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「許せない」の根底にあった「許して」という気持ち〜お母さん、私は失敗作じゃないよ、ただ一生懸命生きているだけ〜

おはようございます😃


昨日、午前中、TL上に流れてきた野本響子さんのこちらの記事。

自分の中でじわじわくる衝撃と、やっとこれまでが全て繋がって腹落ちする感覚がありました。


順を追って紐解いていこうと思います。


まず、昨年まで、私は自分の血のつながる母親や母方の親族、特に叔母を心のどこかで許せないと思って生きていました。


しかもその「許せない」という気持ち。自分では自覚がなく、自分では解消し、許した気持ちでいたのです。


しかし、noteに自分の気持ちをぶつけて記事を書いて、客観的に正直な意見をいただいて、初めて


「そうかぁ。私の心の奥底に、どうしても母や親族、特に自分の血のつながる叔母を許せない気持ちがあるのだ」


と自覚できたわけです。


その根底には、「向きたいたくない過去」「向き合うことから徹底的に避けてきた過去の原体験」がある。それを自覚し、半年かけて、人生を変えた原体験と向き合った。そんな経緯があります。


でも、向き合うに際し、一番原動力になったのは、「娘にとって、100%母になりたい」。


自分の人生を「人のせいに」しているうちは、私は100%母になれない。どこかでそういう風に思っていました。


私は、心の奥底の奥底で母が許せませんでした。


しかし、それは、裏を返すと、


「お母さん、お母さんの育児の失敗作になってしまって、ごめん。許して」


という思いがあったのです。


私は今45歳。私たち前後の世代の親世代は、まだまだ日本が高度成長期、(もしくはこれからも緩やかに成長していくだろう)という成長神話のただなかにあり


「良い学校に入り、良い会社に入り、マイホームを買って、幸せな結婚をして、子供を産めば、人生成功」


そういったステレオタイプの価値観みたいなものが王道の世代だったのかな?と思います。


私の母親もある意味、そういう価値観に沿って、育児をしました。


結果、私たち3兄弟は、多分世間で言うところの、良い大学に入ることができました。


しかし、3人3様、コミュニケーション能力に問題があり、世間に出ると、苦戦し、世間的に言う成功とは程遠い人生を歩んできました。


そして、私に至っては、大学時代、精神的に不安定になり、心療内科を受診。その後、母から見ると、「紐同然」の画家の夫と結婚するなど


「母にとって、私は母の子育ての失敗作」


そんな風にどこかで自分のことを感じていましたし、発言の節々から母もそう思っているんだろうなぁと思っていました。


だから、もっと若かりし頃は、「それはあんたのせいだよ」とふてくされ、ある意味復讐のように(それだけじゃありませんが)長らく長らく子供を持たない時期が続きました。


いろんな紆余曲折があって、気持ちも変わり、娘を授かり、それでも、どこかで、


「母の人生において、私は育児の失敗作。ごめん、許して」


ずっとずっと心の奥底で感じていたのです。


それが回り回って、根っこの部分では母や叔母を許せない。


そして、失敗作の私。きっと自分の育児も失敗するに違いない。


そういう構図になっていったのだということが、今となってやっと見えてきました。


話は元に戻ります。「娘にとって100%母になりたい」という思いを原動力に向き合った、向きたいたくない過去の原体験。


完全に過去の自分を自分とは切り離した一人格として俯瞰して眺めた時、


「あれは失敗でも成功でもなんでもない。ただ、あの時に起きた当時の私から見た事実」


手記を書くことで、初めて、なんの評価をすることなく、ニュートラルに自分の人生を俯瞰して眺めることができたのです。


そして、自分は母の子育ての失敗作でも成功作でもなく、「自分の人生を一生懸命幼馴染と一緒に生きてきた」。


自分の人生を自分自身で丸ごと受け止めた、そういう風に感じたのです。


私は、原体験と向き合った手記を出して、果たして未来を変えられたのかな?ずっと疑問に思っていました。


でも、手記を書いたことで明らかに未来は書き換わった。そして、未来が書き換わったことによって、過去が日に日に変わっていっていることを今、まさに緩やかに実感し続けています。


その、緩やかだけど、劇的な内面の変化に自分が追いつかなくて、きっとnote、スタエフ、文字と音声と両方で自分が今、何を感じ、何を考えているのか知りたいのだな。


そういう風に感じました。


母の日を前にして、「こどもの日」の今日、こどもとして母に心から言いたい。


「お母さん、許してなんてもう言わないよ。私は失敗作なんかじゃない。成功作でもない。ただただ生きている。二本の足で立って、生きている」


そして、今心の奥底から思うのです。


人の人生なんて、塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。


何が成功か失敗かなんて、他人に決めてもらうものでないし、自分自身が何を大切だと感じ、何を幸せだと感じ、何を楽しいかを知る。


まずはそこからなのだと。


内省して俯瞰するって本当に大切。


そんなことを改めて感じました。


人生塞翁が馬。内省と俯瞰。


そんなことを改めて実感させてくださるそい先生の「根っこシリーズ」完結編、明日16時より無料ダウンロードキャンペーン実施予定とのことです。


一足先に読ませていただきましたが、


「内省と俯瞰、最高!」という熱い渾身の一冊でした。

1、2もオススメです✨✨✨




※※※

昨年5月1日、note毎日更新チャレンジを再びやろうと決意させて下さったキッカケをつくってくださった印彩都さん。

東日本大震災からの復興を大好きな写真で応援するために結集した仲間たちです。


永年幽霊部員の私ですが、サポーターとして毎日日替わりで移ろっていく十年十彩をお知らせしていきます。


五日目の今日はピンクです😃


ここまで長い長いつらつらをお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨

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