ガバナンスとはなんぞや?

仕事柄、「ガバナンス」というワードを頻繁に耳にする。だが、そのワードを聞くたびに表題の疑問が思い浮かぶ。

「ガバナンス」とは一般的には「統治すること」やそれに係るあらゆる活動を指すことが多い。この意味が厄介の元だろう。

「統治」そのものは手続きというより、その結果を表す言葉であると思っている。となると、この言葉は結果に至るための肝心なプロセスは説明しない。そこに解釈の余地が生まれ、結果、話者の「ぼくがかんがえるさいきょうガバナンス」が補完される。ここに疑問符が生まれる。

国家は国民や他国に対し何らかの意思を強制させる手段として暴力(警察,軍隊)を保持している。20世紀のナチスドイツなんかはその典型だろう。ここでは暴力は統治の手段であると言える。これは現代でも有効だ.

社会主義国家,旧ソ連では物資やサービスの供給が全て国家により管理されたことで「働いても働かなくてもリターンは一緒」という状況であった.一民間人はよほど奇特な人でない限り,進んで労働をするというインセンティブはなかった.これを共産主義国家の崩壊の理由と解く主張をよく見かけるが,どうやらそうではないらしい.労働に従事しない民間人は国家により処罰されたため,労働のインセンティブはむしろ高かったという主張もある(参照:ビットコインスタンダード)
ここでも,国家による暴力が統治(ここでは国家の維持のために民間人に労働を強いること)の手段であったとわかる.

一方で企業もしくは企業群を統治する文脈で「コーポレートガバナンス」という言葉が使われることもある。ここでは暴力が統治の手段になることはまず無い。また当然ではあるがコーポレートガバナンスといっても企業毎に取り組み内容やその程度には差異が存在する。

上場企業においては投資家向けのレポートにて決算や財務状況などと並び、今後の事業戦略を提示する。ここでもガバナンス強化と称する施策が紹介されるが、それもやはり内部統制徹底体制構築から、従業員のエンゲージメント向上施策,国際規格の認証取得などばらつきが見られる。

「まあガバナンスっぽいんだけど、それで必要十分なのかなあ?」とモヤモヤする。


このモヤモヤの解消に必要なのは「貴方は何を以てガバナンスが効いていることにしているんですか?」という問いに対するアンサーの有無ではないだろうか。
それも単に質問に回答できれば良いというものではなくそれには回答する組織としての一貫性がないといけない。つまり回答内容がしっかりと定義され、文書化・維持されていることではないだろうか。
平たくいうと,「うちはこれこれができれば統治できているということにしています」の”これこれ”に相当する部分に芯が通ったものがあるのか,ということである.

問の答えが「何が何でも国民に我々の意図を強制することができてれば良い」ということでれば統治の手段として暴力が浮上するし、「事業継続のための各種ベンチマーク(A部門ではaa、B部門ではbb等々)をクリアする事」となると、「じゃあ品質事故の発生件数を年間XX件に抑えるための活動をしよう。」といった具体的な活動が見えてくる。

この軸を持たずして「〇〇をやってるからうちはガバナンスが効いてます」だとか、「ガバナンス強化として〇〇をやります」と言われたところで
「〇〇は確かに統治の手段にはなりうるけど、それは統治された状態というゴールに対してどう・どれくらい寄与するかわからないよね」であったり「まあ〇〇はガバナンス感はあるけど、うちの組織にはそれをやることを課している文書化された規定はどこにも無いよ。詰まるところ、それはただのあなたのお気持ちですよね。(規定も変えようと言う議論であれば別)」ということが起こりうる。

というか,自分に周囲ですでに起こっている。「ガバナンス強化」と称し何かをしようとするけど、それは組織のビジョン、方針、戦略、戦術等々として規定されておらず、よーーく事情を伺うとその正体は「役員に〇〇するって言われたから、なんとかしろ」でしかなかったというものだ。これまさに「何を言うかではなく,誰が言うかが優先される組織のそれ」である.

そこから展開される施策は近視眼的で一貫性はない,それでいてバリューを伴わない”やった感”だけ生まれる.中間管理職は白とも黒とも言わない曖昧サラリーマン構文を巧みに使い,役員にこれを報告.役員はご満悦である.現場は良くて何も変わらず,大抵,何かしらの負の遺産を負う.(その活動に従事しなければ生み出せていたバリューという機械費用も含む)

「それって鶴の一声にひれ伏しているだけじゃん、雰囲気似非ガバナンス,昨日と今日で言っていることが変わると、それこそガバナンスもクソもない状態じゃないの?」と言いたくなるし,社会人フィルターを通して(翻訳して)主張するが響く様子もない。

さてどうしたものか。。。鶴の顔色を伺うことが至上命題になっている人間とはなかなか話が合わず、解決の糸口は見えない。

"ガバナンス"に限らず、語義は結果を表すものであり、それに至るには何かしらの過程が必要、かつ、その過程の設定や実行こそが肝要だ、というワードは他にもある気がする。カタカナやアルファベットで表記されるワードによくみられる(DX、働き方改革、ゼロトラストetc...)

そんなワードに出会ったときには,その言葉やその周囲をただよう雰囲気に流されず「それってどういう定義?」と立ち止まれる嗅覚(言葉へのこだわり意識?)が必要ではないだろうか。


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