<< MemoriA アルバム "僕らはいつも海を渡った" >> ポピュラー音楽は不完全なものです。歌詞が全てでもないし、メロディーが全てでもないし、歌唱やアレンジが全てでもない。 不完全であるからこそ、完成することはない。 でも私たちは良い音楽を作りたいと考える。 MemoriA という名義で1つの音楽アルバムが作られました。 私は主に作詞と、録音関係の全般を担当。 全部で8曲ありますが、そのうち数曲がダウンロード再生できるようになる予定です。 その都度、歌詞と少し
熱は小さなところで温められる。細胞の中で生まれた新しい体温が、その隣の細胞を温めて行く。やがて身体全体に広がる。 春がもう始まっていることに、ほとんどの人は気がつかない。冬の終わりを待つことなく、私たちの身体のどこかで、新しい生命が生まれる。 その熱が固まりとなって私たちの感情を動かす時、それはもう始まりではなくて結果に近いものなのだ。
姿と形は違うものなんだろうな。 形は静止しているが、姿は立ち止まっていても動いている。 落葉した植物の姿、写真に映る人間の姿、そこには無言の意思があるように思う。 生きている植物は姿で、枯れてしまった枝は形だ。 その服は、その建築は、その絵は、その佇まいは、 形なのか姿なのか、考えている私たちの思想もまた姿であるのだろうな。
落ち葉をテーマに ワクワクする詩を書けと言う 無理難題だ 落ち葉の気持ちを理解するために 私は寒風吹き荒ぶ手賀沼の湖畔を歩いた 踏みしめる落ち葉がガサガサと泣く 空からは新しい落ち葉がザーッと 風の音を文字に変えて降り注ぐ 寒い、暗い、寂しい、どこにもワクワクなんて落ちてない どうして落ち葉は落ちるのだろうね 要らなくなって捨てられたからかなぁ 捨てられたものたちが渦を巻いて赤い絨毯になる その真ん中で私は凍える 帰ろう 帰って暖かい冬を作ろう 捨てられた落ち葉を燃
台風が近づいてくる静かな夜に、急に懐かしい思い出が蘇ってきた。 石垣島、夜の離島桟橋で三線を使う老人に会った。彼は歌うだけなのだけれど、その周りに旅人が集まる。 沖縄の一番南には八重山諸島と呼ばれる場所があって、石垣島はその中心の島。沖縄本島にはもうなくなってしまった古い旅情を求めて、少し変わった長期の旅人が多く集まる。彼らは数週間、数ヶ月の旅の中で自分の居場所を作る。 老人の前に集まる旅人たちは、島唄を聞きにきているだけではなくて、その場所に流れている島の夜の風を浴び
コンクリートに意思なんてあるわけないのに、 それを作った人には意思があるわけで、 私はコンクリートに話しかけて反射した言葉を聞いている。 何もかもが色褪せて行くと思う? 年を取るたびにわからなくなるな。 古くなって憧れは全部過去に繋がれる。 壊れかけたスピーカーから壊れかけた旋律が流れる。 工場の排煙の焦げ臭い匂いが誰かを安心させる。 不自然な味覚を競い合って盛り付けるレストラン。 都会は身体に悪いものばかりを集めて人を集める。 膨らんで弾けそうな駅のホームに満員列車が注
やさしい歌が書けない 世界はなんだか尖っていて 歩いているとつまづいてしまう 今こそ誰かの助けが必要なのに 蹴飛ばされてばかりだ あなたは なんのために生まれてきたのかと聞かれて 今答えられる答えがない 誰かが私の隣に座った 今日は何もしないことをしよう わたしは訳がわからなくなって泣いた 私たちはいつも 訳がわからないもののために生きるんだ 理由がぜんぜんないね 価値なんて考えたこともなかったね だってそれは 体温みたいなものだから 誰かをあたためることは
私たちは大切なものをいつまで大切にしておけるだろう 部屋が暗くなって映写機が回るように輪郭だけの過去が蘇る いつもどこかで切れるフィルム 思い出せない感情はなかったことになるのかな 世界はその価値を理解した人間のものだ 私は誰かのことを理解したことがあるのかな 手紙を書いた 写真を写した 月が満ちて欠けた ただそれだけのこと それだけが 私にとって素晴らしかったすべてのこと
