毎日手作りお菓子を作ってくれた母への感謝【企画参加】
おはようございます😃
riraさんのこの記事を拝見して、↓ずっと参加したかったxuさんの企画に参加させていただきます。
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私の母は、専業主婦だった。
家に帰って誰かがいない、とか、夜母が出かけていない、ということは、ほとんど記憶にない。
いつも家にいて、帰宅すると手作りのおやつを作ってくれた。
マドレーヌ、シュークリーム、プリン、蒸しパン、ドーナツ、ケーキ。
バターの溶けるいい匂い。
オーブンから漂ってくる甘い香り。
ケーキのために電動泡立て器で泡立てた生クリームをペロリと味見する。
ボールに残った生クリームや、泡立て器についた生クリームも兄弟で奪い合って舐めるのも楽しみの一つだった。
ありとあらゆるお菓子を自作してくれた母。
だから、私はいまだに店で買うマドレーヌより、少し固くなった母の焼いてくれたマドレーヌや、少し気泡の入った母のプリンが好きで、市販のマドレーヌやプリンがあまり好きではない。
母に言わせると、
「おやつだって買うと高いから、小麦粉が激安の時に買いだめして、スーパーの底値で買ってきた素材で買うより安くおやつをつくるのよ」
そんな意図らしかった。(母は、私たち兄弟が幼い頃は、異常なほどの節約家だった)
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娘が産まれて6年。
育児休暇中だった期間をのぞいて、手作りお菓子をつくったことは数回しかない。
娘には、クッキーを焼いて欲しいとかホットケーキを焼いて欲しいとか、こどもらしいリクエストをもらう。
それでも、料理さえ、億劫に感じる私がそのリクエストに応じるのは、気が向いて余裕があるときのみ。
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高校時代、母と進路を巡って少しだけ確執があった期間がある。
最初の頃、確執があることにすら気づいていなかった。
自分の心と身体が悲鳴をあげて、いろんな症状が出て、なぜなんだろうと深く深く自分に潜っていったとき、初めて自分が母親を許していないことに気づいた。
その後、進路を巡る確執なんか全部吹き飛んでしまうほどの、もっともっと深刻な経緯を経て、もう自分の中では解消したと思っていた。
でも、未だに自分の中にしこりが少しだけ残っていたことに気づかされたのはnoteを書き始めてから。
私は母と解消したわけではなく、「分かってくれなくてもしょうがない」
一旦、どこかで諦めたから解消できていたと思っていたのかもしれない。
それは、自分自身が自分自身と向き合うことから逃げる口実でもあった。
自分と向き合う。
Kindle出版に向けてもう一度母にしてもらったことを思い出すうち、たくさんの母からもらったことを改めて思い出した。
毎日おやつをつくってくれた。
毎晩本の読み聞かせをしてくれた。
本を好きになったから、ギリギリまで自分を追い詰めても、本を探して必死で解決策を探すことができた。
私が本当に破綻してしまった時は半年上京して側にいてくれた。
まだ結婚して間もない時期、夫と激しく喧嘩した。今考えても、いろんなことがあって、もう、どうにもこうにもやり場のない自分の怒りや悲しさを自分一人で抱えきれなくなり、爆発しそうだった。
思わず母に電話して助けを求めた。
母に受け止めてもらって、私はなんとか進むことができた。
なんてたくさん与えてもらってきたのだろうか。
覚えていたこと、忘れていたこと。
記憶たちが私に優しく語りかける。
「お母さんに心からの感謝を伝えてみたら」
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再来週、実家に立ち寄る。
父母に。特に母に、心からの感謝を伝えたい。
なぜか幼い頃から父の無償の愛は感じていた。
だから反抗期も父だけに向けられた。
無意識に、反抗したら、母には見捨てられるかもしれない。
そんな恐れをいだいていた。
遅くきた大きな反抗期。
母は私を見捨てなかった。
21歳で亡くなった友人と私を重ねていたのかもしれない。
自分もいつか娘を失うかもしれないという不安をずっと母に与えてしまっていたのかもしれない。
友人の母が友人の死から間もなくして早く亡くなったとき、母は傷ついているように見えた。
一人の死が、癒えることのない悲しみをうむということを誰よりも見つめてきたのは、母でもあった。
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さ、今日はこの後スマホを切って、娘のリクエストである一足早いハロウィンパーティーだ!
「お菓子くれないと、いたずらするぞ〜」
「スマホ切らないと隠すぞ〜」(娘の声)