真面目と不真面目
随分と前の話だけど、TVでまだ毎週時代劇が放送されていた時代、「水戸黄門」は人気の番組だったようだ。私の父も楽しみにしていて、放送していた時は毎週見ていた。
番組名はマンネリの象徴のようにも使われていたけど、でも見てみると案外シーズン毎に工夫が有って、当時のドラマとしてよく出来ていたのではないかと思う。
プロデューサーは視聴者の声を丁寧に汲んで番組作りをしていたそうだ。それが人気の秘訣だったのだろう。
写真でもX(旧Twitter)に流れて来る写真はなんか、写真のコツをガッチリと掴みました! という写真を見かける事が時々あって、その写真を撮った人は多分真面目に写真を研究し、写真を見る人の為に、その人達に良いと思ってもらうために撮っているのだろうなと感じる事が有る。
そういう写真を撮られる方ってやっぱり、真面目なのだと思う。
でも、心の中心に不真面目が有る自分としては、そういう写真を見ているとだんだんいたたまれなくなってくる。きっちりとした規範の中で皆に喜ばれるものを作るというのはどうも、自分の肌に合わないみたいだ。
思い出してみれば、自分は子供の頃は何をしても親に叱られていた。それは水戸黄門大好きな、そのようにして受け取り手の為だけを思って真面目に作られた出力が大好きな親の目から見ると、不真面目な私の出力は何から何まで気に食わなかったのだろうと想像出来る。
今自分が撮る写真も多分、真面目な人の目から見ると不真面目なのだろう。
こうしてたまの夏に故人の事を思い出すのも、勉強になる。