罪について国際司法裁判所にかけること」等がある(協会の資料より抜粋)。さらにアウンティンさんはカチン族やカレン族など、ミャンマー内で迫害が続く他の少数民族についても救いの手を差し伸べるよう、最後は穏やかに締めくくった。
高校生たちも内容は全て理解できなくても、私たちが今生きるこの時代に、日本とも繋がりが強い身近な同じアジアの国で「人間が人間らしく生きる権利」を奪われて今日も苦しんでいる人たちが居る現実は伝わったのではないかと思う。彼らの数名が今回の講演を思い出してスマホやパソコンで問題を検索したり、自宅で家族に「今日こんな話を聞いたよ」と夕食の話題にしたりするだけでも小さな希望となるだろう。
アウンティンさんは「新畑さんが撮った高校生との集合写真をバングラデシュの私の学校の生徒に見せたい。子供たちの希望につながるから」と話してくれた。彼の私財や支援者のサポートにより2017年11月にクトゥパロン難民キャンプ内に設立された「アウンティン平和学校」は今まで小学生までしか受け入れられなかったが、避難生活の長期化が見込まれて現在は中学生も教えられる環境を整えている状況である。校舎の整備や教員の確保、教材の調達等、今後も支援者の支えは重要となる。「私に何か出来ることはないか?」と考えている人へ、そうした「支援者への支援」という手段があることも知って欲しい。
茨城は少し遠かったけど私も今回講演を聴けて良かった。アウンティンさんも、彼の奥さんとも電話で話してすごく喜んでくれた。今度美味しいビリヤニを作ってくれるそうだ。嬉しいな。
私はロヒンギャではないし、ムスリムでもない。しかし彼らに寄り添いたいと思うのは、ミャンマーやバングラデシュ、館林で出逢った彼らの多くが人間的な魅力に溢れてて、想像を絶する理不尽な状況に置かれているということ。そしてロヒンギャだけではなく、ラカインの大地で生きるラカイン族も紳士的で素敵な人たちが多く、彼らもある意味「被害者」であり、現地で口外できる状況ではないが「2012年以前の互いが共存できていた頃に戻りたい」、「外国人に知恵を分けて欲しい」とこっそり教えてくれる者も居る。これからも私なりの視点で、この地域の光と影を追い駆けていきたい。