「日本の教育はコスパ世界一」に喜んでいいのか?
1月5日に開催された「どう読む?どう生かす?PISA2022」というオンラインイベントでの、僕のメインメッセージは「日本の教育はコスパ世界一」に
うかうか喜んでいていいのか?というものだった。
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2022)
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/
「学習到達度が高い=良い」のか?
国際的な学習到達度調査であるPISA2022で、日本は世界トップレベルの結果だった。
要因としては、コロナ禍の休校期間が短かったこと(また夏休みを返上して行った授業)、新学習指導要領に基づく教育の着実な実施等が挙げられている。
私は、もちろんこの成果を否定するつもりはないのだが、それほど「良いこと」だとは思っていない。
一つの事実としてあるだけで「学習到達度が高い=良い」という認識に手放しで喜んでいいとは思わない。
もちろん、一般的には「学習到達度が高い=良い」という認識なのだろうけれど。
学力が豊かさにつながらない国日本
学習到達度が世界トップクラスの日本は、
・子供の精神的幸福度がG7最下位
・自殺率がG7最下位
・重要論文数G7最下位
の国でも有る。
PISAを実施しているOECDの日本生産性本部の資料によると、2022年の時間あたり労働生産性において、日本は調査に参加したOECD加盟38カ国中30位だったそうだ。
日本は、学力が豊かさに繋がらない国とも言えるのである。
そんな中において、日本の教育機関への公的支出は日本は調査に参加したOECD加盟37カ国中36位。
学齢期人口が少ないことが要因として挙げられるが、そもそも就学前教育への投資も十分ではないし、出生数増加への取り組みにも優先度の高さは感じられないので、日本の教育全体に対する支出は多いとは言えないと考えている。
教育の現場感としても、主に人的な面において、カツカツで貧乏くさいなぁと思うことは多々ある。
高い課題解決力を生かすには、課題設定の見直しから
さて、そんな中でのPISA2022の結果。
新聞の一面報道、「日本の教育は間違っていなかった」と沸き立っている人々の声を見聞しながら、なんだか冷めた気持ちになってしまう自分がいた。
今回の報道が、他の報道されない事実を覆い隠すような気がした。
今回の報道に、現場で苦しさを抱える教員に対する配慮より、苦しさを置き去りにして駆り立てるメッセージ性を感じた。
「日本の教育は世界一」それを良いこととするかは慎重に考えたほうが良い。
調査において、数値化できないものは「無いもの」として透明にされる。
しかし少なくとも現場では、それらは全く透明ではない。
今回のPISAの結果で、日本の教育関係者や業界が、結果を出せる人々だということは実証できたと言っていいだろう。
課題解決力は高いことが分かった。
しかし、それが幸福度や豊かさに結びつかないのであれば、見直すべきは課題設定の力なのかもしれない。
全国的な学習到達度向上のかげで消える地方
それともう一つ、イベントの中ではお話できなかったこと。
知識であれ思考であれ、単一の指標における学力調査の結果を左右するのは、階層や人種、家庭の経済状況等における国民全体のミドルクラス化・中流階級知的レベルへの画一化にほかならない。
そして、日本においてそれの中心は、地域差の解消にあった。
日本の学力到達度は、第一次産業従事者の子どもたちの高校進学率の向上にはじまり、専門科高校から普通科高校進学への傾向の移り変わりを経て、飛躍的に向上した。
数年前私が勤めていた福島県の自治体で、全国学調の前に「勢い」の読みを確認するようにとの話が管理層からあった。
数年前、全国的に見て非常に低い正答率だったからだ。
なぜだかお分かりだろうか。
「勢い」の読みを、「いきよい」「いぎおい」と書く児童が非常に多かったのだ。
ちなみに、そこに住む大人はほぼ100%「勢い」を「いきよい」「いぎおい」と発話する。
地方において、単一指標のテスト結果が向上するとは、こういったことの連続なのだ。
そんな福島県の、都市部への人口流出率は、東日本大震災以降も高止まりしたまま全国トップクラスを維持し続けている。
それが、良いのか悪いのか、それは私達が自分の頭で考えていかなければならないことだと思う。
じゃあ、何が良いの?という答えはまだ出ていない。
それを今の仕事で実験、実証中だ。
その成果は、都市部の学校には全く参考にならないかもしれない。
それでもここでやるしかない。
ここでやりたいのだ。