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推し活を舐めるな
「今流行りの推し活ですか?」「K-POP流行ってますもんね!」
何度かブリーチしてキシキシになった髪の毛を、若い男性の美容師の手によって黒く染められていく。美容室の不安定な椅子に腰掛けた私は行き場のない指先を遊ばせるようにiPhoneの画面を叩きながら、何度も何度も聞いたこの言葉を右から左に流した。だからその、「推し活」ってなんだよ。「流行り」って何だよ。そんな遊びみたいな言葉で私の人生を侮辱するな。
街中に並ぶ可愛いキャラクターグッズのお店でトレーディングカードケースを手にとるフリルのバックを持つ女性たち。まるでアクセサリーのように煌めく私が知らない誰かの生写真を大事そうに手にしている。缶バッチが数えられないくらい着いたA3の大きすぎるバッグは、彼女らにとってどんなブランドにも代えられないのだろう。
世の中は便利になり過ぎてしまった。出会う運命ではない世界の人間と簡単に繋がり、話せることができてしまう。その世界は私が今生きている現代日本の枠を飛び越え、二次元と呼ばれるアニメの世界であったり、韓国や中国の芸能界など国外の世界など、多くの選択肢がある。今まで人の前に出ることがなかった職業の人や、クリエイター、友達ですらも推しの対象とされる。
そんな推し活ムーブが現代社会で渦巻いているが、私自身は生粋のオタクだ。推し活なんていう言葉が生まれる前から、アイドルやアニメ、その他エンターテイメントが大好きだった。福山雅治と同い年の母は、福山がデビュー初期からの大ファンである。そんな家庭で育った私は音楽番組やライブ映像などを休日に見ることは習慣的であり、幼稚園の頃から暇さえあればテレビで音楽番組をつけて踊り狂っていた。
そんな私の推しは、K-POPアイドルの一人だ。
高校生の時に韓国の音楽番組を見ていた時に出会った推しは、私の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。大手事務所の所属でもなく、番組で一位になった回数は片手に収まるような、日本では知名度もほとんどないグループだったが、それでも私はどんなグループより一番大好きだった。どこが好きかといえば、言語化するのは正直難しい。それでも出会った最初に感じた「応援したい」という感情は6年経った今でも変わらないどころか、強くなり続けている。
「応援したい」という感情には、終わりがない。
アイドルとしての成功を応援したい、彼の幸せを応援したい、人によって抱く気持ちはそれぞれであろう。応援したい人々というのはとても複雑だ。「応援したい」気持ちは一緒なのに、ベクトルが全く違う。
「アイドルとしての成功は嬉しいけど、俳優としてはあんまり・・・」
「個人の業績より、グループ活動に専念してほしい」
「曲作りもいいけど、メディア展開やコンサートの展望はあるの?」
そんなファンの声が何十にも重なり、一人一人の声など聞こえなくなる。
じゃあ私が応援することに何の意味があるのだろうか。
昔は認知されて、推しに会うたびに仲良くなれたらなんて夢見ていた。
しかし現実はそんなに甘くなかった。汗水垂らして働いたアルバイトのお金を全部使って、カードの支払いが追いつくかギリギリのところで残高と睨めっこ。そのお金を使って入ったライブではガタイのいい本国ガッツが、白い大砲みたいなカメラを持って気が狂ったみたいにシャッターを切っている。後ろを見れば可愛く縁取られた名前のボードの隙間からスマホを忍び込ませて盗撮する犯罪者。特典会に並んでいる列で聞こえてくるコソコソ話が耳障りでメンバーの声が聞こえない。会場から出るときは帽子を深く被っていないとSNSで晒されるような世界。
世の中が謳っている推し活なんて、蓋を開けてみたらこんなんだ。
夢見ていた認知も、オキニも、手に入ったところでこんなどろどろに濁った場所にいなくてはいけないし、幸せなのかも分からなくなっていた。
それでも私は、一番近くで応援したかった。
「その流行り、っていうのやめてもらえませんか」
美容師は一瞬動きを止めた。しかしすぐに髪の毛に目線を戻し、作業に戻ってしまう。
「すみません、僕、その辺のこと詳しくなくて。よかったら教えてもらえませんか。」
美容師さんの気持ち程度申し訳なさそうな返事を無視して、窓の外を見た。そこには趣味感覚で推し活を楽しんでいる少女たちが歩いている。宝物みたいに、キャラクターがプリントされただけのアクリル板を空に掲げて、写真を撮っていた。キラキラしているそんな青春の1ページに、かつての自分を比べて勝手にため息をついた。
推し活の終わりはいつですか?
世間の推し活ムーブが早く終わってほしいとすら思ってしまう自分の心の狭さに絶望します。