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【2017年】世界文学ベスト10【海外文学編】


※2018年11月追記
この記事は、文学を読み始めて1年ちょっとのドにわかが書きました。また誤解を招きやすいタイトルですが、今年出版された本からではなく、わたしが今年読んだ本のなかのベスト10を紹介しています。以上のことに留意してお読み下さい。



【例によって非常に冗長な前置き↓】

「本が読みたい。それも本屋に平置きされているような大衆小説ではなく、いわゆる"純文学"の古典的名作を読みたい」

今年に入って、このような気持ちが湧き上がったのは、少し自意識の高い大学生にありがちな精神的背伸びか、はたまた10代最後の悪あがきか…。


ともかく、この読書欲が生まれた直接の原因の一つは昨年、ドストエフスキーの『罪と罰』を初めて通読したことでしょうか。

『罪と罰」といえば、"小説のラスボス"とも言われる『カラマーゾフの兄弟』(こちらは未読)と並ぶ、ロシアの文豪ドスト大先生の代表作。

しかし自分が読んでみての感想は、



「何が面白いのかさっぱり分からない」



というものでした。一つのセリフが非現実的なほど長い上に芝居がかっていてくどい。殺人事件を扱っているのに、キャラの性格のせいなのかどこか滑稽で冗長な舞台を見ている気がする。「重厚な思想や哲学が背景にある!」と聞いていたが、自分にはただ貧しい主人公が拙い屁理屈を並べて自己正当化しているようにしか思えない。

きっとこのような感想を持つのは、自分がまだまだ人生経験の少ない、浅学で無教養な人間だからなのでしょう。それでも、外聞を気にして「『罪と罰」ね、やっぱりドストエフスキーは素晴らしいよね」などという思ってもいないことを垂れ流すよりは、自分に正直でありたいと思います。


この件以来、「身の丈に合わない高尚なブンガクなんてもうたくさん!」となるかと思いきや、むしろ

・「なぜ自分は、多くの人が評価をしている小説を面白いと思えないのだろう。彼らはどこを面白いと思っているのだろう」

・「小説、それも分かりやすいエンタメ小説ではなく、"純文学"と言われるものの価値とはどのようにして決まるのだろう」

・「そもそも"価値"とは何だろう」

というようなことに、非常に興味が出てきました。(最後の問いは半分冗談。でも実はこの問いには随分昔から取り憑かれているので半分本気)


そこで、自分の中に湧き上がった以上のような問いに、自分なりに答えを出すために「今年は文学をたくさん読もう!」と(ゆる〜く)決意したのが今年の始めか昨年末。

しかしいきなり文学の名作を読むといっても、完全な素人なので何から手をつけて良いのやら、初めは分かりませんでした。そんな時、学校の先生の他、主に以下の書評ブログを参考にさせて頂きました。


キリキリソテーにうってつけの日:「世界文学ベスト100冊」は、どの1冊から読み始めればいいか

Riche Amateur:海外文学おすすめ作家ベスト100(2014年版)

きゃすのキラキラブログ:おすすめ小説ベスト100冊をランキング形式で紹介する【2016年版】【海外文学編】

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる:スゴ本100冊


他にも様々な書評系サイトを参考にしていますが、以上の4つのブログは特に入り浸っているサイトです。暇さえあれば上のどれかのブログを徘徊していたといっても過言ではありません。

これらのブログ執筆者の方々の読書量と書評の読みごたえには本当に驚かされます。正直、いまこの記事を読んでいる人はこんな素人の駄文ではなく、上のブログ記事を読みにいった方が確実にあなたの人生に有益だと断言できるほどです。


ともかく、これらのブログ記事、特にランキング形式の記事で上位に紹介されている本の中から、「面白そうだな」と思ったものを順に読んでいきました。記事タイトルからわかる通り、海外文学を主に扱っているサイトが多かったので、当然それに影響されて日本文学よりは海外文学(通称ガイブン)を読む割合が多くなりました。


また、自分の中の読書ルールとして

・「読む気が起きなければ読まない」

・「途中で投げ出して他の本に移っても構わない」

・「短編集など1冊に複数話収録されているものでも、全部読む必要はない」

と決め、なるべく負担にならないようのんびり読んでいきました。


その結果、この1年間で読んだ文学作品の数は、日本文学・海外文学合わせて約40冊。短編をどうカウントするか、何を(純)文学に含めるかによって変わりますが大体このくらい。

今回は、この中から特に気に入った海外文学の10作品をランキング形式で発表したいと思います。(はじめは日本文学も含めるつもりでしたが、10冊では足りないので分けることにしました)


読み終わってから何ヶ月も経っていて、正直内容はかなり忘れているものも多いですが、出来るだけ読んでいた時に抱いた感慨を優先して書いています。


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それでは10位からどうぞ!


