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人の独り言に対する形を伴った不完全な返答
夕方に出かけたら、時刻が小学生の下校の時だったらしく、すれ違うかられの会話の断片が耳に入ってくる。
「そして、思い切って海に飛び込んでみたら・・・」と話している人がいたのだけど、続きはどうなるのだろう? 気になって仕方がない。
別に根拠はないのだけど、この手の聞き手にとっては一方通行のコミュニケーションとアートの間には、何かしらの関連があるような気がする。
人には自分自身の中で、誰にも伝わらない会話のようなことをしている時間が有ると思う。それは例えば、頭の中で死んだおばあちゃんに話しかけているような状態。
こういう時、無意識にもある種のサインに敏感になっている。 答えが得られないと分かっていても、語りかけに対して世界からはなにがしかの反応を期待しているのだと思う。
この人の無言の問いもしくは語りに対して、それを外から加速する方向に刺激を与えるものが、言葉で言えば詩なのかもしれない。
「人の独り言に対する形を伴った不完全な返答」 みたいな写真は、見ていると実際たまに有る。 そういう写真を見たかったり撮りたかったりする。
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