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(日記代わりに/下書きだけど公開)2025年1月17日 「東京への夜行バスの中で:死者だけが永遠に存続する」
疲れのせいか、帯状疱疹が痛む中、夜行バスで移動中。12月の広島への親友のお見舞いとその後の死と時を同じくして母が倒れ、年明けにはまた別の知人に続き、大学のスタッフさんと4-50代の方々の訃報が連続する。人生50年と思えばそれまでだが、それぞれに無念であったろうと思う。
それに先立ち、彼らの死を予感していたわけではなく、ヘルダーリン研究会から派生した同人誌に『令和哀傷歌』という挽歌詩の草稿を発表していた。詩の発表など学生の頃以来なので、まさに若気の至りの再演。厚顔無恥なる行為だという自覚はある。妹の死、父の死、災害、変化していく街(いわば古い建物や老朽化した施設、閉店した店舗などの比喩的な死と再生)などをベースにしている。令和という年号に特段の意味はないのだが、自分史において昭和は少年期、平成は青年から中年期、令和は中年期から老年に差し掛かりつつあるという区分に、たまたま当てはまった。しかしそのことが自らの周りにまた新たな死を、あるいは死の天使のようなものを呼び寄せてしまったのではないかという、完全に妄想的な多少の慚愧の念もあった。
街が変わっていくように、いやそれよりも密やかに人々の関係や存在のあり様は移り変わっていく。
残された時間は案外短いのかもしれないと思うと、いい知れぬ恐怖が襲ってくる。それくらい自分にはやりたいこと、やり残したことが多々あるのだろう。
死者であることの方が、生物にとってはメジャーな存在の容態であり、一度生まれたものは生きている時間より遥かに長い時を死者として過ごす。どうせずっと死者になるなら、生者のうちに出来ることをしておかねばとは思うが、空しさに抗いつつ超克を企図し意思し何かをする、ということ自体に対する疑念のようなものを消すことができない。
がともかく、今は睡眠という再生に賭けようと思う。おやすみなさい。