【前置きおわり】



10位:「夜間飛行」サン=テグジュペリ

(Vol de nuit / Antoine de Saint-Exupéry, フランス文学)

冷たい宝石のあいだを、いとも富んで、しかも死刑を宣告されて、さまよっている彼らであった。


まずは「星の王子様」でお馴染み、サン=テグジュペリの「夜間飛行」から。

みなさん、「星の王子様」だけ読んで「サン=テグジュペリは児童向け作家である」と思っていませんか?私はそう思っていました。この本を読むまでは。

「夜間飛行」は傑作です。彼の作品の中で傑作であるだけでなく、世界のあらゆる小説の中でも傑作と自信を持って言えると思います。これを読めば、サン=テグジュペリの本当の凄さがひしひしと伝わることでしょう。


何が凄いって、航空機パイロットという異色の経歴を余すことなく活かした、航空中の空や大地の精緻な描写の美しさ。そしてそれとリンクして描かれる、航空機に乗るパイロットたちの臨場感あふれる操縦シーンも素晴らしい。

彼はあのとき、平穏に、アンデス連峰の上空を飛行しつつあった。…二百キロメートルの厚みの中に、人間ひとり、生命の呼吸一つ、努力一つなかった。
彼にはこの世の中に、操縦席の赤ランプ以外、何一つ見えないので、炭坑用のブンゼン灯たった一つを頼りに、何の助けもない夜の真っただ中に降りていくような気がして身ぶるいが出た。

壮大で厳しい自然と、ちっぽけですが勇気と尊厳を持つ人間たち。両者の対比が、驚くべき鮮やかさで描かれています。

こうした描写を読んだとき、どう言葉で形容したらいいのか分からない感動に対してただ「これが"純文学"なのか」と悟ったのを覚えています。

「純文学なんてどうせ高尚で難しく、カッコつけたものでしょ」と思っている人たちに、純文学の何たるかをもっとも手っ取り早く感じてもらうには、この「夜間飛行」が今のところベストアンサーだと思っています。




9位:「素粒子」ミシェル・ウエルベック

(Les Particules élémentaires / Michel Houellebecq, フランス文学)

突然彼は、自分の全生涯は今のこの瞬間に似たものとなるだろうという予感に襲われた。


世界中の存命の作家のなかで、いろんな意味で最も注目度の高い作家ウエルベック。そのスキャンダラスな作風から、パリで起きたイスラム過激派による出版社襲撃事件の後、警察の保護下に置かれたこともあるとか。

そんな彼の代表作「素粒子」ですが、自分はこの文学らしからぬタイトルに一本釣りされて読み始めました。

ミシェルとブリュノという異父兄弟それぞれの人生を交互に追っていくような形式で物語は進みます。タイトル通り、ところどころで唐突に物理学や生物学の専門用語が多用されます。正直、あまり読みやすい話とは言えません。

そして何と言っても性描写が露骨!人一倍関心がありながら、満足した性生活を得られないブリュノに話が寄り添っている時は、ほとんどそうした物事によって話が進みます。

そのため読む人を選ぶ小説だとは思いますが、それでも村上春樹的なナルシズムに満ちた露骨さとは違います。むしろ自然科学という乾いた目で性欲や人間の本能を淡々と描写しているところが個人的に気に入りました。


そして最後のどんでん返しにはまんまとやられました。いまいち判然としていなかった語り手が一体誰なのか。最終章によってそれまでの物語の位置付けが鮮やかに変わる仕掛けには率直に感動を覚えました。

本の帯のコピーにありそうですが、「あれほど圧倒的な"意味"を持った最後の1文は滅多に無い」と思います。途中を耐え忍んで、なんとか最後まで読みきってほしい作品です。




8位:「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ

(cavaliere inesistente / Italo Calvino, イタリア文学)

おお、これは愉快じゃ! ここには存在しておりながら、自分の存在しておることを知らぬ男、そしてむこうには、おのれの存在していることを承知してはいるが、その実、存在しておらぬわしの臣将! これはみごとな一対じゃ、間違いないぞ!


