ボカロ好きに薦める海外文学、海外文学好きに薦めるボカロ曲
私はボカロが好きです。「合成音声ソフトを使用している」たったこれだけの共通点しか持たない、音楽ジャンルのまったく異なる無数の曲が「ボカロ」の名のもとにひとつにくくられ、雑多で豊かな文化を成しているから。
私は海外文学が好きです。時間的にも空間的にも遠く離れた書き手によって紡がれ、翻訳者によって解釈されて私のもとへ届いた物語は「わたしに向けて書かれていない」と感じられるから。わたしの存在なんてまったく意識されない領域で、まだまだこんなに面白い世界があるんだということを知ることができるから。
ボカロが好きなひとも、海外文学が好きなひとも、たくさんいます。
私よりボカロ曲を聞いているひとも、私より海外文学を読んでいるひともたくさん知っています。
でも、ボカロも海外文学も好きなひとはあんまり知りません。
ボカロ好きと海外文学好きってけっこう共通点があると思うんです。
街中で流れる売れ線のJ-POP("人間の曲")に対する「ボカロ音楽」と、日本人が書いた売れ線の小説("日本文学")に対する「海外文学」は、業界内で決してマジョリティではない点で、なんだか近いものを感じるのです。
もちろん、こうしたアナロジーは両者の多くの特徴を取りこぼしており、きわめて杜撰です。最近は米津玄師やYOASOBIなどの活躍によって、邦楽シーンに対するボカロシーンの影響力は増し続けていますし、世界的に見ればむしろ「海外文学」がマジョリティで日本文学がマイノリティでしょう。
それでも、現代日本で暮らす私たちの視座からすれば、「ボカロ好き」と言うとオタクとみなされて引かれる可能性は(数年前に比べれば大分マシになったとはいえ)まだまだ高いですし、「どんな本読むの?」と聞かれて海外作家の名前を並べ立てて、意気投合できる可能性は低いでしょう。
ボカロとガイブンのどちらも好きな私からすれば、やっぱりどちらも、どこか「マイナー」であり、それを好きなひとは、マイノリティ性を自覚しながら、必死に自分の「好き」を貫いているように思えます。
どちらもシーン規模/市場規模が小さいために、作り手と受け手の距離が近く、受け手も含めた皆でシーンを盛り上げていこう!という意識が高いところも似ています。日本翻訳大賞は読者ひとりひとりの熱い「推し本」を募集することで成り立っていますし、Twitterには毎日、その日ニコニコ動画に投稿された曲のなかから「推し曲」を #vocanew タグでつぶやく人々がいます。
どんなに再生数の低い曲でも、聞いて感想を伝えないと「次の曲」は二度とないかもしれない。マイナーな国の誰も知らないような作家の初邦訳作品は、買って感想を伝えないと「次の本」は二度と出版されない。
マイナーなところにこそ豊穣な世界は広がっているし、その世界はリスナー/読者が「私はここにいるよ。あなたの作品を聞いて/読んでいるよ」と声を上げないと、容易に潰えてしまう世界です。だから、ボカロ好きもガイブン好きも「自分はこのジャンルが好きだ」という誇りをもっている点で似ていると思うのです。
「ボカロもガイブンも好き」な人間として、私は両者に互いの良さを伝えたい。
ボカロ好きには海外文学を、ガイブン好きにはボカロ曲を好きになってもらいたい。
これは私の単なるワガママです。ですが、このワガママから1人でも多くのひとが新しい「好き」を見つけてくれることを願っています。
〈ボカロ好きにオススメの海外文学〉
ボカロは機械なので当然ながらSFと非常に相性が良いのですが、SF作品は扱いません。なぜなら私がSFに詳しくないのと、SFのようなジャンル文学でない海外文学を少しでも知ってほしいからです。
それではどうぞ!
