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二十四節気【大寒】

二十四節気【大寒】
(1月20日〜2月2日頃)

冷え込みが厳しく、一年で最も寒い頃です。
一年の最低気温もこの時期に記録されることが多いようです。
「大寒」は二十四節気の最後の節気で、節分が明ければ暦の上では春になります。

ひとつ前の節気の「小寒」と「大寒」の約1ヶ月間は「寒の内」「寒中」と呼ばれ、「寒稽古」や「寒中水泳」など、昔から様々な行事が行われてきました。
また季節の挨拶、年賀状の返礼、喪中の方へのご挨拶に出す「寒中見舞い」もこの時期です。

大寒の朝に汲んだ水は雑菌が繁殖しにくいと言われており、寒中の「寒の水」で仕込んだ「寒仕込み」の酒や醤油、味噌などは発酵がゆっくりと進むため、品質の良いものができると言われています。

また、「大寒」の時期に生まれた卵は「大寒卵」と呼ばれます。

卵明舎さんの大寒卵


現代では鶏は一年中卵を産みますが、昔は寒い時期にはなかなか卵を産まなかったため、寒い時期に生まれる卵は大変貴重なものでした。
大寒に生んだ卵は滋養があると考えられ、縁起物として扱われました。

大寒の頃に咲く花、蝋梅(ろうばい)、水仙、梅、山茶花(さざんか)

寒い季節に雪の中でも花を咲かせるので「寒中の四花」とも呼ばれています。

《旬、季節のもの》
赤貝 わかさぎ めひかり
小松菜 水菜(京菜)
南天 福寿草 金柑
ジョウビタキ

今年も早くも福寿草が咲きました

★★★★★★★★

【七十二候】

◼️大寒/初侯『款冬華(ふきのはなさく)』
(1月20日頃 )

ふきのとうが顔をだし始める頃。


「款冬」とはふきのことで、ふきの花茎がふきのとうです。
香りとほろ苦い風味に早春の訪れを感じさせてくれます。

「二十日正月」
1月20日を「二十日正月」といい、正月の祝い納めをする日です。
鏡開きも元々はこの日に行っていましたが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日に鏡開きをするようになったといわれています。
正月料理や餅を食べつくす風習が残っており、正月用の鰤や鮭の骨や頭など、残った部分と酒粕や大豆、野菜などと煮て食べることから「骨正月」ともいわれていました。
栃木のソウルフードの「しもつかれ」もその風習からきていると思われます。

◼️大寒/次侯
『水沢腹堅(さわみずこおりつめる)』(1月25日頃 )

沢に氷が厚く張りつめる頃。「腹」という字には厚いという意味もあり、沢に流れる水さえも厚く凍るほどの厳しい寒さが続きます。


奥日光竜頭の滝

「最低気温記録」
日本での最低気温マイナス41度が旭川市で明治35年1月25日に記録されました。

◼️大寒/末侯
『鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)』(1月30日頃)

鶏が鳥屋(とや)に入って卵を産み始める頃。
「乳」には産むという意味もあります。
本来、鶏は冬には産卵せず、春が近づくと卵を産み始めました。
古来、鶏は夜明けを告げる鳥として尊ばれてきましたが、
その鶏が生命の象徴である卵を産むというところで、七十二侯が締めくくられています。
さまざまな生命が誕生する春はもう間近です。

「節分」(今年は2月2日)
節分は「季節を分ける」という言葉が由来となっています。
昔は季節の変わり目にあたる「立春、立夏、立秋、立冬」のそれぞれの前日を節分と呼んでいましたが、旧暦では春が新年の象徴だったため、節分といえば立春の前日を指すようになったそうです。
立春前日の節分は大晦日にあたります。

「季節の変わり目は邪気が入りやすい」と考えられていました。
また、この時期はまだまだ寒く体調を崩しやすいことから
「陰(おに)」と呼んでいた陰気(邪気)を祓い、心身を清めて春を迎えるため
、豆をまいて一年間の無病息災を願う「節分」という行事が広まりました。
昔から穀物には霊力が宿ると考えられて、福豆は邪気をはらうと考えられてきました。

「恵方参り」
冬至から節分までの期間に
その年に幸せを司る「歳徳神(としとくじん)」という女神様がいらっしゃる「恵方」と呼ばれる方角にある神社に恵方参りをするのが良いとされています。
ちなみに今年の恵方は「西南西やや西 255度」の方角になります。

★★★★★★★★★★

大寒の次は「立春」となり、暦の上では春の始まりです。

本格的な春が到来するのはまだまだ先ですが、日の光に少しずつ力強さを感じられる日が増えてくるでしょう。

春を待ちわびながら、暖かくしてお過ごしください^_^

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