あなたは私の求める何かを知っていて そして持っていたりもする 広すぎる世界に何を探そう 目の前のものでさえ見落としてしまうのに 白く細い指 何かを包むには小さすぎる手で 雲を掴むように触れた 確かなもの 何を編み出すのかはまだわからない 交差する声 呼応 草の香りと土の匂いに少しだけ似た 眠りを誘う声に委ねる 失うことは生み出すのものの多さに圧倒されるだろう 揮発する感情で満たされるくらいの小さな部屋で 忘れるべきものを忘れた 風が何かを飛ばしてゆく 海に沈んで藍色
その人からの手紙は、いつも、陽の光に包まれている。 どんなに暗い部屋の片隅で開いても、便箋には太陽の光が差しているのだ。 お元気でしょうか。(変わらずに健やかな心のままでしょうか。そうであればもう話すこともないのですが、あなたとの大切な時間を思い出したのでペンを持ちました。) 宝の箱がある。幼い頃から数えて何代目か忘れしまったけれど、古い木の箱の中に手紙と日記と思い出の品を仕舞う。誰にも見せることはないけれど、その箱のことは少し自慢したくなる。 自分だけの感情を誰のもの
水平線が好きなので、時々海を見に行く。真っ平らな線がこの世界の果てのように広がる。その向こうに見えない世界があるらしいことが希望であり絶望であり諦めであるから、今の自分を肯定できる気がする。飛び込んでしまっても良いし、そうしなくても良い。自分が生きていることを決めているのは自分自身だ。 海と陸は正反対のものなので、波打ち際は特別に不思議だ。地球の内側と外側の両方を見ている気がする。素足になってその真ん中に入ると大抵の思考は停止してしまう。 地球の自転と同じ速度の飛行機で、
どうしてもやりたいことに理由はないし どうしても行きたい場所に理由はないし どうしても会いたい人に理由はないし どうしても伝えたいことに理由はない 無意味であることが無意味ではなくなるとき 生まれるもののために生きている
一人で観たい映画と 誰かと観たい映画は違っていて 同じ記憶に残したい景色を並んで歩いた日 僕たちに何の矛盾もなかった 帰り道にケーキを買って 同じ部屋に戻る 色々なものが流行し それを真似しているだけで 世界を理解したような気持ちになって 僕たちに何の不安もなかった 雨宿りを諦めた空に 乱れ髪を笑う ボーダーラインを越えたとき 見えないはずの未来ははっきり見えた 一人になりたかった理由は 一人ではなかったからかな 誰もが欲しがるものでできているから 欲しいものはどこにも
あの頃は わからないものばかりの世界で 毎日プレゼントをもらっていたんだ 目を閉じてまた目覚めることに何の迷いもなかった 少しだけ知ったつもりになって 視界はだんだん狭くなる まだ間に合うだろうか 朝露のバスに乗って終点のその先の 誰も目覚めていない地平線の真ん中で 待っている君の面影に 遅刻してごめんねって 今になって伝えたい あの頃は 太陽の裏側の月の静かの海で 鳴いている虫の声を聞いていた 目を閉じてまた目覚めても同じ体温に包まれて 夏の色に流れた汗も乾いて すすき
私たちは植物の心を知ることができない。できないけれど、花の美しさを知っている。 花の美しさへの認識は、私たちと植物の共通項であると思う。虫や鳥たちにも同じように美しく見えているのだろう。つまりそれは絶対的な美しさなのだ。 花を眺めて、写真に収めたいと考えているとき、私は美しいものについて考えている。それは誰かであったり、誰かの行為であったり、誰かの仕草であったりする。
だいだい色の夕焼けの中に 黄色いボタンを落としてしまった 考えすぎて 停留場をひとつ通り過ぎる 下手な嘘ほど信じる価値があって また意図的に騙される 疑う必要がないことは 夢を見ることなんだよ 河川敷の花の名前を知っていた 季節や天候につけた適当な呼び名が ぜんぶ意味のある文字になる 真っ黒な夜に白い光で絵を描いて 何もなかったことにする 線香花火が落ちるまで 呼吸を止めるゲームみたいだ いつか戻ってこられるように パンをちぎって落としておこう 駆け寄った鳥の鳴き声を