復職面談と新たな配属先
復職トレーニングも終盤に差しかかり、いよいよ本格復帰が迫ってきました。トレーニング期間中は会社に行って、PC触って、先輩たちとランチして、帰るだけだったので、終わりが見えてくるとソワソワが勝ってきます。
定期的に人事や部長との面談があり、出来れば東京の残りたいという事は伝えていました。何もせず中途半端に去るのは嫌だった気持ちと、迷惑かけた先輩たちに挽回できるチャンスが欲しい、という感情からの判断でしたが、決めるのはあくまで会社です。
復職トレーニング中の僕の様子や面談での受け答え、社内の状況など色々な点を鑑みながら、人事や該当するマネージャーの方々が水面下で調整に動く。復職トレーニングも残り数日というタイミングで、本格復帰についての面談が唐突に設定されました。
これまた、復職トレーニング初日と同様に心臓バクバクで会議室に向かいます。部長と人事の担当者が座っていて、僕が席について少しアイスブレイクをした後に復帰先の部署を発表。大阪への転勤と既存顧客対応をする部門への配属を言い渡されました。
正直、この話を聞いた瞬間、ほっとしました。自ら「東京に残りたいです」と言うてたものの、本当は強がっていただけで、それを人事や会社の皆さんも見抜いていたのだと思います。また、適応障害という内容から、同じ環境で働くことへのリスクも考えた上での判断だったのではないかなと。
とにかく、ほっとした自分がいたし、水の合わなかった東京を離れて大阪で心機一転「頑張ろう」という気持ちが湧いて出てきます。東京に残りたい気持ちがゼロになった訳ではありませんでしたが、あの厳しい環境で再スタートを切れる自信までは持てていなかったし、自分の弱さを受け入れるしかありません。
大阪への転勤が決まり、確かこの発表は東京営業所のメンバーに朝礼で共有させてもらったと思います。部長から発表があり、僕もドキドキしながら一言二言喋って終わるくらい。先輩たちも驚いたようでしたが、みなさん多忙を極めていたので、朝礼が終わるとすぐに仕事モードに切り替わります。
もちろん送別会も無く、転勤と決まれば引っ越しの段取りを急いでしなければいけません。やはり、関西がホームだと感じていたので、気持ちはかなり前向きになっていました。親族や友達にも大阪へ戻ることを伝えると、好意的な反応が多かった。
送別会はありませんでしたが、僕のことを最後まで支えてくれたマネージャーが最後飲みに連れていってくれました。色々な話をしてもらえたし、自分に力が無くゴメン、と謝ってもいただけました。大阪へ行っても仕事で関われる機会がある部署だったので、少しでも恩返しができるよう頑張ろうと、心に決める。
弾丸で大阪にも行って新居を決め、東京でひたすら荷造りや退去手続き。一旦は大阪でも復職トレーニングをする決まりになっていましたが、環境が変わる事で気持ちもかなり前向きになっています。先のことが明確になったことで「働きたい」という気持ちがどんどん強まっていくなか、激しかった時間を過ごした東京から逃げるように去っていったのでした。