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大人の学び

こんちは、かわこうです。
最近読んでいるこの本から考えたこと。

第1章の中では、自律的依存・他律的依存という話が出てきます。
たいていのものごとは、自ら決めて依存する(自律的依存)ことにしても、次第に依存せざるを得ない状況(他律的依存)に陥ってしまうということです。

本書では以下のような寓話が取り上げられています。

文明から隔絶された島があったとして、そこでは昔ながらの農耕で自給自足の生活をしており、特に問題もなかったとします。
ある日外からやってきた宣教師が金属の鍋、鍬、鎌といった道具を持ってきており、島民はそれを試しに使ってみたところ、大変便利で、それが欲しいと思います。
宣教師は「もっとほしいなら島の外から買う必要があり、そのためにはお金が必要。コーヒー豆を作って売ってはどうか」と助言し、島民はコーヒー豆を作ることにします。
島民は自給自足をやめ、コーヒー豆で獲得した外貨で道具や生活に必要な物を買う、という生活に移行していきました。
ところが、ブローカーが突然「コーヒー豆の値段を半分にする」と言い出します。島民は抵抗しますが、「だったらもう他から買う」とブローカーは交渉に応じません。
島民はお手上げです。既に自給自足の農耕をやめてしまっているので、コーヒー豆を売ることでしか生活を維持できず、ブローカーの言う値で売るしかありません。

「経営リーダーのための社会システム論」から要約

島民は自給自足的な経済から換金作物を栽培して外貨を獲得する経済に移行することを“自ら”決めました。はじめは自律的依存です。
しかし、その後、ブローカーや国際市場との関係は、抜け出せない依存、依存しないという選択肢がもはや存在しないような「他律的依存」へと陥ってしまっているわけです。

この話、現代にもとても通づる話ですよね。
公務員・会社員か、フリーランスかの話。

僕は大学生の頃、どんな仕事をしようかと考えた末、自ら県の職員になるということを決め、試験勉強し、晴れて合格して職員になりました。
これは自律的依存だったんだと思います。
その後、10年ほど経って、本当にこの仕事を続けて良いのかと悩んで転職活動をしたこともあります。転職市場における30代公務員の立場を勉強して、実際求人の応募をしても大変厳しいものがあります。
もちろん公務員で一括りにはできませんが、全体の傾向としては、公務員という特殊な仕事をしてきたことが、民間企業では評価されづらいです。
いつしか、もう今の職業からは脱しづらい他律的依存の状態になっているかもしれません。

僕としては、「今の仕事がやっぱりやりたい」という結論に落ち着いているつもりですが、「他の手段が難しそうだから」という諦めの要素がないかと言うと、ちょっと分かりません。

ビジネス系インフルエンサーがここ数年言っている「自分で稼ぐ力を持とう」つまり、フリーランスで自分で稼げることが本当の安定であって、会社員で会社に依存していては倒産やリストラの可能性など、本当の安定ではない。という話は、こういうことなんだと思います。
他律的依存から脱することが本当の安定なんだと。

そして、読書から、そこに書いてあることをそのまま理解するというのも学びですが、そこで受け取った情報と、自分が他から得ている情報を関連させて、自分なりに言語化してアウトプットする。
これが大人の学びなのかなと。
自分なりに解釈して自分の知識にしていく、これが重要なんだと思います。

そのためにも、読書、インプットはちょこっとやったら終わりじゃなくて、いろんな人の話を読んで聞いて、それらの情報をちょっと俯瞰してみて、アウトプットしようとする過程の中で自分なりの考えを構築していく、そういう営みが大人の学びなんだと思います。

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