314.自分の価値を測る物差しの使い方。
2021/06/27
人と関わっていく上で比べたがりの僕たち人間は、自分の物差しを相手に当てはめて、その人の価値や物事においての基準をどうしても測ってしまう。例えば、数字で表せるものは特に比較がしやすいからその対象になってしまう。
他にも、相手自身に自分の物差しを当てはめて価値観を測ってしまう。もちろん僕もしたことがあるがそれをすることによっていい経験はない。当てはめることによって、上下がついてしまい、上だと分かればそこで満足してしまい、下だと分かれば嫉妬が生まれたからだ。
まず、自分の物差しの基準は相手の基準と違うことを理解しなければならない。長さの単位のcm,m,kmのように共通の基準があるわけではない。そもそも形も単位もないから比べることすらできない。だから、比べたところでその人の考え方の基準、価値観を測ることができないし、ましてや優劣なんかつけることができない。
それなら自分の物差しは必要ないかと言われればそうではないと思う。自分の考え方の基準、価値観は軸として持っておくべき。自分の選択の意思決定のために。僕たちの物差しの使い方は他の人の何かを測るためにあるのではなく、他の人たちの物差しを理解して、自分だけの物差しの形を作っていくものだ。
自分の物差しを相手に当てはめて理解をしだした瞬間から、自分の陳腐化が始まる。陳腐化が始まれば、この先現れる測りきれない物事に対処することができなくなる。
僕は基準の全ては外部にあると考えている。僕自身の中でこれが一番だと思っていたものは、外部の基準では一番ではない。その基準を元にまた形が変わっていく。常に自分の物差しの形は変わっていく。変わっていく必要がある。
物差しの形を変えるのは容易ではないと思う。
プライドを捨て、相手を認めたりする。自分の中で大切なものを常に変え続けなければならないからだ。自分が理解できなかったことを理解しようとするのはとても疲れる。全てを理解しなくてもいい。自分が少しでも心動くものがあるのであれば、少し感情移入をしてみるといい。毎日変え続けなければいけないわけではなくて、常に新しいものと比較して、日々見直していけばいい。
何を信じればいいのか分からなくなったら、時には周りの人の物差しを借りればいい。もし、周りの人で困っている人がいれば自分の物差しを貸してあげればいい。
物差しは測るものだけど、測り方と使い方を間違えてはいけない。