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アニメ『LUPIN the Third -峰不二子という女-』(2012)感想





2022/8/21

岡田麿里シリーズ構成ということで視聴。
人生初のルパン三世。ルパン以外のキャラはほぼ知らない状態で観た。峰不二子も次元大介も名前しか聞いたことがなかったレベル。

第1話から度肝を抜かれた。なんだこのアニメは。作画のタッチもいいし世界観もキマってるし脚本も最初っからド派手にぶっ飛ばしているし、そしてなにより峰不二子という女が魅力的すぎる。ルパンが尻を追っかけている美女のイデア的なキャラらしいことは聞いていたが、本当に、ここまで「ヒロイン(=自分の人生を謳歌する1人の女)」として最高にカッコよくて美しいキャラクターだとは…… 沢城みゆきさん〜〜〜

続く2話(次元大介-チッチョリーナ三角関係回)もめちゃくちゃ良かった。「ハードボイルド」ってこういうことなんだな……と見せつけられる大人の格好良さ。ダンディズム。
作品全体のトーンがアダルティでセクシーで、かつTVシリーズとしてのエンタメに徹していて、何から何まで別格だと思った。

あとオープニング『新・嵐が丘』がマジで最高。ポエトリーリーディングって純粋な音楽としてはあんまり刺さることはないけど、アニメ『峰不二子という女』のOPとしてこれは完璧。映像も素晴らしい。最後のストリングスが盛り上がってタイトルバックで締めるまでのくだりが特にテンション上がりまくる。
エンディングもすごくいい。曲も映像も大好き。


ということで、これはオールタイム・ベストに余裕で食い込んでくるやつだな〜〜と確信しながら観進めたが、回が進むにつれて、正直1, 2話がピークだった感が強くなっていった。ごく単純に、(この作品の)峰不二子がキャラとして好きすぎるので、彼女がたくさん画面に映る回はとても好きで、逆にルパンや次元、石川五右衛門といった他のシリーズレギュラー陣がメインの話になると途端に興味が失せてしまう、というのがある。特に五右衛門のキャラはあまり好みではない。クソ強いけど女に弱く可愛げのあるギャグ要員キャラというのが……うーん……。

1, 2話以外だと4話(オペラ座回)と6話(女子校百合回)が好き。どちらも女と男、あるいは女と女の〈情念〉を振り切って描いているエピソード。脚本を確認したらやっぱりマリーだった。うんうん、絶対マリーだと思ったよ。人間がべつの人間に寄せる重苦しい迷惑な感情のもつれを描くの好きだもんね。

マリーっぽさでいえば、あとで本作オリジナルキャラだと知ってビビった、銭形警部の部下オスカーの造形はわかりやすい。ヘテロ恋愛中心主義によって同性愛(特に男性のそれ)をナチュラルに「異様」なものとして扱いたがる差別的な作家性が良く出ている。峰不二子に嫉妬して「痰壺女」と言いまくるのもねぇ〜〜この語彙選択は完全にマリーですよねぇ〜〜。
同性愛者の〈悲劇〉表象もねぇ〜〜保守的極まりないですよね〜〜。
オスカーや最終話の五右衛門の「女装」もひとつのマリー頻出要素だろう。これは『あの花』の翌年の作品だ。


回が進むごとに微妙になっていった最大の理由は、次第に明かされていく峰不二子の「過去」設定だ。男に裸を見せることをまったく厭わず、かといって男性の都合の良いポルノ的消費対象とするには自律性が高すぎる最高の〈ヒロイン〉。「女」という表象をみずから主体的に選び取ってやりたいように生きる気高いキャラクター。

そんな峰不二子が良かったのに、なにやら彼女のそうした「異常」な性質は、幼少期の虐待監禁・実験対象となった過去によるものなんだとか。……はぁ? ふざけんじゃないよ。そんな形骸的な設定を出されちゃあせっかくの峰不二子が台無しだよ。そういうフィクショナルに都合の良い「理由」がなければ、峰不二子が最高の女でいられないのか。最高の女を、すべては男の歪んだ欲望の産物なのだとして自らの手の内に閉じ込めようとする。「可哀想なヒロイン」なのだと一気に貶めるサイアクの所業ではないか。やめてくれ。峰不二子はそんな弱い人間じゃない。フクロウに見つめられて記憶がフラッシュバックして、典型的な「ヒステリック女」として振る舞う峰不二子なんか見たくない。自分と似た境遇の可哀想な女を強迫的に殺そうとする峰不二子なんて見たくない。作中で峰不二子は「過去にこういうことをされて可哀想な女」として描かれるが、自分からしてみれば「過去にこういうことをされた設定を作られて可哀想な女」だった。


