大人の学び
こんちは、かわこうです。
最近読んでいるこの本から考えたこと。
第1章の中では、自律的依存・他律的依存という話が出てきます。
たいていのものごとは、自ら決めて依存する(自律的依存)ことにしても、次第に依存せざるを得ない状況(他律的依存)に陥ってしまうということです。
本書では以下のような寓話が取り上げられています。
島民は自給自足的な経済から換金作物を栽培して外貨を獲得する経済に移行することを“自ら”決めました。はじめは自律的依存です。
しかし、その後、ブローカーや国際市場との関係は、抜け出せない依存、依存しないという選択肢がもはや存在しないような「他律的依存」へと陥ってしまっているわけです。
この話、現代にもとても通づる話ですよね。
公務員・会社員か、フリーランスかの話。
僕は大学生の頃、どんな仕事をしようかと考えた末、自ら県の職員になるということを決め、試験勉強し、晴れて合格して職員になりました。
これは自律的依存だったんだと思います。
その後、10年ほど経って、本当にこの仕事を続けて良いのかと悩んで転職活動をしたこともあります。転職市場における30代公務員の立場を勉強して、実際求人の応募をしても大変厳しいものがあります。
もちろん公務員で一括りにはできませんが、全体の傾向としては、公務員という特殊な仕事をしてきたことが、民間企業では評価されづらいです。
いつしか、もう今の職業からは脱しづらい他律的依存の状態になっているかもしれません。
僕としては、「今の仕事がやっぱりやりたい」という結論に落ち着いているつもりですが、「他の手段が難しそうだから」という諦めの要素がないかと言うと、ちょっと分かりません。
ビジネス系インフルエンサーがここ数年言っている「自分で稼ぐ力を持とう」つまり、フリーランスで自分で稼げることが本当の安定であって、会社員で会社に依存していては倒産やリストラの可能性など、本当の安定ではない。という話は、こういうことなんだと思います。
他律的依存から脱することが本当の安定なんだと。
そして、読書から、そこに書いてあることをそのまま理解するというのも学びですが、そこで受け取った情報と、自分が他から得ている情報を関連させて、自分なりに言語化してアウトプットする。
これが大人の学びなのかなと。
自分なりに解釈して自分の知識にしていく、これが重要なんだと思います。
そのためにも、読書、インプットはちょこっとやったら終わりじゃなくて、いろんな人の話を読んで聞いて、それらの情報をちょっと俯瞰してみて、アウトプットしようとする過程の中で自分なりの考えを構築していく、そういう営みが大人の学びなんだと思います。