安心して帰れる場所があるから破綻できた
先日、自分が破綻した頃の年代の方とおしゃべりする機会があり、いろいろ話すうちに、当時のことをかなり克明に思い出したので書き留めておこうと思う。
19で大学進学のために上京して4年間は、とにかく危機の連続だった。
最初は大学1年の初夏。高校時代から好きだった人に思い切って告白して数回一緒に出かけたあと。
まるで自分が何か重大な罪を犯した罪人のような思い込みにとらわれ、電話線も切って約1ヶ月、自宅に引きこもっていた。
この時は、たまたま電話をかけてきてくれた友人に救われた。
でも、当時両親も本当に心配してくれていた。
上京した娘にいつ電話をかけても電話がつながらない。
最後はあまりに心配しすぎた父から電報が送られてきた。
電報に気づいたのは友人に聞いてもらってなんとか復活した後。
チチシンパイシテイル レンラククダサイ
もう、表面上回復していたので、両親にそんなに心配をかけていたことを反省もしなかった。
そもそも、当時の私は、どこかで
「あそこにはもう自分の居場所はない。帰る場所なんてないんだ」
勝手にそう思い込んでいたから、反省も感謝もなかった。
今思うと、本当に両親には申し訳ないことをした。
2回目の破綻は、幼馴染の親友の自殺に端を発した変革体験の後。
激しすぎる揺り戻しのすえ、
「自分は完全にイカれてしまった!人生終わったー!」
そう思うと、もう、息ができない!
パニック!
眠れない!
心がざわざわして、じっとしていることができない!
助けて、誰か助けて!!!
初めて実家の母に泣きついた。
私が今ここで死んだら、弟や妹に同じ苦しみを与えるかもしれない。
何より
「あそこには、私の帰る場所はある。私は一人なんかじゃない」
どこかでそう思えていたからかもしれない。
全く感謝も反省もしなかった父の電報。
本気で心配してくれていた。
そのときはわからなくても、じわじわしみこんでいたのかもしれない。
その後、約一年ほど心療内科に通い、精神安定剤と睡眠薬薬を飲み、親しかった人、好きだった人たち、ほとんど音信をたって、逃げるように卒業した。
こんな風になってしまったことが恥ずかしかった。
誰にもこんな惨めな自分を見られたくなかった。
人生は終わった。あとは余生。諦めて消化試合のように生きていこうと思った。
でも、人生は全然終わっていなかったし、本番はまだまだそれからだった。
そして、今もまだ始まっていないのかもしれない。
※※※
先日、5つ下の尊敬する男の子にお誕生日おめでとうとメールしたら、
「40なんで四捨五入したら、まだ生まれていません」
そんな返信が返ってきた。
「へ〜、じゃ45の私は1歳?」
「いえ、50歳で初めて一歳です。生まれるまで頑張りましょう」
そうか、まだ生まれてもないのか。
相変わらず面白い考え方をするな。
いろんな考え方があって、いろんな生き方があって、生きてりゃいいことあるんだよ。
そんな風に思えるような出会いとか考え方にもっともっと出会えていたら、2人で今も生きていられたかもしれないね。
そんな風に時々話しかける。
お父さん、お母さん
あの時破綻できたのは、お父さんとお母さんが受け止めてくれる、どこかでそう思えたからです。
一人で勝手にこじらせて、反省も感謝もせずに長らく生きてきてごめんね。
あのときはありがとう。
感謝しています。
安心して帰れる場所があるから破綻できた
でした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