ボカロ"キャラ"好きにオススメ
→ カサーレス 『モレルの発明』
初音ミクなどのボカロキャラクターの魅力はなんでしょう。可愛いところ?……それなら普通のアニメキャラクターにも言えることです。私が思うボカロ特有の魅力は、発売されているパッケージを買えばボカロキャラが実際に「自分だけのもの」になり、そして「自分の思い通りに歌わせられる/歌ってくれる」ところです。でも、それでいて、彼女は決してこちらを認識してはくれない。
なぜなら、"画面の向こう側"の存在だから。
こうした「所有したつもりになれるけど、決して本当には触れ合えない」という哀しき断絶性にマゾヒスティックな魅力を感じるボカロオタクのあなた、アルゼンチンの作家アドルフォ・ビオイ=カサーレスの『モレルの発明』を読んでください。
『モレルの発明』は無人島に漂着した男の手記です。自分以外誰もいない筈が、あるとき美しい女性が出歩いているのを目撃し、接触を試みると──。
"あちら側" に恋い焦がれた主人公が最終的にどこに行き着くのか。"画面の向こう側" に恋い焦がれているボカロキャラこじらせオタクの皆様におかれましては、本書を読んで自分の愛するボカロと自分との関係をいま一度考えてみてはいかがでしょうか。
※「SFは扱わない」と言っておきながらいきなりSF要素のある作品を紹介してしまいましたが、カサーレスをSF作家と認識しているひとはあまりいないだろうし、本書は決してSFの魅力だけではない作品だと思っているのでセーフです。SF警察は黙っててください。
amazonでは価格が高騰しているので、版元 水声社↓のHPか版元ドットコムから適正価格で購入するのがいいと思います。
本書を読んだ気になれる素晴らしい書評(長い)
『モレルの発明』を "相当にこじらせた「童貞小説」" と評する、痛快にして明晰な紹介文。
鏡音リン・レン好きにオススメ
→ クリストフ 『悪童日記』
鏡音リンと鏡音レンは、1つの音声合成エンジンとして発売されている2人のキャラクターであり、姉弟とも双子とも鏡に映った像とも公式設定では明言されていません。
ここではリンレンの関係を「双子」あるいは「鏡像」とみなしたうえで、ハンガリーの作家アゴタ・クリストフの大傑作『悪童日記』を鏡音好きに薦めたいと思います。
『悪童日記』は一人称の日記体の小説です。しかし普通の日記と違うのは、主語が「ぼくは」ではなく「ぼくたちは」という一人称複数である点です。双子の兄弟によって書かれているのです。それでいて、彼らの名前は作中に一切出てこず、文字通りの一心同体として区別されません。「ぼくらは〜〜した。ぼくらは〜〜した」という叙述の羅列から、読者はしだいに「本当に2人存在するのか?」という疑念を抱きます。複数性と唯一性の狭間で物語は語られ続け、そして衝撃的な結末を迎えます。鏡音リンと鏡音レンという、双子なのか鏡に映った同一の存在なのかあいまいな次元にいる2人を愛するひとに、ぜひ読んでほしい作品です。
ちなみに本作には『ふたりの証拠』『第三の嘘』という続編もあります。この〈悪童日記3部作〉は、その手に入りやすさ・短さ・読みやすさ・面白さ・衝撃度のどれをとっても素晴らしく、今のところ私がいちばん好きな海外文学です。(なので、本当は鏡音リンレン好きとか関係なく全てのひとにオススメです)
まず『悪童日記』を読んでみてください。読み終わったら、絶対に続きが読みたくなるはずです。
Orangestar好きにオススメ
→ オースター 『ムーン・パレス』
わたしがいちばん好きなボカロPであるOrangestarさんは、アメリカの高校に留学中に発表した『アスノヨゾラ哨戒班』で一躍有名になりました。
わたしは数年前から「Orangestar好きにオススメの海外文学リスト」を作っており、そのなかでもアメリカの人気作家ポール・オースターの『ムーン・パレス』はいちばん推している作品です。
Orangestarの作る音楽のなにがそんなに魅力的なのでしょうか?天才的なメロディメイクに一筋縄ではいかない楽曲構成など、様々な答えがありますが、あえて一言で表すなら〈青春〉感。これに尽きると思います。彼の作る音楽のどうしようもない〈若さ〉に、かつての私も含めた多くの若者が魅せられています。
さて、同じく『ムーン・パレス』を一言で表すなら青春小説の金字塔です。この時点でベストマッチ確定でしょう。本作は、主人公の青年マーコが叔父を亡くし、精神的に深く沈んで浮浪者のようになるところから始まります。この序盤からして "どうしようもない〈若さ〉" 全開なのですが、ここから物語は奇妙な展開をみせます。恋愛・仕事・家族など、様々な数奇な出会いに翻弄されるマーコがアメリカ大陸を歩いて歩いてたどり着いた先は……。
あぁ 君はもういないから 私は一人歩いている
ちなみに、数少ない "ボカロも海外文学も詳しい友人" に「これOrangestar好きに薦めたいんだよね」と話したところ、「あ〜めっちゃ分かる!」と共感してくれました。これで信頼性は2倍になりました。ぜひ読んでください。