・・・こういうスタンスで観ていたので、いや〜最終話良かった!
1, 2話がピークかなぁと思っていたけど、なんとか持ち直したというか上手く自分好みに着地を決めてくれた。

ようは、わたしのような「峰不二子に可哀想な過去を作るな」「そんな設定をしたがるのは男性的欲望のキモさの最たるものやぞ」という思いはぜんぶ織り込み済みで、まさしくそういう思想に基づいてどんでん返しをする最終話だったのですごく気持ちが良かった。ルパンも「峰不二子、お前はそんな女じゃない」と言ってくれるし、解釈一致でした。そうなんだよ、こんなハリボテの設定なんてぜんぶ嘘っぱちなんだよ。峰不二子はそんな過去がなくとも素で峰不二子だからこそ最高なんだよ。


黒幕のフクロウの正体が、老いた男から女の子に、そしてその母親へと二転三転するのも良かった。最終的にメインストーリーの根底にあるのは、峰不二子ではない可哀想な少女の暴走と、母-娘の関係ということで、これも実に岡田麿里らしい落とし所。高い城の窓から飛び降りて母親のもとを永久に去っていく少女、という画には、のちの『さよならの朝に約束の花をかざろう』のメドメルを幻視した。ヘテロ恋愛中心主義と同じくらい、母娘間の確執もマリーのオブセッションだろうから。あなたは母親として失格だと言われて泣く老婆の姿には、作家の個人的な欲望をも見出してしまいたくなる。これは控えたほうがいい。

そうして母の支配下から抜け出した少女を峰不二子が連れ出して「外の世界」を見せてあげるシーンの美しさよ。ルパンが言うように、峰不二子が少女にしたことはある意味でとてつもなく残酷だ。「可哀想なヒロイン」というお仕着せの設定を着せられていた峰不二子がその衣裳を別の少女に押し付けて、「わたしはあなたのような可哀想なヒロインではない」のだと、裸で海水浴をしながら見せつけるわけだから。

しかし、それと同時に、峰不二子がやったことは、残りわずかしか生きられない少女にとって唯一の救いでもあるのだろう。自分はこうは生きられなかった、理想の〈女〉の在り方を目の当たりにして、彼女と自分を比べて絶望するのではなく、峰不二子に自己投影して、顔の強張りがほどけて安らかな笑みのなかで生を終えられたこと。峰不二子は、そんな無数の少女たちの理想を一身に背負い、そしてそんなものなど何も気にせずに、これからも峰不二子らしく生きていくのだろう。


マリー脚本/シリーズ構成のオリジナルTVアニメ(これもまぁ実質オリジナル作品みたいなもんだよね)のなかで、『峰不二子という女』はかなり完成度の高い傑作だと思う。岡田麿里のこと好きだけど、正直なところ、マリーがこんな凄いアニメに携わっているなんてにわかには信じられない。もちろん、山本沙代監督の腕によるものが大きいだろう。ストーリー面というより、画面設計やキャスティング、絵コンテ演出、作画といったあらゆる面で完成されているアニメなのだから。山本沙代さん、『ユーリ!!! on ICE』の人かぁ〜〜 いい加減観なきゃなぁ〜〜〜。。

(追記:このあと観ました)

傑作回の2話の脚本:三次五子さんは他にまったく情報が出てこないけど、誰の別名義なんだ?? ウテナの白井千秋みたいなもん?


これが人生初「ルパン三世」だったわけだけど、これが初めてで本当に良かった。そもそも岡田麿里が関わってなければ私は一生ルパン三世とは無縁だった可能性が高いわけだが、特にマリーの作家性が十全に発揮できる、「女のイデア」たる峰不二子を中心に据えたシリーズからルパン三世に入ることができて僥倖というほかない。

これを機に、ほかのルパン三世アニメも観てみたいと思った。カリオストロはさすがに早く観よう。ほかのTVシリーズとかで峰不二子がどのように扱われているのかも気になる。

追記:これ以後、『カリオストロの城』は観ました(クソ退屈でした)が、他のルパン三世TVシリーズは観れていません。たしか6期の第1話だけ見て終わった気がする。




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