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映画『最強のふたり』で学ぶ「シグナリング」
この記事では,みなさんと映画をベースに社会科学の概念を学んでいきます.ぜひ,映画を見てこのノートを読み,学術的背景に目を凝らしながら楽しんでください.
このノートでは,「統計的差別 その2」編に引き続き,映画『最強のふたり』を題材にします.重複するシーンもありますので,映画の詳細はそちらを確認してください.
「経験は?」
(本編8分ごろから)
そわそわと面接を待つ多くの人からシーンが始まります.各人の面接シーンでは,秘書のマガリーが「経験は?」と聞くと様々な経験を述べます.介護経験やそうではない経験まで多様です.
そんな中,長い待ち時間にイラついて割り込んだドリスは,フィリップと話し始めます.ドリスはフィリップに体を向き直しながら座ると,ジョークのやり取りをして不採用にサインをするように申し出ます(統計的差別 その2を参照してください).
面接で何をアピールする?
面接で何をアピールするかはいつでも悩みモノです.バイトだろうと就活だろうと,いつでも「面接では何聞かれるのかな,何を話そうかな?」と考えるものです.
しかし,話すことは大体決まっています.要は「自分がその職にふさわしい」ということを伝えたいわけです.映画『最強のふたり』冒頭の面接シーンの中では,さまざまな経験が述べられています.
「超高齢の婦人を看取った」
「役所の書類を書くのは得意」
「介護資格があります」
……
このような経験(職歴)や資格の有無を面接で伝えるのはなぜでしょうか? それはもちろん「伝えたほうが得だから」です.能力が高い人はその能力を買って高く雇われるでしょう.だからこそ「自分には能力・経験がある」と伝えたいわけです.
ここでは自分の情報を,自分の情報を知らない面接相手に対して伝えることをシグナリングと言います.この時,相手に伝える情報をシグナルと呼びます.通常,シグナルはコストのかかる行動・経験・資格を用います.たとえば介護資格であれば,わざわざお金と時間をかけて介護資格を手に入れたからには,十分な介護能力があるはずだ,という判断になるわけです.
しかし,ここで冷静に考えてみてください.「資格」と「能力」は対応しているのでしょうか? 必ずしもそうではありませんよね.調理師免許を持っていても,まずい料理を作ることはありますし,自動車免許を持っていても,運転がうまいとは限りません.つまり,介護資格を持っていたとしても,介護能力の高さを保証することはないはずです.
しかし,シグナリングが機能すれば,能力の有無・高低にかかわらず資格の有無によってのみ給料の高低が決まります.この理由を最も身近な資格の一つ「大学卒業(学士)」を例に考えてみましょう.
なぜ学歴によって給料が異なるのか?
みなさんは仕事を探すときに就活サイトや情報誌,ハローワーク等にある求人票・求人記事を見ると思います.そこでまず見るのは給与の欄ですよね.
さて,たいてい給与の欄には,いくつかの金額が書かれています.給与の違いは学歴によってもたらされていることが多いのではないでしょうか.たとえば,大卒25万,高卒20万円というふうにです.
実際,初任給を見ても学歴によって大きな差があります.厚生労働省の「賃金構造基本調査」によれば,2019年の初任給では以下のように学歴によって給料に差があります.
大学院修士課程修了:約23万9千円
大学卒:約21万円
高専・短大卒:約18万4千円
高校卒:約16万7千円
しかし冷静に考えれば,学歴によって給料が変わるのは不思議なものです.高卒と大卒の間との差はついた職業によって説明されるかもしれませんが,同じ会社に入った新入社員で,やる仕事も同じなのに学部卒と修士卒で約2万円ちがうのは,少し不思議に感じませんか?
この学歴による給料の違いはシグナリングによって説明できます.結論を先取りすれば.「そんな当たり前のことに何疑問を持ってるの?」と思ったあなたの考えが,この構造を支える一助となっています.
シグナリングは次の2つの条件が成立する場合に起こります.