それからアメリカ大陸を「歩く」のではなく「車に乗って最前線を飛ばす」ような海外文学であれば、ビート文学の代表作、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』もオススメです。こちらも若いうちに読んでほしい。
軽トラの荷台に乗ってくれる女の子は出てきませんが……。
オースターもケルアックもそうですが、Orangestarはやっぱりアメリカ文学が似合う!それはアメリカに住んでいたから、という理由だけでなく、ヒッピー文化など若者のカウンターカルチャーを生んだアメリカという国の性質が、Orangestar楽曲の〈青春〉感、どうしようもない〈若さ〉と親和的だからでしょう。他にサリンジャーなどもOrangestarっぽいアメリカ文学だと思います。
以上、やや少ないですが「ボカロ好きに薦める海外文学」でした。また思いついたら紹介します。「この作品も良いんじゃない?」というのがありましたら教えて下さい。
〈ガイブン好きにオススメのボカロ曲〉
ニコニコ動画には「VOCALOID小説派生曲」というタグが存在し、実在する小説をモチーフにしたボカロ曲がたくさん並んでいます。
しかし、今回はあくまで「海外文学好きが好きそうなボカロ曲」なので、このタグを中心には紹介しません。海外文学と何の関係がなくても、雰囲気的にガイブン勢が好きそうなボカロ曲をわたしの独断と偏見で紹介します。
また、なるべくYouTubeの動画を貼りますが、ニコニコ動画にしかない場合はニコ動リンクを貼ります。意外と知られていませんが、ニコ動は会員登録しなくてもすぐに観れます。コメントが嫌な場合は右下のボタンで非表示にできるので、ニコ動初心者は活用してください。
ベニー・プロフェインみたいな奴 / Zekky, 山本ニュー
といいながら、いきなり海外文学要素のあるボカロ曲を紹介します。
ベニー・プロフェインとは、皆さんご存知、アメリカの最強作家トマス・ピンチョンのデビュー長編『V.』の主人公のひとりの名前です。あのヨーヨー男です。
この曲は単純に、ボカロPにもピンチョン愛読者がいるんだ!という感動を伝えたくて紹介しました。ただ、曲自体もなかなか良く、ボサノバ調っぽいJazzで初音ミクのスキャットが軽やかにいい味出してます。休日に散歩しながら聴きたい。
この曲はこちらの記事で知ることが出来ました。soudaiさんもピンチョンの主人公の名前で調べていて偶然見つけたそうです。海外文学とボカロのどちらもいける人、マジで貴重……。
そして、衝撃の事実ですが、実はこの曲は『V.』ではなく、ピンチョンの代表作『重力の虹』の主人公タイロン・スロースロップをイメージした曲だそうです。
そっちかーい!ヨーヨー男じゃなくてロケット男だった……
僕とZekkyさんは、小説家のトマス・ピンチョンが好きなんです。それで彼の作品「重力の虹」をイメージした「ベニー・プロフェインみたいな奴」って曲があるんです。主人公の名前を、太田幸雄とハミングバーズの「スティーヴ・マックィーンみたいな奴」という曲にかけてみたわけです。
(中略)
でも出来上がってから気づいたんですが、「重力の虹」の主人公は、タイローン・スロースロップだったんです。ベニー・プロフェインは「V」という作品の主人公で。だから投身自殺を暗示するなら、本当は「タイローン・スロースロップみたいな奴」じゃなきゃダメだったんですよ。
遺伝子組み換えライ麦畑 / 小西
ある日 雨と風にうたれ 帰り道できみにフラれ
今夜いきることにつかれ 明日また目がさめる
こちらもガッツリ小説モチーフ曲です。タイトルからもサムネイルの似顔絵からもわかるように、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(白水uブックス)をモチーフとしています。
新装版からこの似顔絵はなくなってしまいましたが……。
どうしてもこれは紹介したかったんです。この曲は、ホールデンがNYを放浪するときの心境あるいは、サリンジャー作品に通底する「生きることのやるせなさ」が音になって詰まっている、そう思います。有名な文学作品を引いてきてもなお引用負けしないような強度がある。
さみしいような こわれやすいような
そんな自分だけが かわいいのさ
花と生活 / ソカノコ
水曜日の涙はきれいで
木曜日に懐かしい匂い
さよなら さよならだ
はい、この曲はまったくガイブン関係ありません。ただガイブンが好きな私が好きな曲なので、同じくガイブン好きの皆様におすすめします。
アコースティックギターと木琴の音色といい、端正な歌詞といい、自分の手のひらを見つめる人の1枚絵といい、全体的に静謐な哀しさと優しさを感じます。
具体的にこの作家やこの作品が好きなひとにオススメ!っていうのは思いつかないのですが……うーん、誰だろう……ウルフ『灯台へ』とか? またはデリーロ『ボディ・アーティスト』とか?(この2作に全然関連性がない)
誰か、それっぽい作家・作品を思いついたら教えて下さい。
〈追記〉
プルースト、タブッキ、ヴィアン、ゼーバルトのような「住所不定のメランコリー」っぽい作家たちに似ているんじゃないかとフォロワーさんが教えてくれました。ドンピシャだ……ありがとうございます!
