見出し画像

石垣島のトムソーヤたち

台風が近づいてくる静かな夜に、急に懐かしい思い出が蘇ってきた。

石垣島、夜の離島桟橋で三線を使う老人に会った。彼は歌うだけなのだけれど、その周りに旅人が集まる。

沖縄の一番南には八重山諸島と呼ばれる場所があって、石垣島はその中心の島。沖縄本島にはもうなくなってしまった古い旅情を求めて、少し変わった長期の旅人が多く集まる。彼らは数週間、数ヶ月の旅の中で自分の居場所を作る。

老人の前に集まる旅人たちは、島唄を聞きにきているだけではなくて、その場所に流れている島の夜の風を浴びにきている。

私は二週間の旅の初日でその場所と出会い、何度もその場所で夜を過ごした。


三線使いの老人ともう一人、よく喋る地元の老人が毎夜毎夜やってくる。口数の少ない歌い手に変わって、彼は旅人たちにいろいろなことを教えてくれた。島の歴史、地元の人が行く飲食店、旅人でもできる短期のアルバイトなど。ガイドブックには載っていない生の情報に触れるたびに、私たちは旅の真ん中にいる気持ちを強く感じた。

彼は旅人たちと一通り話し終えると、どこかへ出かけて行って、1時間くらいすると戻ってくる。何をしているのか気になってはいたものの、島を渡っていく雲や流れ星を見ていると、細かいことはどうでも良いと思えてしまう。

ある日、言葉の少ない歌い手がつぶやくように教えてくれた。「公園に住んでる友達に食べ物を渡しに行ってるのさ。」

公園にはホームレスが住んでいる。世界で一番ではないかと思われる美しい自然の中にも人間の営みがあり、歴史があって影がある。観光客には見えないものを見ようとして旅人は島の夜の光を探す。


数年後、夜の石垣島に二人の姿はなかった。桟橋は、主人を失ったみたいに波の光の中で静かにしていた。

何日か旅を続けた後、夕方の730交差点で三線弾きの老人と出会った。何曲か聞いてから「数年前に」と話しかけた。「ああ、ああ覚えているよ、」思い出話、常連の旅人たちの話、近づいている台風の話の後に、よく喋るの老人の話になった。

「彼はもう亡くなったんじゃないかな。病院に出入りしていたからね。」
それ以上は聞いてはいけない気がして話は終わった。
公園にホームレスの姿はなかった。


それから何回も石垣島に行ったけれど、同じ場所に同じ人の姿はない。
幻想だったのではないかと思うくらい、同じ景色の中で人と歌だけがない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?