エッセイ(生と死)
この歳になると考えることがある。
死とは何か。
生きるとは何か。
今現在、幸いにも、身体の大きな病気や生命の危機を脅かされることはなく、まだ、自分にとって『死』は身近にない。
しかし、かと言って『生』の実感も、あまりない。
いや、死が身近にないからこそ、
生の実感がないのかもしれない。
そして人生において『安心、安全、安定』がいちばんの理想だが、それは建前であって、本音では、ほんのちょっぴり、死ぬかもしれないような極限のスリルに憧れる気持ちもある。
生きるとは何か。なんのために生きてるのか。
涼しくなり始めた、秋の始まりの夜、考えてしまう。
(生命の危機が脅かされる『冬』の足跡が聞こえてきたという、生物的本能だろうか)
しかし、思うに、もし、前進も後退もしない、全く同じ一日が続いたとしたならば、それは死んだ一日だと思う。
ただ、心の臓の鼓動を無駄に刻んだだけの一日。
でも、そんな一日の積み重ねが『生きる』ということだとしたら?
もしそうだとしたら、逆に考えれば(死は生の対極にあると仮定したならば)、本当の死とは、前進あるいは後進が始まった一日かもしれない。
難しい問題である。
答えは出そうにない。
とりあえず寝よう。
めいっぱい、寝よう。
起きたら、世界が変わっているかもしれないから。
ほんのちょっぴり、そんな奇跡を期待して。
というわけで、おやすみなさい。
素晴らしい世界!