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私がコーチングを学ばない理由。

コーチング、という言葉を初めて知ったのは、
昨年の秋、休職に入った頃だった。

インスタグラムでずっと応援していた先生が退職をし、
コーチとしての仕事を始めた、とのこと。
そのかたに3ヶ月の継続セッションをお願いし、
2週間に1度のzoomセッション、毎日書くノートへのフィードバック、
「LINE無制限」というパックを選んでいたので、他の相談にものってもらった。
このコーチングでは、自分の「過去」と向き合い、「リトルなのはな」を愛することができるようになった。
コーチのことが大好きになり、新幹線に乗って直接お会いしに行ったくらいだ。

復職に失敗し、すがるような気持ちでSHElikes入会。
そこでも「コーチング」が待っていた。
月に1度を目安に、自分の今までとこれから、そして心の内側を深掘りできる時間。
こちらのコーチングは「未来」と向き合う時間。

私はコーチングを受けるのが大好きだ。



最近、2つ、3つ、年齢が下の方と話すことが多い。

その度に、ありがたいことに、
「なのはなさん、って、コーチでしたっけ?」
と聴いていただけることがある。
もちろん直接顔を合わせているので、さすがに
「なのはなさんって話聞くの下手ですね」
と、面と向かっては言えないだろうけど、笑。
それでも、一生懸命話してくださる方の話を、私なりに一生懸命(でも、とっても楽しく)聞いているつもりだから、
そう言ってもらえるのはうれしい。
最近、褒め言葉は全部受け止めるようにしているので。えへ。

そして「コーチを目指したり、しないんですか?」
「コーチングの勉強、してそうなのに。」とも、
ありがたいこと聞いていただけることがある。

ここだけの話、実は、コーチを仕事にしようかな、と
思ったこともあった。

でも、今は、「コーチングを学ばない」と、
心に決めて、毎日過ごしている。

それはなぜか、簡単に書いてみようと思う。

私がコーチングを学ばない理由。

①あくまでも「クライアント」でいたいから。

クライアント、つまり「受ける側」でいたい。
コーチングには、魔力があると思っていて、
あの時間は、魔法にかかっていると思っていて。
多分私は、この魔法を、かけるよりもかけられる方が好きだから。

②ネタバレを見てしまったような気持ちになるから。

あくまでも、「外の人」でいたいな、と。
今後、コーチングを受けるときに、メソッドや仕組み、カラクリを知ってしまったら、
「あ、今、このコーチは、こういう思考転換を促そうとしたんだな」とか、
「この質問にはこういう意図があるんだろうな」とか、
野暮なことばかり考えて、セッションに集中できなくなりそうだから。
もちろん、コーチは皆さんきちんとお勉強されて修行されている方ばかりなので、
私が少し学んだくらいでは太刀打ちできないくらいの、
超越した魔法を見せてくれるとは思うのだけど。
ほんの一瞬でもそういう雑念が入った状態で受けたくない、って思ったから。

③あくまでも本業が「ティーチング」だから。

この前、noteを書く会メンバーのめぐちゃんとお話をしていた時に、
「コーチにも向き不向きがある」という話になった。
コーチング、と比較されるものに、カウンセリングや、コンサル、ティーチングがある。
それぞれ、似ているようで、本質は全く異なるものである。

めぐちゃんはコンサル向き、私は結局ティーチング向きなのだ、と、
お互いに意気投合した。

どうしても、「こうしたら楽かもよ?」というお節介なアドバイスが口をついて出てきてしまうのが、私の性だ。
また、教師の世界には「発問」という概念があり、
児童生徒に問いかけることで、思考を促すことができる、
いわば、魔法の一言、である。
これだけを抽出して研究することもあるくらい、授業場面でかなり重要視されているもの。
多分私は、この技術を、
誰かの話を聞くときに、無意識に応用しているのだと思う。

あくまで私のものは発問で、コーチがしてくれるのは質問だから、
これもやはり本質が違う。

どちらにもセンスのない私だけど、
どちらかというと「発問」の方が、
好き、なんだろうなぁ、と思った。

魔法のタネを知らずに生きていきたい

再三書いているが、私はコーチングを受けるのが大好きだ。
自分では気づかなかった思いに気づいて、
1人ではできないくらい、クタクタになるまで考えて、
その後ぐっすり眠れて。

脳のマッサージ、と思ったこともあるし、
心の分解掃除に感じたこともある。

だけどやっぱり、私にとっては「魔法の時間」だから。
その時間を大切にしたいから、
あくまでも私は「コーチではない人」として
これからも生きていこうと、そう思ってます。



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