1. 雇用側がシグナル(学歴)によって能力(生産性等)が異なると信じていること(信念の合理性)
2. 能力の高い求職者が大学に行き,能力の低い求職者は大学に行かないことが最適であること(誘因整合性)
条件1が示すのは,雇う側が「大卒の人間は必ず能力が高く,高卒の人間は必ず能力が低い」と考えていることです.ここでのポイントは「事実はそうでなくてもよい」ということです.ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブスも高卒なので,「学歴と能力の関係は絶対的ではないだろう」と思うかもしれませんが,企業として学歴(見えるもの)と能力(見えないもの)が明確に結びついている,と考えるだけで十分なのです.
条件2は,求職者側の条件です.通常,大学へ行くのはコストがかかる行為です(いったい誰が好き好んでお金を払って大学に行き,90分×数百回の授業という苦行を受けるのでしょうか).しかし,能力によってコストが変わることは想像にたやすいのではないのでしょうか? 要するに,能力の高い人は大学を苦労することなく卒業し,能力の低い人は大学を卒業するのに苦労する,ということです.
企業は能力の高い人には高い給料を払ってくれるでしょう.しかし,いま企業は能力の高低を学歴の有無で確認しています(条件1).なので,大卒=高給を得ることになります.ここで問題は「大卒のコストを補えるほどの高い給料か?」ということです.条件2が述べているのは,以下のようなことです.
・能力の高い人は低いコストで大学を卒業して,高給を受けて得をする.
・能力の低い人は,高いコストで大学を卒業をし,高給を受けても損をするので,そもそも大学にいかない.
ここで,重要なのは求職者が能力の高さ(見えないもの)を大卒という学歴(シグナル,見えるもの)によって,情報を持たない企業に伝えようとしていることです.これは形式的にはスクリーニングと同じであることがわかるでしょうか? コストのかかる行動によって特性などの見えない情報をつかむことは同じで,違うのはただ一つ,情報の向きです.スクリーニングは情報を持たない人が情報を探るために行いますが,シグナリングは情報を持つ人が,情報を持たない人に向かって情報を送っています.情報を得る構図はだいたい同じなのでしょう.
「サークルの副リーダー」が刺さらない理由と,
ドリスの面接がフィリップに刺さった理由
就活の面接でよく聞く話(ネタ?)として,「サークルの副リーダーをアピールしてくる就活生が多い」ということを聞きます.就活生側としてはリーダーシップがあることを伝えたい,という意図があるようです.しかし,これがある種の笑い話になるのは「採用側は「またか」程度にしか思ってない」というところにあります.つまり,「副リーダー」というシグナルは,ありふれすぎて機能しない,ということです.シグナルには一定程度の「希少性」が必要になります.
ここで『最強のふたり』に話を戻しましょう.結果的にドリスは「面接」を通じて採用されたことになります.ドリスは面接で典型的に話されるような動機や自身の職業上の経験などを話していません.しかし,フィリップはたった数分の面接でドリスを採用するに至ります.フィリップはなぜドリスを採用したのでしょうか?
フィリップからその理由が語られるのは,本編34分30秒ごろのシーンです.フィリップは富豪仲間に呼び出され,なぜドリスを雇ったか尋ねられ,このように返します.
そこがいい.容赦ないところがね.私の状態を忘れて電話を差し出す.彼は私に同情していない.
もちろん,これはドリスを採用して少ししてからのセリフなわけですが,面接の場でもその片鱗が見えます.ドリスが(ある種無意識のうちに)発していたシグナルを敏感にもフィリップが感じ取りました.
それは対話です.ほかの候補者は,秘書のマガリーにのみ話かけていました.本人が真後ろにいるのが見えているにも関わらず,マガリーに(一方的に)フィリップではなく「障害者に向き合う自分」を話していました.これはありふれたシグナルですし,フィリップの目に留まるはずもありません.彼は障害者として同情されることを最も嫌っています.
しかし,ドリスは面接会場に入って早々に,フィリップと直接話し始めます.わざわざ椅子を動かして体ごと向けて話しています.これがフィリップには最高のシグナルだったのでしょう.容赦のなさ,つまり人種や障害の有無などすべての社会的属性をすべてすっ飛ばして話ができることが最大のシグナルに見えたのでしょう.
今回の話は,情報の経済学という分野に属します.ご興味のある方はこちらのテキストを読んで理解を深めるとよいでしょう.
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