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展覧会 #37 メキシコへのまなざし@埼玉県立近代美術館

 この展覧会では、1950年代にメキシコに惹かれた美術家の中から、福沢一郎、岡本太郎、利根山光人、芥川(間所)紗織、河原温の足跡をたどり、彼ら彼女らがメキシコをどのように捉えたのかを考えていきます。また当館のメキシコ美術コレクションとその形成の歩みを、学芸員としてメキシコ美術の普及に努めた本間正義の仕事とともに紹介します。作品や資料、開催された展覧会などを通じて、戦後日本がメキシコ美術に向けたまなざしを、様々な角度から検証する試みです。

埼玉県立近代美術館HPより

私がこの展覧会に興味を持ったきっかけは、出品作家に芥川(間所)沙織の名前を見つけたこと。

芥川(間所)沙織は昨年生誕100年という節目にあたり、国内10か所の美術館で、所蔵する作品をコレクションの特集企画という形で展示を行うプロジェクトが実施されていました。
私が訪れることができたのは3館だけで、今回の展覧会には観ることができなかった作品が出ていることを知り、それを目的に美術館を訪れました。

メキシコへのまなざし
会期:2025年2月1日(土)~5月11日(日)

埼玉県立近代美術館
さいたま市浦和区常盤9丁目30番1号
交通アクセス:JR京浜東北線 北浦和駅西口より徒歩3分(北浦和公園内)



第1章 メキシコ美術がやってきた!

1950年代に入ると、メキシコ美術は次第に日本で注目を集めるようになり、なかでも1954年の日墨文化協定調印を記念して翌年に開催された「メキシコ美術展」は、美術家たちに衝撃を与えました。(中略)
本章では「メキシコ美術展」で特に大きく取り上げられ、メキシコ版画運動の代表的な画家として知られるディエゴ・リベラ、ホセ・クレメンテ・オロスコ、ダビッド・アルファロ=シケイロスや、次世代のルフィーノ・タマヨの作品を中心にご紹介します。

展覧会 第1章解説より

1910年のメキシコ革命以降、ヨーロッパ文化の潮流を否定して民族主義的な傾向が高まっていたこと、その流れの中で起こった「壁画運動」はメキシコの歴史やアイデンティティを広く民衆に共有する役割を果たしたことなど、ここでは壁画運動を牽引した画家の作品を中心にメキシコ美術が紹介されていました。

ホセ・クレメンテ・オロスコ《ブルケリア》1928年

オロスコのカリカチュア的な表現は、視覚に訴えるメッセージ性の強さを感じます。

ホセ・クレメンテ・オロスコ《示威行動》1935年

「メキシコ美術展」が開催された頃、日本の美術雑誌ではメキシコ美術に関する議論が盛んに繰り広げられます。美術家たちは、革命や土壌的な文化と結びついたメキシコ美術に、ヨーロッパとは異なる逞しさを見い出しました。かつ、それが国際的な評価をも兼ね備えていることに驚愕したのです。

展覧会 第1章解説より

第2章 美術家たちのメキシコ —5人の足跡から

岡本太郎(1911~1996年)

1955年の「メキシコ美術展」に実行委員として関わった岡本太郎は、1930年代はじめのパリ留学時代にメキシコ古代文明の遺跡や神像の写真を見て深い衝撃を受けたそうです。

岡本太郎が所蔵していたメキシコの民芸品

私が岡本太郎と言われて真っ先に思い浮かぶのは、渋谷駅構内の壁画《明日の神話》。この壁画は元々メキシコのホテルに設置されるはずだったもので、建物の完成が見送られた後に行方不明となってしまい、長らく存在が忘れられていたが、パートナーの岡本敏子によってメキシコ郊外の資材置き場で発見され日本に持ち帰られることになる。その後、大規模な修復を経て2008年に渋谷駅のコンコースに設置されたそうです。
普段なにげなく目にしているあの壁画にそんなドラマがあったことは。全然知りませんでした。