まだ本作しか読みきったものは無いのですが、カルヴィーノは「個人的に好きな海外作家ランキング」の上位に絶対に入るだろうと思っています。

その理由は、彼の作風がとにかく「メタフィクション」を多用するものだからです。メタというのは、話の中で突然第三者であった語り手が物語に乱入したり、挙げ句の果てに作者が登場したりすることを指し、好みは分かれると思います。

しかし自分はこのようなメタな物事を、小説に限らず偏愛しているので、カルヴィーノに惹かれるのも当然でしょう。(そのくせまだ1作しか読了できていませんが)


さて、本作「不在の騎士」はタイトル通り、「存在していない騎士」つまり甲冑だけで中身が空っぽという、ドラクエの"さまようよろい"のような騎士アジルールフォ(名前はちゃんとある)たちが織りなす、奇想天外な騎士道物語です。

この「存在していない騎士」アジルールフォだけでも十分奇抜で面白いのに、本作にはさらに個性あふれるキャラクターたちが登場します。中でも個人的に最高だと思ったのは、「自分が存在していることに気づかない従者」グルドゥルー。


今期アニメ『少女終末旅行』のユーリ然り、賢者と対比される形での"愚者"ポジションのキャラってどうしてあんなに魅力的なのでしょうか。しかも、グルドゥルーの愚かっぷりは度を超えています。

配られたバケツ一杯のスープを飲もうとして頭を突っ込むも、自分が食べられる側だと勘違いして食べられるのを待っていたり、自分の左足に「早く動け!」と怒鳴ったり。

私が愚者を好きな理由の一つは、こうした愚かな行動の中に世界の真実が潜んでいる気がするからです。「自分」とは何か。自分と他者の境界は?当たり前だと思い込んでいることの向こう側へ一度足を踏み入れてしまうと、グルドゥルーはただの愚者だとは言い切れない気になってくるのです。


そして波乱万丈な冒険譚は、カルヴィーノらしさ全開の終わり方で幕を閉じます。合わない人には「は?」という感じでも、合う人にとっては「こういうのが読みたかったんだよ!」と思わず唸るような大胆なエンドに注目です。





7位:「予告された殺人の記録」 G・ガルシア=マルケス

(CRONICA DE UNA MUERTE ANUNCIADA / Gabriel García Márquez, コロンビア文学)

自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。


ガルシア=マルケスは1982年にノーベル文学賞を受賞したラテンアメリカを代表する大作家です。2014年に亡くなりました。代表作の「百年の孤独」という名前だけなら聞いたことがあるかもしれません。

「予告された殺人の記録」は、そんなガルシア=マルケス本人が自身の最高傑作だと評する、150ページほどの短めの小説です。


タイトル通り、あらかじめ村中に知れ渡っていた「予告された殺人」が、(皆、起こってほしくないと願っていたのにも関わらず)なぜか誰にも止められることなく実現されてしまったという、実際にあった(!)事件をもとにした話です。

もちろん話のポイントは「予告されていたのに何故殺人は起こってしまったのか」という点。様々な関係者の目撃証言や後日談などを通じて徐々に事件の真相に迫っていく、かなりスリリングで緊張感のある作品です。


詳しくは後述しますが、ガルシア=マルケスはマジックリアリズムという幻想的な作風を得意としています。しかし珍しいことにこの作品に、そうした非現実的要素は一切出てきません。

「予告された殺人なんて十分非現実的だろ」というツッコミが入るかもしれませんが、この話を読み終わる頃にはなぜか「これなら事件が起こっても仕方がないな」という謎の納得感を得させられてしまっているのです。

マジックリアリズムを使わずとも、むしろ使っていないからこそ分かる、マルケスの驚異的な技術をぜひ読んで体感してほしいと思います。そんなに長い話ではないので、初めてマルケスを読む人にもオススメの1冊です。





6位:「トニオ・クレエゲル」トーマス・マン

(Tonio Kröger / Paul Thomas Mann, ドイツ文学)

