【第5回】「ロシア奏法」とは何か
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さて次に前述した、「響く」ことや「鳴らす」ことについて詳説したい。
鳴らすとは何だろうか。ピアノには基音と倍音がある。一つの意味では倍音が豊かな演奏のことを「鳴っている」「響いている」と言うのであろう。
例えばプレトニョフはその代表格だ。筆者はある時二階席の真下で、いわゆる天井がかかった響きが聞こえづらい位置でプレトニョフの実演に触れたことがある。遠く離れていて反響音も比較的聴きづらいその席でも彼の倍音は豊かに響き、ショパンのカンタービレを中心とする音楽的な世界観を現出していた。
プレトニョフのショパン
もう一つの響きとは基音の響きだ。例えばコンスタンティン・リフシッツのバッハはあまりダンパーペダルを使わず、つまり倍音が鳴りにくい状態で、ずっしりとした音を鳴らす。芯のある基音である。
私が実演で聴いたサロンコンサートホールはあまり響きが豊かとは言えない、素朴な音響環境だったが、ピアノを少し壁に近づけた位置で演奏して、ものすごく力動的な基音の客席への反射を実現していた。
リフシッツのバッハイタリア協奏曲
次にイグムノフの流れを汲む若手ピアニストを紹介したい。その筆頭格がアレクサンドル・カントロフだ。
彼はプレトニョフをも教えたレフ・ヴラセンコの弟子であるレナ・シェレシェフスカヤを師とする。つまりプレトニョフと同門のピアニストの弟子ということである。
カントロフのブラームスソナタ3番
また、日本やヨーロッパで熱狂的に歓迎されているピアニスト藤田真央は東京音大時代にその師を野島稔とし、野島稔の師匠はイグムノフの弟子であるオボーリンである。
藤田真央のラフマニノフ協奏曲3番
野島稔のラヴェル鏡
さらにまさにプレトニョフの後を追うような形でオーケストラまで設立し積極的に活動している反田恭平のモスクワ時代の師匠はミハイル・ヴォスクレセンスキーであり、ヤコブ・ミルシュタインの孫弟子という点では筆者と近い(従兄弟のような?)音楽的な親戚関係にあるとも言える。
それと同時にヴォスクレンスキーはオボーリンの弟子でもあるから、反田恭平はオボーリンの孫弟子でもあり、藤田真央とも近縁である。
反田恭平のショパン協奏曲1番
ヴォスクレセンスキーのショパン協奏曲2番
最後に松田華音を紹介する。彼女はグネーシン特別音楽学校とモスクワ音楽院を両方首席で卒業した秀英で、グネーシン特別音楽学校でエレーナ・イワーノワに師事し、モスクワ音楽院で、ヴォスクレセンスキーやヴィルサラーゼに師事した。6歳からモスクワに渡り、グネーシンやモスクワ音楽院でピアノ演奏を専門に学んだというのだから、日本人としては異例の経歴である。
松田華音のリストハンガリー狂詩曲12番
イグムノフがリストの直弟子ジロティに師事したことは前述した。ジロティがリストに師事した後にイグムノフに教えたかどうかは私にとっては定かではない。
しかし、もしそうだとしたら、リストまで一つの線でつながり、さらにリストの師ツェルニーや、その師ベートーヴェンまで繋がるというような見方をしているイグムノフ派の巨匠プレトニョフの考えも一つの音楽史的な事実とみなせる(文献表内プレトニョフの記事参照)。
筆者もイグムノフの孫弟子を師としているのだから、ベートーヴェンまで遡るとしたら、ベートーヴェンの弟子(ツェルニー)の弟子(ジロティ)の弟子(イグムノフ)の弟子(ミルシュタイン)の弟子(エーデルシュタイン)の弟子(グラビアーノ)ということになるのか。幼少期からベートーヴェン音楽に励まされ救われて来た身としては感慨深い。
ちなみに藤田真央はジロティの弟子であるゴリデンヴェイゼルの孫弟子ゲルシュタインと、同じくジロティの弟子イグムノフの孫弟子野島稔に師事しているから、ツェルニーの系譜であるとする記事があるようだ。(文献表内トーンハレの記事参照)
参考文献
ぶらあぼ「ミハイル・プレトニョフ(ピアノ)」「ベートーヴェン、リストからプレトニョフへ」<https://ebravo.jp/archives/53788>
アクセス日:2025/1/19
Tonhalle Orchester Zürich「The pupil of the pupil of the pupil ...」<https://www.tonhalle-orchester.ch/en/news/wahlfamilien-der-schueler-des-schuelers-der-schuelerin/>
アクセス日:2025/1/19
大野眞嗣『「響き」に革命を起こすロシアピアニズム - 色彩あふれる演奏を目指して』
真嶋雄大『ピアニストの系譜 - その血脈を追う』