頑張ることはあの人のためを思うこと
いったいなんのために頑張っているのでしょうか。
頑張って毎日メモをとって、頭の中からなけなしの思考をしぼり出す。
頑張って毎日筋トレや食事制限をして、すこしでも痩せはしないかと体重計に目をこらす。
頑張って毎月ネイルサロンや美容室に行って、最低限の身だしなみに時間とお金を費やす。
けれど、その成果はろくでもないように思えます。
懸命にしぼり出した思考をnoteにまとめても、読んでくれる人は多くありません。
にらみつける体重計の数字はほとんど変わりませんし、手入れした身だしなみを褒めてくれる人がいるわけでもありません。
そうするともう頑張りたくなくなって、頑張ることが時間の無駄にすら思えてしまって
「今日はnoteをさぼってしまおう」
「今日はお菓子をたくさん食べちゃおう」
「もうネイルなんてやめてしまおうかな」
そんなことばかりが頭をよぎって、どんどんネガティブになっていきます。
そもそも、頑張るってなんなのでしょう。
続けること?努力すること?無理をすること?
「自分のために頑張る」という言葉をよく耳にしますが、本当にそれは正しいのでしょうか。
頑張って考えをめぐらせるのは、それを伝えたいだれかがいるからではないですか?
頑張ってダイエットや自分磨きをするのは、「スタイルがいいな」「綺麗だな」ってだれかに思ってもらいたいからではないでしょうか?
これって本当に自分のためですか?
自分のためという理由だけで頑張れますか?
答えはノーだと思います。
私はあるとき、10kgものダイエットに成功したことがありました。
きっかけはある声優さんの大ファンになったことです。
その方は頻繁にイベントやライブを開催していて、ときには直接お話する機会さえありました。
大好きな人に会うのなら、そのときが最上級の私でいなくては。
大好きな人のファンとして、恥ずかしくない身だしなみや振る舞いをしなくては。
そう強く思っていた私は
「来月の握手会までに1kg痩せる」
「再来月のライブまでに2kg痩せる」
そんな目標をすえてダイエットに励みました。
緻密なカロリー制限をして、毎晩筋トレで汗を流して、やったことというとその程度のことですが、これを継続するにはけっこうな精神力がいります。
この精神力を維持してパワーアップさせるには、大好きな人への気持ちがとにかく重要でした。
おそらく、自分の健康のためとか、太ることへの不安を軽減するためとか、気持ちの向けどころが自分自身だったとしたら
「どうせだれもそんなこと望んでないからもういいや」
と投げ出してしまったと思います。
「『あの声優にはだらしないファンがついている』なんて思われてはいけない。きれいになることは、大好きな人を応援する方法のひとつなんだ。声優さん本人だって、きれいでかわいいファンが多いほうがうれしいに決まっている」
そうして、1年で10kgものダイエットに成功したのです。
私が大好きな声優さんのために痩せられたように、頑張るには“だれかのため”というのがなくてはならないのだと思います。
自分のためだけでは頑張り抜けないのだと思います。
かくいう今の私には“だれかのため”が欠けています。
noteを書くときも、読んでほしいだれかを考えたことはありません。
ダイエットや自分磨きをしても、それを見せたいだれかなんていません。
「noteを書けば、私の薄弱な思考力が向上するかもしれない」
「ダイエットをしなくては私がいちばん恐れている体重に達してしまう」
「髪を染めてネイルをかわいくすれば私のご機嫌がよくなるかもしれない」
そうやって、いつも自分のためだけに頑張ろうとしているのです。
そんなことだから頑張ることを強く意識してしまうし、頑張る意味を求めてしまいます。
本当に頑張らなくてはいけないときって、そんなこと考えもしないと思うのです。
だから、なにか頑張りたいことができたときには、なぜ頑張りたいのか、なんのため、だれのために頑張りたいのかをきちんと考えてみたいと思います。
そうすれば、美容室に行くのがおっくうなこの気分が、きっと晴れやかになる気がするから。
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