芸術で腕を試そうとする人生ほど、あわれむべき姿があるでしょうか。


「魔の山」や「ヴェニスに死す」で有名な(自分はどちらも未読)ドイツ文学の巨匠トーマス・マンの中編小説。

自分がこの作品を6位に選んだ理由は単純です。


この話で作者が何を言いたいか分かった(ような気がした)から」です。


この本に手を出したのは今年の5月。文学作品を漁り始めてから日が浅い頃で、自分は1冊1冊読み終わるごとにこう思っていました。


この話は結局何が言いたいのかさっぱり分からない…


そのため初めて自分の中で、話で表現せんとするところが汲み取れた気がした「トニオ・クレエゲル」は特別な思い入れがあるのです。

あらすじを簡潔に説明すると、詩という芸術でこの先生きていこうと夢見る少年トニオの葛藤に満ちた人生を描いた作品です。

芸術の価値は、基本的に実生活的な利益とは離れたところにあります。そのことからくる、俗生活への羨望と芸術への憧れの間で揺れる葛藤。

読んでいて、「あ〜、分かる分かる!」と膝を打ちました。

創作気質の人には是非読んでもらいたい作品です。トニオの孤独な人生がたしかに胸に迫ってくることでしょう。





5位:「エレンディラ」G・ガルシア=マルケス

(Eréndira/ Gabriel García Márquez, コロンビア文学)

ウリセスがテーブルの上のコップに次々とさわると、全部がいろんな色に変わった。「こんなことが起こるのは恋のせいよ」と母親は言った。「相手は誰なの?」


再び登場しましたガルシア=マルケス。『エレンディラ』は短編集のタイトルで、5位に選んだのは最後に収録されている中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」です。(長いので見出しでは省略)


話の内容はタイトルそのまま。砂漠の宮殿で祖母の世話をして暮らす少女エレンディラの悲惨な運命を淡々と語る構成になっています。

この話の見どころは、何と言っても疾走感のある結末部です。あのラストは何度読んでもまさに言葉を失ってしまうので、ぜひ読んでみて下さい。


この短編集に収録されている全ての話に共通しますが、マジックリアリズム(魔術的リアリズム)と言われる彼の真骨頂が思う存分に発揮されています。

老いぼれた天使が庭に落ちてきたり、夜になると海からバラの香りがしてきたり、オレンジの中にダイヤモンドが入っていたりと、彼の話には頻繁に非現実的かつ幻想的なことが登場します。でも、周りの人はそれを当たり前なこととして受け入れているのです。

あくまで基本的には現実世界を描いている(リアリズム)のに、時々「えっ?」と思うこと(マジック)が読者の目の前を通り過ぎ、それでも日常は淡々と続くのです。そのため、読んでいるこちらの現実認識がどこか間違っているのではないかと不思議な感覚にさせられます。


ガルシア=マルケスは「百年の孤独」や「族長の秋」など傑作長編が有名ですが、「マルケス初心者はまずこの『エレンディラ』を読め」と言いたいです。短編集なので読みやすく、かつマジックリアリズムとは何たるかをバッチリ掴むことができるからです。

(とか言っておきながら、自分もまだ紹介した2冊しか読んでいないので早く「百年の孤独」を読みたいのですが、なかなか踏ん切りがつきません…)





4位:「灯台へ」 ヴァージニア・ウルフ

(To The Lighthouse / Virginia Woolf, イギリス文学)

「主体と客体と現実の性質の話だよ」という答え。それじゃあちんぷんかんぷんだわ、と言うと「だったら、調理台のことを考えてみて」とアンドリューは言った、「ただし誰もそこにいない時のをね」


まず正直に言います。自分はこの300ページほどの文庫本1冊を読み切るのに約6ヶ月かかりました。(もちろんその間に他の本を何冊も読んでいますが)

一文一文が重たく、眠気を誘い、残りページ数を確認しては「まだこんなにあるのか…」と軽く絶望する日々。正直、自分にとってこの本は読んでいる最中は「早く終わらないかなぁ」と思うほど合っていない本だと思っていました。そう、読んでいるうちは。


自分にとってこの本は、読み終わってからその魅力が静かに立ち現れてきた、かなり特別な作品です。

これは別にラストで一気に評価が変わったということではありません。読み終えてその本から離れ、別の本に手を出してから「自分にとって『灯台へ』を読んでいた時間はなんて素敵な時間だったのだろう」と痛切に感じたのです。


この話に、大きなストーリー展開はありません。大家族のラムジー一家とその関係者たちが一年のある時期に過ごすスコットランドの孤島。灯台が見えるその島で過ごす彼らの、本当に些細な日常を淡々と描いた作品です。


