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【告知】感傷マゾ研究会に寄稿しました【文フリ】


来週2024/12/1(日)に開催される「東京文学フリマ」にて頒布される『青春ヘラ vol.0』に、17,000字くらいの文章を寄稿しました。お声かけ頂きありがとうございます。締め切り破ってごめんなさい。

"永い自分語り──「感傷マゾ」論、ペシミ論、「負けヒロイン」論、岡田麿里論" というタイトルで、その名の通り、基本的にはひたすら自分語りをしている文章です。

これまで寄稿してきたもののなかで、もっとも手癖で書きました。「○○論」と羅列していますが、しっかりした評論というよりエッセイです。参考文献の出典をちゃんと注釈で示すようなことはしていません。

内容としては、サークル名に冠している「感傷マゾ」概念を今一度振り返って、自分がいかに感傷マゾではないか、を語り、本サークルの代表であるペシミ氏と自分とのオタクとしてのスタンスの違いを考えました。後半では、自分の2次元キャラクターの性癖を語るために、アニメ『負けヒロインが多すぎる!』と岡田麿里作品の比較を雑にやって、雑に終わっています。

この ↑ クソ長い感想文や、他の岡田麿里作品の感想メモで書いたようなことからピックアップして書いたので、わたしのnoteをすべてちゃんと読んでいる方からすれば新規性がなく、そうでない方にとっては何の話をしているのか分かりにくい内容となっています(ダメじゃん!)。

フィクションのキャラクターへのスタンスを、倫理ではなく性癖として宣言したり、わたしがこうして文章によって何らかの意味でそのキャラを称揚する行為に胚胎する自己矛盾構造に言及したりする面は、前回の東京文フリで寄稿させて頂いた「美少女ゲーム」論とも関連するところがあります。続編といってもいいかもしれません。


ちなみに、noteでは特に触れていませんでしたが、わたしが数年前に投稿した「n-bunaとOrangestarは何が違うのか」という文章は、もともとこの『青春ヘラ』の第2号に寄稿させて頂いたものです。

(名義の違いは、内容がボカロ関係かそうでないかでなんとなく使い分けているだけです。深い意味はありません)

あの頃からもう3年以上が経ちました。今回の『青春ヘラ』最終号は、これまでの10冊の歩みを振り返るような、まさに集大成になっているようです。

わたしは2度寄稿しただけの、特に活動に深くコミットしてはいない半-部外者ですが、そういう者として、ここまで活動を継続的に行ってこられたペシミさん及びサークルの方々には尊敬の念を抱いております。これまでお疲れ様でした。

今回わたしは文フリには現地参加できませんが、興味のある方はぜひお買い求めください。通販もあるようです。




~これまでの寄稿お知らせnote~

1年前の東京文フリの寄稿

なお、net stonesさんより全文公開された、江永泉さんの論考の序文にて、わたしの寄稿文に言及して頂いております。本当にありがとうございます。

なお『ビジュアル美少女Vol.2』所収、おどりば「「美少女ゲーム」批評による〈美少女〉ゲームの解体──『フラテルニテ』、『ヒラヒラヒヒル』を例として──」は、江永論考を「非礼に」継承しつつ、ジャンルの在りようにも踏み込む作品論を展開した論でたいへん刺激をうけました。二作それぞれの読解ももちろんですが、個人的には『沙耶の唄』への短いコメントに深い衝撃うけました(私、たぶん独力ではその見解に一生辿り着けなかったので)。

わたしがこの評論を書くきっかけとなった論考の著者に、こうして好意的にご紹介いただき、感無量です。ありがたい限りです。



それではまた。

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