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夏、してますか。
仕事柄、欧州の同僚たちとやり取りがあるのだが、月例の会議が8月は無かったり、8月になった途端にやたら自動返信メールが飛び交ったりと、いかにも「始まったな」感が否めない。今年はやるんだ。いいなあ。こっちは無いけどね。パンデミックより何年も前から、大型連休と名のつくブロックは必ず先に違う色で塗り潰されていた。そこに選択権は無い。お前がお前である為の、お前がお前たる所以なのだから。とまではトドメを刺さないが、仕事柄他人が休みの時節に仕事がわんさかやって来る。そして一際高額の時間外手当を貰い、他部署の真っ黒に日焼けして休暇から復帰した社員を一瞥しながら次の現場に赴くのだ。それだけの事だ。
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長い恨み節になってしまったが、冒頭のイメージは同僚から送られてきた暑中見舞いメール。「今年はちょっと短くて、いつもの海沿いのコテージにたった2週間だよお」とは言ってくれるなあ。
彼らはそんなにセレブではないから、友人家族と共同でいつもの貸別荘をワンシーズン押さえて、休暇中はそこでパーティーしたりダラダラしたりして過ごす。案外金は掛からない。親の代から何世代も続く習慣で、コテージや海の家のオーナーとはずっと昔からの知り合い。金をばら撒くような贅沢はしないものの、好きな人とゆっくり過ごすという時間の贅沢や、退屈するまで安らぐといった時間的な余裕を感じられる。
判で押したような観光地を巡ることしかしない日本の観光客なら一日で飽きてしまうような過ごし方かも知れないけどね。
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何のために夏は休むんだろう。
暑いから?
膨大な量の宿題を出される子供たち。せっかく休みで時間があるんだから、勉強しておきなさい、とは先生のエゴではないか。だったら学校開いて授業やってくれ。そもそも1ヶ月くらい勉強しなくなって白痴になりはしない。すぐ取り戻せるよきっと。
とか心の中で悪態をつきつつ、結局は子供の宿題が終わるように叱咤激励し、終わらせるためのスケジューリングを強いる事になるのが毎年の習わしだ。勉強は罰ゲームと考えると途端にやる気を無くすだろうし、そもそも決して罰ゲームではないのだが、おれ自身もそれに気がついたのは相当最近の話だ。
そんな事をしているうちにしたの子(小学校高学年)が妖精さんになってしまった。先月の上の子の時はむしろ親の目を離れてプチ一人暮らしかよ、という風情で自由を満喫していたようだったので、こちらも油断していた。小学生は全く違う。まず誰にも会わない日が続くのが寂しくて仕方ない。最初は素直に寂しいラインを送ってきていたのだが、そのうちふて腐れ、返事も滞りがちになった。いつ寝ていつ起きてるんだか…。熱は最初の数日で治り、あとは膨大な退屈がやって来る。勉強も全くやっていないみたい(元々コツコツやるタイプではない・・・おれに似たんだろうなゴメン)。一週間が経過して止むを得ず、隔離部屋へ乗り込んだ。本来10日間が隔離期間なのだが、いずれ7日間に短縮されるという報道もあるし、もはや無症状の子供が一人部屋でずっと過ごしている事の方が我が家では大変だった。メンタルの心配もあった。妻もかなりキツくなってた。(※もちろん人によりますので、ちゃんと精神的に自立している子なら一人で生活出来るんでしょうけどねえ。)
それからはドアは開放し、時々入って直接話をしたりしながら少しずつ、元の生活に戻る準備をしている。それだけでみんな、ストレスで少し意地になってたのが緩和されたかな。笑顔も増えて宿題も進んだ。画面越しに好き勝手言うのは簡単だが、スマホデビューしたての子供にはまだ酷な世界なのだ。二次感染もあるかも知れないが死ぬ訳じゃないし(たぶん)、おれ的にはもうええわ、という気持ちが勝った。
そんなわけで何を言おうとしたのか忘れてしまったのだが、もうすぐ夏は終わる。希望的な意味も含めて。ただ暑いだけ苦しいだけの夏などさっさと終わってくれればいい。遊びたいのは子供だけではないのだ。