子どもを怒ると罪悪感を感じるのはなぜか、考えてみた
私には4歳の息子がいるのですが、4歳にもなると活発で口も立つようになり、日々イライラさせられることが増えてきました。あまりにいうことを聞かないときは、我慢できずに怒鳴ってしまうことがあります。
でも、子どもを怒ったあとは全然スッキリしないんです。むしろ罪悪感というか、モヤモヤが残ることの方が多い気がします。親としては子が正しく※成長して欲しくて怒っているはずなんですけどね。
※この正しくというのも親の主観に過ぎないため、子どもと意思疎通をしっかりしなくてはいけないなと思います。
この罪悪感を感じる原因はなんなのか自分なりに考えてみました。また、子育てをするうえで、イライラしないようにするためにはどうしたらいいのか、自分なりの対策、実践していることなんかも書いてみたいと思います。
1 罪悪感の原因はどこにあるのか
子どもを怒ることは親として間違っているわけではないと思っています。でも罪悪感を感じてしまう。罪悪感を感じずに怒ることができないのか、常々考えていました。そのためには原因を探らなくてはなりません。私が思いついた原因は次のようなものです。
・親は子どもよりも身体的、精神的に圧倒的に優位であるにも関わらず、一方的に抑え込んでいる(子どもとのコミュニケーションになっていない)。
・単純に親のイライラを子どもにぶつけているだけで、冷静になって振り返ると理不尽な怒り方になっていることがある。
どちらの原因も似ているんですが、子どもの都合を考えずに一方的に親が怒っているときは罪悪感を感じてしまうのではないかと考えています。
子どもは親を意図的に困らせようとすることは少ないと思っています(年齢にもよるんでしょうが)。子どもは目の前のモノ、コトに常に一生懸命で、パパやママと楽しく遊ぼうとしているだけなんだと思います。にも関わらずいきなり大好きなパパやママに怒られると、子どもはびっくりしてしまい、怒られた理由も分からず、ストレスを感じてしまうのではないでしょうか。
私はこのように親の一方的な都合、感情で怒ったときに罪悪感が生まれるのではないかと考えています。
2 怒ると叱るを使い分ける
では、罪悪感を生まないためにはどうしたらいいのでしょうか。私はまず怒ることと叱ることを区別することから始めました。手始めに辞書で「怒る」と「叱る」を調べてみたところ、
怒る:不愉快なことをされて、頭に血がのぼるような気持ちになる。感情的に叱る。
叱る:目下の者の考え・態度・行動について、よくないと言って強く注意する。
と書いてありました。怒るとは「感情的に叱る」ことなんですね。私が怒鳴るときもまさに、頭に血がのぼって感情的になっているときだと思います。
一方、叱るという言葉は「強く注意する」という意味です。親から見てよくないなと感じたことを、「それはダメだね」と理由を説明しながら注意している様子が思い浮かびます。なぜ叱ったのか、子どもに説明ができるからでしょうか、叱った後は罪悪感を感じない気がします。
3 私が実践していること
怒るのではなく、叱るために私が実践していることは可能な限り子どもと関わることを優先するということです。
例えば本を読んでいる時、急に子どもが本を叩いて落としたとします。読書の邪魔をされてイラっとするところをこらえて、怒るのではなく「どうしたの?」と声をかけるようにします。子どもは単純に遊びたいだけで、悪さをしている認識はなく、遊ぼうと声をかけているようなものだと考えます。
そもそも、私にとっては読書は大して重要なことではなく、暇つぶしの一つに過ぎません。今、子どもと関わることが最も大事だと考え、優先順位を整理したのです。これは、スマホやゲームも同じです。これまで自分が余暇にやってきたことが、子どもと関わることよりも本当に大事なのか自分の中で整理してみました。
こうすることで、何をしていても子どもが私と遊びたいときは、すぐに頭を切り替えて子どもと遊ぶことができるようになりました。子どもに「邪魔をされた」ではなく「遊ぶ機会をもらえた」と考えるようにしています。
おそらく子どもと遊べる期間は小学校入学までの数年でしょうから、今しか体験できない子どもとの時間をできる限り楽しみたいと思います。
現在私は育休中で時間があるため、このように心に余裕を持った対応ができてるのかもしれませんが、復帰後も可能な限り怒るのではなく叱れる親であるために、日々子どもとコミュニケーションをとるよう努力していきたいと思います。
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