岡本は《明日の神話》の依頼主の紹介でシケイロスのアトリエを訪れたこともあるそうです。

上「シケイロスのアトリエを訪ねる岡本太郎」1967年
下「壁画《明日の神話》制作の様子」1969年頃
岡本太郎《月の壁》1956年
岡本太郎《訣別》1973年

具体的なテーマやモチーフをメキシコに見い出すのではなく、岡本太郎の芸術に対する思想や「芸術は大衆のためにあるべき」という信念がメキシコ芸術の本質的な部分と共鳴し合っている、岡本太郎とメキシコにはそういう関係性があるような気がしました。

福沢一郎(1898~1992年)

私にとって福沢一郎というと東京国立近代美術館所蔵のこの作品で、今回の展覧会にも出品されていました。

福沢一郎《Poisson d'Avril(四月馬鹿)》1930年

タイトルもさることながら描かれていることが謎すぎてどう捉えていいのか分からず、なんとなく敬遠していた画家でした。

この作品から約20年後、1953~54年に中南米を訪れた福沢はいち早く日本にメキシコ文化を紹介し、「メキシコ美術展」の東京開催(1955年)をメキシコ政府へ申し入れる際の仲介も務め、現地での作品選定にも携わったそうです。

ここで紹介されていた1950年代の作品には、色彩やモチーフなどに明らかな中南米の影響が表れていると解説されていました。
平面的な画面構成と強い輪郭線が印象的で、何より最初に挙げた《Poisson d'Avril(四月馬鹿)》とは作風が全く異なっていることに驚きました。

乾燥した土地の砂埃のイメージがしたり、少し色あせたような、明るいけれどナチュラルに感じる色彩がいいなと思う。

福沢一郎《顔》1955年

メキシコ人の逞しい姿を捉えたスケッチと絵画。がっちりした手足が印象的。

福沢一郎《メキシコ人》1957年

横顔と正面が混ざった顔の描き方が面白い。

福沢一郎《メキシコの男》1956年

福沢が特に注目したのは、地域ごとに異なる色彩豊かな文化、マヤに始まる古代の造形物、そして壁画により「美術と建築がむすびついて」いることでした。公共建築と融合し強いメッセージ性を保ち続ける壁画の特性は、絵画における普遍的な表現を模索していた福沢にとって、重要な発見だったのでしょう。

展覧会 第2章解説より

メキシコ独自の死生観が反映されていると言われる《埋葬》。
1972年にこの作品を右に90度回転させた図を原画として、東京駅にステンドグラス《天地創造》が制作されたそうです。

福沢一郎《埋葬》1957年

京葉線の連絡通路に設置されているらしいので、今度東京駅に行ったときに確かめてみようと思います。

芥川(間所)紗織(1924~1966年)

そして、今回の目的である芥川(間所)紗織の作品。

民話や神話を題材とした作品に登場する、植物とひとが融合したような不思議なものたちは圧倒的なエネルギーを放っています。

芥川(間所)紗織《民話より》1954年

布にろうけつ染めという染色の技法を使って描かれた作品は、民芸品のような雰囲気も併せ持っています。

芥川(間所)紗織《天を突き上げるククノチ》1955年

一つ一つのパーツは植物とか幾何学模様に由来しているけれど、一つの塊としてはヒトのように見える。その何とも言えない独特の形象が面白くて好きです。

芥川(間所)紗織《作品D》1955年
芥川(間所)紗織《顔》1954年

芥川(間所)もまた、1955年の「メキシコ美術展」に大きな衝撃を受けたといいます。
日本人としてのアイデンティティに向かい合い、日本の民話や神話に取材した作品の制作を始めた時期に出会ったメキシコ美術は、美術と国民的アイデンティティのかかわりというテーマに取り組むうえで様々な示唆を与えるものだったのかもしれません。

利根山光人(1921~1994年)

利根山光人のことはこの展覧会で初めて知りました。

メキシコと日本を行き来しながら作家活動を続けたという利根川は、日墨の文化交流に果たした功績によりメキシコ政府から二度、勲章を授与されたそうです。

展示で圧巻だったのは、マヤ文明遺跡の拓本。
大きなサイズの和紙に墨で写し取ったもので、現物の生々しさを感じる。遺跡を写すといっても写真とは全然違う面白さがありました。