しかしヴァージニア・ウルフの凄いところは、その何でもない集団生活に潜む人間関係や人生の奥ゆかしさを、"意識の流れ" という独特の技法で存分に描き出す点にあります。

読み始めて驚いたのは、一文のあいだに主語がいつの間にか変わっている場合が多々あること。また、誰が思った事なのか曖昧な文が頻繁に差し込まれます。

こうしたウルフの文体こそが"意識の流れ"であり、同じ場所にいる複数人の意識・感情を、個別にではなく総体として描き出そうとしているのだと自分は思っています。


この話は、小説というより一編の長い散文詩のようなものだとも捉えられます。適当に開いたどのページのどの文を切り取っても美しく示唆に富んでおり、はっと驚かされます。もし読書中に気に入った文をメモに取る習慣があったなら、さぞや大変な作業になったことでしょう。


結果的に半年かけて読んだ「灯台へ」ですが、個人的には長い時間をかけて読んで良かったのかな、と思います。あなたも寝る前のあまりに贅沢な睡眠導入本として、枕元に1冊「灯台へ」をいかがでしょうか。





3位:「飛ぶ教室」エーリヒ・ケストナー

(Das fliegende Klassenzimmer / Erich Kästner, ドイツ文学)

「も・ち・ろ・ん!」みんなが声を合わせて合言葉を口にした。フリドリンはハンカチを結んでいる負傷した手を差し出して、禁煙さんと握手するなり、とび出していった。ほかの者たちもいっせいに立ち上がった。


この本は、"純文学" のランキングと称したこの記事にはひょっとすると相応しくないのかもしれません。なぜなら、この本は児童文学だからです。

しかしー多くの傑作と呼ばれる児童文学の御多分に洩れずーこの「飛ぶ教室」も、読者が何歳であろうと惹きつけてやまない力を持った作品だと感じます。


ドイツの高等中学校ギムナジウムに通う彼らとともに、読んでいる最中は思いっきり笑い、思いっきり泣きました。

メインのキャラクターである5人の子供たちは、みな個性豊かで愛おしくなります。中でも個人的にはセバスティアンが好きでした。


そして何と言ってもそんなやんちゃな子供たちを見守る2人の大人、「禁煙さん」と「道理さん」(この翻訳のネーミングもたまりません)の存在はこの物語に欠かせません。「NARUTO」で言うところのカカシや自来也のような、児童向け作品での先生ポジションのキャラクターはどうしてこんなにも魅力的なのでしょうか。

彼らのような大人が周りにもいたらと考えるとともに、自分が成長したら彼らのように子供心を忘れない、"良い"大人になりたいものだなぁと思います。

2人とも好きですが、どちらかといえば自分は道理さんの自己犠牲的な生き様が本当にかっこいいと思います。


大人になって大切なことを見失ってしまったあなたに、「飛ぶ教室」を強く薦めます。





2位:「南部高速道路」 フリオ・コルタサル

※岩波文庫『悪魔の涎, 追い求める男』収録

(La autobista del sur / Julio Cortázar,アルゼンチン文学)

本来走るべく作られた機械がまるで密林のようにびっしりと路面を覆い、その密林が人間を閉じ込めているのだから、考えてみればばかげた話だった。


アルゼンチン出身フランス育ちの作家コルタサルによる傑作短編。これは本当にめちゃくちゃ面白いです。「何か海外の面白い短編小説ない?」と聞かれたら迷わずこれを薦めます。ハズレとは言わせません。


タイトル通り、パリへと向かう途中の南部高速道路で起こった渋滞の話

ただの渋滞ではありません。少しも車が進まなくなってから数時間が経ち、数日が経ち、ついには季節まで変わるほど非現実的な大渋滞なのです。

(昨年の映画「ラ・ラ・ランド」冒頭部のもっとヤバいバージョンだと思って下さい)


高速道路での渋滞というよくある日常から、だんだんと非日常に変わっていく様、そしてそれが彼らにとっての日常になっていく様は、読んでいて「こんなのありえない」と思いながらも「本当に起こったらどうしよう」という想像を掻き立てられます。

そして何と言っても、数ヶ月続いた異次元の渋滞が突如として崩れ、何万という車の群が一斉にスピードを上げて進んでいくラストは圧巻。鳥肌ものです。

コルタサルはわずか数十ページのこの短編で、「日常→非日常」と「非日常→日常」という二つの転移を見事に描きしているのです。

あなたも「南部高速道路」を読んで、ラテンアメリカの巨匠による巧みなマジックに "ふりまわされて" みませんか。きっとその後の生活で渋滞に遭遇したら、必ずこの話を思い出すことでしょう。


