戦争の対義語は 笑い
前回、生きてるだけで幸せ〜みたいなことについて書いたんですけど
「幸せは不幸せっていう概念が存在してるから幸せを感じられる」って言われて
あー確かにー
と思ったわけです。
谷が深ければ深いほどその分高い山を登ることができるとか
失敗があるから成功するとか
ジャンプも背伸びしたままじゃできなくて、一回しゃがむことでジャンプできて、より高いところにいけるとか
他の人の温もりを感じるからこそ、よりほんとに好きな人の大切さを知るとか
悩めば悩むほど面白い企画が生まれるとか
まあそんな波線理論には僕は同意していて、
んじゃあ幸せも不幸せが大きければ幸せも多きくなるかと言われると
うーん。て感じ
ていうのは上にあげたいくつかは全部状態のことなんですよ
谷が深いとか失敗とかしゃがむとか浮気とか悩むとか
全部客観的にというかなんかこう形として状態を言ってると思うんですけど
幸せもたしかに状態なんですけど、幸せって全ての自分の状態をひっくるめたものに対する、自分の感情だと思っていて、いわゆる
感情の番長みたいな笑
でね、その自分の状態に対して不幸せだなって思う必要性はどこにもないと思うんですよ
失敗っていう状態は必要だけれど
それを不幸せと感じる心は別にいらないと思うんですよ
でも自分の心に嘘をつくのは難しいし、たしかに面白くないしつまらないしって思うことがあるけど
感情の番長がそれも幸せなんだよってどっしり構えておけば
まあ、生きてるだけで幸せなんだと思っています。
とかいうまあ結局正解は死んだ後にしか分からないって前回の話に戻されるんですけど笑
んで対義語の話が出たので、次回は
戦争の対義語は笑い
について書きたいと思いますー!!