絵画作品にも遺跡を思わせるモチーフがあらわれています。

利根山光人《いしぶみ》1961年

面白いと思ったのは、メキシコの祭りをテーマにした作品。

利根山光人《カーニバル66》1966年

祝祭の華やかさと表裏一体で死の影が存在する、メキシコ特有の死生観に満ちた作品からは、長谷川がメキシコに向ける愛情のようなものが伝わってきます。

利根山光人《コーラ族の祭》1975年
利根山光人《VIVA MEXICO―エイゼンシュテインに捧ぐ》1980年

長谷川もまた、学校や駅に壁画のパブリックアートを残しているそうです。

《太陽とこども》という陶板壁画は横浜駅地下1階の相鉄線連絡通路で一部が再展示されているようなので、機会があれば見ておきたいです。

河原温(1932~2014年)

(河原温については展示作品すべて撮影禁止でした)

1955年の「メキシコ美術展」に対して、河原はメキシコ美術への驚嘆に一定の理解を示しながらも、目新しいエキゾチズムとして魅了されることへの危惧を表明しており、反応としてはやや冷淡とすらいえます。
しかし、メキシコ美術がいかに「メキシコの風土と歴史的社会的現実を反映し、又喚起させ得るか」を見極め、「われわれの現実を積極的に、能動的に変革していくその実現化の具体的方針を見定める若干の参考に」すべきとも述べており、美術と社会の関係への強い関心とメキシコ美術が切り離せないものであったことも読み取れます。

展覧会 第2章解説より

父親がメキシコに赴任していた関係で3年ほどメキシコの美術学校で学んだことがあるそうですが、現地での活動の詳細や作品がほとんど残されていないということで、展示の解説を読んでもメキシコと河原の美術の関わりについては推測に基づいたものという印象で、なぜ今回河原温を取り上げたのか疑問が残りました。

ただ、《色彩暗号文》シリーズという初めてみる作品があったことはひとつの収穫でした。
これは便箋に色鉛筆の筆触が文章のように並んでいますが、何が書かれているのかはわかっていないという摩訶不思議なもの。
河原温は全てが謎めいていて、それ故に気になり続けるという厄介なタイプの美術家。
またひとつ謎の作品に出会ってしまいました。

その他の作品は、日付絵画シリーズ《Today》と、絵葉書のシリーズ《I GOT UP》。《I GOT UP》はメキシコから瀧口修造へ宛てたもので、メキシコに居たことがあるという事実だけは提示されていました。

第3章 埼玉とメキシコ美術

開館当初からメキシコ美術を収集し、メキシコ美術に焦点を当てた展覧会を開催してきたという埼玉県立近代美術館。
その背景には、埼玉県とメキシコ州、浦和市(現さいたま市)とトルーカ市が1979年にそれぞれ姉妹提携を結んだことに始まり、文化交流やスポーツ交流など様々なかたちで交友を育んできたという歴史に加えて、メキシコ美術に造詣が深かったという初代館長の本間正義氏(1916~2001年)の存在も大きかったようです。

最後の章では埼玉県立近代美術館所蔵のメキシコ美術作品を中心に、埼玉県とメキシコ州との交流なども紹介されていました。

その中で目をひかれたのは、ルフィーノ・タマヨ(1899~1991年)。
色彩に温かみがあって、人物表現がユーモラス。

ルフィーノ・タマヨ《しま模様の人物》1975年
これは東京国立近代美術館所蔵で、コレクション展で見たことがある作品。
ルフィーノ・タマヨ《黒い背景の人物》1976年

版画独特の質感と素朴な雰囲気が好きです。

ルフィーノ・タマヨ《りんごと果物鉢》1981年

過去に開催されたメキシコ美術展覧会の資料で、1976年に東京国立近代美術館でルフィーノ・タマヨの回顧展が開催されていたことを知り、また企画されないかなーと思ったりしました。


この展覧会で取り上げられていた5人の日本人美術家の活動において、メキシコがどのような関わりを持っていたのかを見ていくとメキシコ美術との出会いや捉え方、関心の持ち方などが全く違うことが分かり、そこがとても面白かった。
メキシコ美術というと古代文明関連の考古学的なものというイメージしかなかったのですが、この展覧会を通じてメキシコ近代美術のダイナミズムに触れて、イメージが更新されました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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