ちなみに、この短編集はダントツで「南部高速道路」が好きですが、収録されている他の短編のどれもオススメです。他に自分は「占拠された屋敷」が気に入りました。あの不気味でシュールな雰囲気がたまりません。




1位:「ムーン・パレス」 ポール・オースター

(MOON PALACE / Paul Auster, アメリカ文学)

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。


 1位はこの本以外ありえない。単行本500ページを2日で読みきった後、そう確信しました。

この本は上に挙げたこちらのブログのランキングで知りました。100冊中3位にランクインしており、書評で

私が人生の中で最も大切にしている本です。これを読んで、青春小説がより一層好きになりました。ですが、これがベストというのは揺るぎません。

と書かれているのを目にし、「青春小説」という単語に弱い自分はすぐに読むことを決意したのを覚えています。


作者が「わたしが書いた唯一のコメディ」と評するように、確かに後半の展開は少しご都合主義と捉えられてもおかしくありません。しかし、そんなことなど気にならないほど私は夢中で読み耽りました。こんなに物語に没入したのは小学生の時に読んだ『ダレン・シャン』以来ではないかと思うほど。

自分にとって人生の一冊になりました。この本に出会えただけで、今年40冊も読んだ甲斐があったと思えます。


敢えてあらすじについて書くのは控えますが、一つだけ言うならば

「生卵を落としただけであれほど深い絶望を味わうことができる本」は『ムーン・パレス』だけ!

だということです。

あのシーンはほんとにこちらまで主人公マーコと一緒に絶望しました。


青春とは、「子ども」から「大人」へと至る過渡期に訪れる、人生のうちでもっとも輝きと苦しみに溢れた時間のことです。

孤独だったマーコが、数々の数奇な出会いを経て、最終的にどこへたどり着くのか。ぜひあなたの目で確かめてみて下さい。







さて、以上10冊が今年読んだ海外文学の個人的ベスト10になります。読んでから時間が空いていて内容をほぼ忘れているものでも、意外と書きたいことがスラスラ出てきました。

今回はキリよく10冊だけにしましたが、本当はまだまだ気に入った本はたくさんあります。この順位も(1位以外は)かなりテキトーなので、惜しくも選外だった作品もやる気と時間があれば紹介しようと思います。日本文学編も(10作品未満になりそうですが)いつかやります。


前置きで話した自分の文学を読む目的は「名作と言われる小説を読んで、その面白さ(価値)を自分なりに見出す」というようなものでした。

もちろん、すべての小説一般に当てはまるような普遍的な価値はまだ見つかっていませんが、意外と読んでみたら面白かった文学はたくさんありました。


「名作を読む」ことの一つの面白さとして感じたのは、「読む前と読んだ後での、その本に対する印象の変化を楽しむことができる」ことです。

どういうことか、選外でしたが今年の始めごろに読んだサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を例に挙げて説明します。

この話は読む前からずっと作品名だけは知っていました。そして、そのタイトルから勝手に「ライ麦が生い茂る、のどかな畑で追いかけっこをする話なのかなぁ」と思っていました。

しかし読んだことがある人なら分かる通り、作中にライ麦畑など一度も登場せず、むしろニューヨークという都会を舞台にした話が「ライ麦」です。

私はこの本を読んでいて、こうした「前から抱いていたイメージと内容のギャップ」に心底驚かされ、同時にそれを面白いと感じました。この楽しみ方は、タイトルだけなら知っていることの多い名作文学だからこそのものでしょう。

(同じような例に、ヘミングウェイの「老人と海」も挙げられます。題名から何となく「浜辺でヨボヨボのお爺さんが思索に耽る話」だと思っていましたが、むしろ真逆で「心身ともにマッチョな漁師の爺ちゃんが大海原で魚と格闘する話」でした…。)


このほかにも、名作と言われる文学には、そう言われるだけの様々な魅力があります。その全てを語りきることは難しく、さらにこれからもどんどん自分なりの魅力を見出していきたいと思っています。


この記事に触発されて、あなたが少しでも純文学や海外文学に興味を持ってくれたら嬉しいです。紹介した本を読んだら一緒に語りましょう。また、あなたのオススメの文学も教えてほしいです。


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それではまた。



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