人間大凡塞翁が馬

週のはじめは、ある朝活からはじまる。

寝室のカーテンをあけると、今日も心が洗われる気持ちの良い朝日が差し込む。ベランダの窓をあけて外に出てみる。まぶしい日差しの印象とは異なり、冬らしい目がさめる空気を肌で感じて、布団で温まった体と心がキュッと引きしまる。

いつものようにとあることをチェックをしたら、窓を閉めて部屋に戻る。まずはトイレに向かい、うがいをし、顔を洗い、朝のルーチンを済ましていく。

すっきりした気分で階段を登り、リビングに入る。
再び明るく日差しの差し込む窓に目をむけて、再確認する。
うん、まだだな。

その間にコンロでお湯をわかし、朝の目覚めのお茶を準備していく。
今日は何を飲もうかなぁ、うん、これにしようと、戸棚から目当てのお茶葉を取り出し、湧いたお湯にさっと入れた。

そろそろかなぁと窓に目を向ける。

お、さて出発だ。
火を止めえて、いわゆるパジャマから1マイルウェアに着替えて、家を出る。やっぱり朝日は気持ちい良い。

在宅ワークになってからは、朝の出勤地獄からも解放されて、その代わりに気持ちの良い朝を過ごせるようになって、大分心穏やかな日々を過ごせている。デメリットと言えば、活動量がどうしても減ってしまう。通勤も運動になっていることは間違いない。
(駅や会社までの徒歩、階段の上り降り、乗客同士の陣地合戦など)

この朝の外出は、現在の私にとって良い習慣になったと感じている。
これが始まったのはいつ頃のことだったろう。

それは毎週決まった曜日に起こっていた事象であり、もしかしたらそれは誰かにとっては些細なことかもしれないが、一度不快な感情をもってしまった者に対しては、気にしないようにしよう、と思うことで、ちゃんと心の中に積み重なってくるものだ。また、その事象に対して、終わりが見えないと思えることがさらに気持ちを落ち込ませる。

その日が来ることは少なからず気持ちへ影を落とし、そんな期待を裏切らずそれはちゃんとやってくる。そう何かの外的要因で気持ちを煩わされる日々は精神衛生上よくない、だったら何か改善策を実行していこうと思い立ち、ある日少しの勇気を出して、朝から行動をしたみたところ、その結果得たことはこの逆ギレだった。

「うっせぇな!!関係ぇないだろうが!!!
 うっさい、うっさい、うっさい」

その事象は、毎週おとずれ、一度始まると運が悪いことになぜか私の家の前で、30分以上は終わらない。

ホームレスの方の空き缶回収だ。

「すみません、缶を持ち帰ること自体は別に良いんですけど、このガシャガシャした音が気になってしまって、別の場所でやってもえないですかねぇ」

たしかに回収だけなら、彼らの生活資金だと思い、福祉の心を発動し譲歩する心くらいは持ち合わせている。
(とは言っても、資源ごみの回収は自治体の収益に影響する点で、なぜ重税に苦しみながら納税者する私たちが、不納税者であるホームレスの方の生活を支えるこのサイクルに、感謝されることすらあれ、関係ぇねぇと怒鳴らる顛末に無念の情は禁じ得ない。さらに、厳密にいえば道路交通法違犯の自転車への過積載での車道走行も社会では許容もしているのだけれど)

私を悩ましている実害はそれに伴う作業音なのだ。
うちの近くに毎週来る方は、その場でその日の回収物を大きな袋に収納するため、丁寧に1缶1缶つぶしていく。

雨の日も、風の日も、それは例外なく丁寧に袋の中を整えながら、これが仕事であれば見事なものである。

朝に聞こえる小鳥のさえずりは気持ちの良いものだけれど、アルミ缶が地面にあたる音、ガシャっとつぶれた時の音、袋の中でたくさんのアルミニウムがぶつかる音を30分も聞き続けると、これはなかなか気持ちの良いものではない。

しかし、彼には私からのお願いであるこの一言は、悪者からの攻撃として受け取られてしまったようだ。

人を自分の思ったような行動をしてもらうことはどんな場合でも難しいものだ。どうしたものか、せっかく行動をしようと思った今、思い立ったが吉日、次は近所の交番へ相談に行ってみた。

「朝うるさくて困んるんですけど、何か注意とかしてもらえないんですかね」

「いやぁ、事件ではないですし、警察はそういったことに対して何かできるということはないんですよねぇ。声をかけた?危ないからやめた方がよいですよ。何かあれば市役所とかに行ってみたらどうでしょう」

背筋も伸び、両手を後ろに組みながら目の前の道路を右に左に、ゆっくりと顔を動かして立っている20代くらいのおまわりさんが答えてくれた。
私としては、意気込みを持って歩みを進めたものの、相談した後の所感は、近所のおばちゃんが小言を言った、というもので終わった。

秩序を守るはずの国家権力においてもどうすることもできないという事実に、様々な複雑な思いを持って帰路につく。

少し心拍数が上がった予定外の帰宅後、朝の予定を慌ててこなす。
私の生活音になっているradikoで某FM局をタイムフリーで流し、パーソナリティーの元気な朝の挨拶と共に、いつもの納豆とみそ汁を食べる。

市役所に問い合わせてみて、と言われて、ゴミ問題はどこに相談すればよいのか、Googleに 〇〇市 ゴミ 相談先 と打ち込んでみた。

9時以降に電話をしてみた。

「あの、家の近くの集積場で、毎週朝缶を回収するホームレスの方が、回収した缶をつぶす音が気になって、何か対応策はないですかね」

「あぁ、結構問い合わせをもらうことあるんですよ。なかなか難しくて、巡回をしてもらったりはして指導はしていることもあるんですけど、なかなか強制力がなくてねぇ。」

朝の7時くらいから巡回なんて、公務員ができるはずがないことはわかる。
結局は何もできないということだった。

もやもやを実際に相談してみた結果、自治体もお手上げで、市民としては何もできないものだと納得せざるを得なかった。

それでも、やっぱりこれを毎週”耐える”状況でいるのは嫌だ。
そうだ、大体各家から出される時間って案外決まっているのだ。
さらに、缶に関しては決まった法則がある。
そう、毎日お酒を飲む家から出されることが多いのだ。

そこから導き出した解決策は、ある時間帯以降に、私が回収をするのだ。
そして、散歩として、スーパーに設定されている缶の回収スポットへ持っていく。

これは一石二鳥であり、私の朝の目覚めの運動にちょうどよく、ストレスからも解放された。

人間万事塞翁が馬。

万事というには私の起伏の少ない人生経験では確信をもっては言えないけれど、大凡のことは塞翁が馬だなぁなんて思いながら、私の一週間ものんびりと始まっていくのであった。


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