レイジー・クルーズ / cat nap
「また夜が終わってしまいます」
「そんなに夜が好きですか」
「朝に繋がるので嫌いです」
「きみってけっこうめんどくさいですよね」
「あなたほどではないですよ」
叙情的かつ均整の取れた詩に、上品で情熱的な音楽を奏でるcat napはガイブン好きにも一押しのボカロPです。『レイジー・クルーズ』では、作曲者のねこむらさんが初音ミクと共に歌っています。
この曲の白眉はなんといっても間奏でのミクとねこむらさんの掛け合い。夜に海辺を彷徨う男女ふたりの会話は、不躾に言えばひじょーーにエロいんですよね。耽美というか官能的というか。
「本当の話と、想像の話と、どっちが聞きたい?」
「最初に本当の話で、それから想像のがいいわ」
夜・男女・会話劇と聞いて連想するのはニコルソン・ベイカー『もしもし』です。会員制テレフォン・セックスでの一夜の電話劇。当然エロい話もするんですが、この小説に通底しているのはエモさです。官能性と叙情性の相性の良さというか、姿も見えない、決して交わらない2人が真夜中にか細い糸で繋がろうとする様が美しい。この小説と『レイジー・クルーズ』でのねこむらさんとミクの掛け合いは精神性がとても近いと思うんです。
『もしもし』好きはぜひ『レイジー・クルーズ』を、『レイジー・クルーズ』好きはぜひ『もしもし』をよろしくお願いします。
パイロキネシス / saiB
愛さえも
無力と化すこの熱暴走
もちろんボカロは静かめな曲ばかりではありません。わたしがボカロ曲でいちばん"エネルギー"を感じるのが、この『パイロキネシス』です。曲が強すぎて、もう海外文学好きとかカンケーなく全員に薦めたいくらいなんですが、強いて海外文学で言うなら……「このなかに"ぜんぶ"が詰まってる」感から、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』とか、ピンチョン『重力の虹』とかのイメージでしょうか。「世界文学」っぽいんですよね。
4分40秒間、イヤホンを大音量にしてお楽しみください。
というか、saiBさんはパイロキネシス以外の曲もぜんぶエネルギーが凄いです。この『偶像崇拝』は圧倒的な音楽に並んで豪華絢爛なアニメーションMVが上映されます。このMVを担当したAndedさんはもともとsaiBさんの曲の2次創作PVを制作していました。
Andedさんはサリンジャーやボルヘスなどの文学作品や攻殻機動隊などのSF作品に強く影響を受けて実作に反映していることがHPやブログ記事から伺えます。
ひとりの芸術家としても、「ボカロも海外文学も好き仲間」としても、Andedさんのことを尊敬しています。
日記 / 青屋夏生
僕らは生きている
なんでもない日常に 必死でしがみつきながら
鼓動を続ける 膝をついて祈りながら
僕らは生きている
昼寝をしながら
無難な答えを選びながら
忘れたことを嘆きながら
本を読みながら
来た道を戻りながら
音楽にのせて歌うのではなく「語る」ポエトリーリーディング、そのボカロ版がPOEMLOIDというタグにまとめられています。思えば、もっともストレートに文学と音楽が交わるのはポエトリーリーディングでしょう。
そんなボカロのポエトリーリーディング作品のなかでも断トツで文学性の高い名曲だと思うのが、青屋夏生さんの『日記』です。過ぎ去った日々や風景への郷愁と、なんでもない日常を生きることのたしかな決意がエモーショナルな音楽にのせて語られます。「普遍的なものと個人的なものを結ぶ」という意味で、本曲は正しく文学的だと感じます。
この曲と似た雰囲気を感じるのは、スチュアート・ダイベックの短編集『シカゴ育ち』です。冬の気配・川沿いの工業地帯・郷愁などの要素がまさに共通しているのです。
『日記』が入ったアルバムはこちらからダウンロードすることが出来ます。
以上、「海外文学好きに薦めるボカロ曲」でした。
どれか1つでも琴線に触れる曲があれば幸いです。
さて、偉そうにボカロと海外文学について書いてきましたが、私はボカロ聴きとしても、海外文学読みとしてもまだまだであることは自分がいちばん良くわかっているつもりです。
「なんでこの作品を挙げないんだ!」とか「これは違うだろう!」みたいに思う方々もいることでしょう。そのときはぜひ、あなたの思う「ボカロ好きに薦める海外文学」あるいは「海外文学好きに薦めるボカロ曲」を教えて下さい。
そしてあわよくば「ボカロも海外文学も好き」な仲間が増えたら楽しいな、と思っています。
※本記事は「ボカロリスナーアドベントカレンダー2020」および「海外文学・ガイブンアドベントカレンダー2020」に参加しています。