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観念したタツマキ事件H

 怒らせちゃったからの タツマキ事件H。
 
 数年前、体のケアを習っていて お互いの体で練習してた。
相手の〇〇に触れた瞬間
「固っ!」小さく口から出てしまった。せめる気はないし、つい言ってしまった。

 あくる日FB見て仰天した。記事がアップされていたの。スマホの3画面分にもなる メッチャ長文だった。

 書いてあったのは「私の体はそんなにイケてないの?」
泣きながら書いのかなって思ったよ。

 どうしようって。相手を傷つけた。そんな気なんてなかったのに。固いって思って、その時にはもう口から出ていたの。
それが相手に大きなダメージ与えるって思ってもみなかった。普通に練習会続けたし。

 次に会ったとき、謝った。ごめんねって。自分が人を傷つけたことが申し訳なくて。

 それから数年がたった。今なら、誤りたくても、謝らないを選びたい。怒ったのはその人の中に反応するところがあるから。



 人を評する言葉には注意深くなっている私。
 じゃあ逆に。気付かないフリをしてきた 自分の嫌だと思っていることを指摘されたら。自分がどんな生き方をして、迷い続けてきたことをズバズバ言われたら。

 私はどうする?どんな気がする?

 実際にそれは起きた。昨夜のタツマキ事件H。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛かった。内臓をつかみ出されて さらされているようだった。怖い。
 生きてきた時間をザクザクと刻むような歯に衣着せない「こんなことやって来たんですね」と言われた。
ただ止める気はなかった。
私、マゾなのか。
聞きたかったのだ。

 突発的セッションだから他の人もいた。なおさら恥ずかしい。「きつすぎる」と助け船を出してくれる人もいた。
こわくて逃げ出しそうになった。
なんとか反応しようとした。
どんな状態かとっくにお見通しで、次々に言い当てられた。
数年にわたって学び続けた,私に関するキーワードがポンポン出て来る。
見える人には見えるんだと、観念した。自分に意識を集めた。どうでもいいと何かをほおりだした。

 今までの私、焦りと不安と緊張と〇〇しなきゃの状態。それを見つけて原因を処理してきた。自分も起きる出来事も周りの人との関係性も変わってきた。もう十分じゃないかと思い出した。何がしたいのかわからなくなってきた。

 偶然のセッションは、テーブルに乗った変化をテーブルごと外にほおりだした。
どうも 変化そのものの次元が違う。そう思う。
 穏やかな青天。「考えるな感じろ」でこれからの時間を過ごす。まず数時間。さらにダウンロードする。

 昨夜の出来事を「タツマキ事件H」と呼ぶ。FBに「〇〇会は苦手だ」とあがっていた。反応しようと も一度記事を探すも見つからない。そうだった、そんな反応はお見通しの人。私の時間を始めよう。


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