Go home and love your family.
パンデミックがエンデミックに移行しつつあるタイミングを狙ったかのように戦争が始まった。
世の中は平等ではない。
その不文律を、「多様性」「クリーンエナジー」等々といった衣をかぶったグローバリズムが、相手が好むと好まざるにも関わらず、あの手この手を使って「統一化」しようとする。
それは世の為人の為などではなく、巨大ビジネスに他ならない。
物欲支配欲といった人間の底なしの欲が露呈しているように感じる。
この種の腐敗は何も今に始まった事ではない、と言う意見もあると思う。
昔と違うのは、幸か不幸か、地球規模の情報伝播がほぼ瞬時にして可能であり、かつ氾濫する河川の如く情報が溢れていることだ。
かのウイルスにも酷似している。
一番の問題は、真実を民衆に伝えるミッションを放棄したジャーナリズムが、ほぼ壊死した状態であるが故に、溢れる情報が極めてお粗末な事だと思う。
受け取る側には選択権はあるものの、情報処理する頭の方は既にかなり汚染されているように見受けられることも多い。
メインストリームメディアの罪は限りなく重い。
世の中は平等ではないが、対等ではあるべきだ。
何につけても平等であろうとすると、歪みが出てくる。
しかし、人と人、国と国が対等であるように努力することは可能だと思う。
まずは、無闇矢鱈に相手の領域に首を突っ込まないことではないか。
世界平和のために、などと書くことさえ畏れ多いのだが、マザーテレサの言葉ほど明確な解答はないと思う。
ノーベル平和賞を授与された折、インタビュアに、世界平和のためには私達は何か出来るでしょうかと問われ、彼女はこう答えた。
「家に帰って、家族を愛しなさい」
自分よりもすぐれたものがあるであろうという想定すらできず、すぐれたものへ畏れを抱くことのない人。
知識だけはあっても、教養の欠如している人。
小さな人間たちがそれぞれの家族(それは必ずしも血縁関係で構成される家族を意味することではないことは、想像して頂きたい)を愛することから、平和は生まれる。
両親はクリスチャンだったが、弟と私に自分達の信仰を押し付けることは一度も無かった。
育った環境は個人のどこかしらに住み着いて、思いもよらない時に助けになったりするものだ。
信仰に沿った生活とはほど遠い日々送っている私が、例えばマザーテレサは今の世をどのようにご覧になっているかと思い、彼女の言葉に雲間から射す光を見た。
自分の墓石に刻もうかとすら考えている。
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