仕事に行くまでに

 夜勤の前に図書館に寄り本を読むようにしている。若い頃の私は教養のかけらもないくせにそれに憧れ演じていたクズのような人間だった。
 いつの頃からだろうか、いろんなことに諦めがつくことで心が落ち着き本を読むことに時間を使うことができるようになった。
 車がすれ違うにはギリギリの細い道に入り軽四一台入れると白線いっぱいになるような駐車場に車をそっとねじ込む。嫁のお下がりの車は古く、バックカメラの画像が霞んでいる。
 読書スペースへの扉を開けるとコーヒーの香りがかすかに漂う。ここの図書館はカフェが併設されている。以前から頼んでみたいのだか勇気が出ない。今日こそはと思い読書スペースを見渡すと満席だった。相席であれば座ることもできるがコーヒーを頼むことにすら勇気のいる私に相席などできるはずもなかった。しかし焦りはない、この程度のことならよくあることだ。若い頃なら苛ついたり、相席もできない自分に落ち込んだりしたものだが、40歳も過ぎた今ではそんなエネルギーも残っていないのだ。
 切り替えてポケモンgoをやることにする。子供がやり始めてから一緒にやるようになったこのゲームに助けられることになった。
 滞在時間2分の図書館を後にし、冬の晴れ間の心地よい世界にポケモンをゲットしに行く私の気分はサトシのように盛り上がっている。しかしその盛り上がりは一瞬にして暗転することになった。隣の公園にはスケボーに勤しむ若者がたむろしている。いくら晴れているからといってもまだ寒い。そんな中、黒のタンクトップでスケボーをしているのだ。陽キャ度合いが高すぎる。近づくことなどできるはずもない、陰キャだった私にはその姿があまりに眩しく私の影がより濃く見えるからだ。
 不意に若い頃の記憶が蘇る。普段ゲームしかしていない友人と一緒に、憧れていたダンスとスケボーに挑戦しようと意気投合したのだ。しかし人の見た目ばかり気にする私達にダンスなどできるはずもなく、人目につかない練習場所を探すだけで終わり、スケボーはどうすればジャンプできるのか分からず、ただ板の上でジャンプしているだけだった。地に足がついていない私達にはスケボーの板もついてこなかったのだろう。スケボーはその後、何年にも渡り友人宅の玄関で朽ちていくことになった。遊びに行くたびそれを見て私はたまらない気持ちになり、次第に疎遠になった。玄関にあった緑色に汚れた水槽で飼っていた金魚かなにかがやけに鮮明に脳裏に映し出された。
 結局、私はその公園を避けて近くの駅までお散歩おこうを使いガラル3鳥をゲットすべく歩きだした。が、出ない。出るのはポッポ、ヤドン、マンキーだ。いい年したおっさんがうつむきながらスマホをいじり歩く。ガラル3鳥は今日も出ない。土曜日だから休みなのだろうか?なんとかしてくれナイアンテック!
 周りのジムは青ばかり、思うのだか赤が少なすぎる。なんとかしてくれナイアンテック!
 そんなこんなで仕事の時間が迫っている。車に乗り込み細い道を駆けていく。ラジオからは福山の耳触りのいい声が聴こえていた。

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