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展覧会 #31 吉田博 今と昔の風景@MOA美術館

吉田 博(1876~1950年)の展覧会を観るため、初めてMOA美術館を訪れました。
吉田 博の版画を初めて見たのは2019年の東京現代美術館リニューアルオープン記念のコレクション展。
水辺の空気感が伝わってくるような独特の表現が印象的で、素敵だなと思いました。
その後、コロナ禍の2021年に開催された東京都美術館の展覧会を見逃してしまったことが残念で、今回の展示を知ってこれはぜひ観に行かねばと、熱海まで遠征することになりました。

熱海までは電車で約2時間半。熱海駅からバスに乗り、S字カーブの急こう配を登って、高台に建つ美術館に到着しました。

MOA美術館
静岡県熱海市桃山町26-2
交通アクセス(公共交通機関利用の場合)
JR熱海駅 バスターミナル8番乗り場より「MOA美術館行き」約7分
終点「MOA美術館」下車すぐ

エントランスから上に伸びる、間接照明で照らされた薄暗い通路をエスカレータを乗り継いで上がると円形のホールがあり、ドーム形の天井には目まぐるしく変化するカラフルな模様が映し出されています。

そこからさらにエスカレーターに乗り、外に出ると、ヘンリー・ムーアの野外彫刻が設置された展望エリアがあります。

そこから今度は階段を登って美術館本館へ。
階段からの見晴らしがすごく良くて、相模湾が一望できました。

階段を上ったところには、エミール・アントワーヌ・ブールデル(1861~1929年)のレリーフ彫刻がありました。

エミール・アントワーヌ・ブールデル《アポロンと瞑想 走りよる詩神たち》

ようやく美術館の入口に到着。

メインロビーの隣に豊臣秀吉ゆかりの「黄金の茶室」がありましたが、外国人観光客の団体とバッティング。そもそも黄金きらきらには興味がないし、騒がしさと混雑が煩わしくて中に入るのはやめました。


ここから、目的の企画展へ。

近代風景画家の第一人者、吉田博(1876-1950)は、風景を描く際の心得として「風景にやどる真の美を見ひらき、風景のもつ美しき姿の深い理解がなくては、真の風景画を描き得るものではない。」とし、自ら体感した風景を作品にしました。特に、後半生に傾倒した私家版木版画では、油彩画のタッチと水彩画の色彩表現を用いた洋画技法を取り入れ、未開拓の新しい芸術を創造しました。
本展では、合計7年間を超える外遊から生まれた「米国シリーズ」、「欧州シリーズ」や、刻一刻と変化する海を捉えた「瀬戸内海集」シリーズなど、木版画の代表作約70点を展観します。また、博が描いた風景の現在の姿を撮影し、独創的な技術で表現された作品の魅力をオリジナル映像で比較展示します。

MOA美術館HPより

吉田博 今と昔の風景
会期:2024年11月29日(金)~2025年1月21日(火)

18歳で上京して小山正太郎の主宰する画塾・不同舎に入門し、本格的な画業を開始しています。
明治32年(1899年)、描き溜めた水彩画を携え、1か月分の生活費のみを持って、後輩・中川八郎(1877-1922)とともに決死の渡米を行いました。
この当時、デトロイト美術館等での展示即売会の成功によって資金を得てヨーロッパを巡り、2年後に帰国しています。
さらに2年半後には、後に夫人となる義妹ふじをと共に再び渡米し、3年以上をアメリカ、ヨーロッパで過ごしました。
これらの外遊によって古今の西洋美術に触れると共に大いに画技を磨き、日本最初の洋画団体である太平洋画会の中心人物として活躍しました。

吉田 博 略年譜より

「決死の」という言葉が表すように、海外へ行くのが大変な時代に、しかも美術館の展示即売会を成功させるなど、なかなかの行動力を持った人だったのですね。


海外の風景

帰国した大正14年(1925年)に発表した版画「米国シリーズ」と「欧米シリーズ」。

湖に映る山は逆さ富士を連想させ、水辺の草花は水墨画っぽい雰囲気があって、日本人の感性が滲み出ているのが面白い。

《⽶国シリーズ レニヤ⼭》 ⼤正14年(1925)

スフィンクスってこんな見た目?と思ってしまうくらい、可愛らしい姿。
同じ描画で昼と夜を表現できるのは版画ならでは。後のセクションでこの技法のことが出てきます。

《欧州シリーズ スフィンクス》 ⼤正14年(1925)
《欧州シリーズ スフィンクス夜》 ⼤正14年(1925)

SOMPO美術館のカナレット展で観たヴェネツィアの風景を思い出す一枚。
建物のラフな描き方が好き。運河の濃厚で深みのある表現が引き立っています。

《欧州シリーズ ヴェニスの運河》 大正14年(1925)

昭和5年(1930年)11月から4か月間のインドと東南アジアへの写生旅行を経て制作されたシリーズ。
ここでも水辺の風景が多く登場しますが、私が目を引かれたのは各地の歴史的建造物の描画。
逆光で陰になっている部分の微妙な陰影の表現が美しいと感じました。

《印度と東南アジア ヴィクトリヤ メモリヤル》 昭和6年(1931)
《印度と東南アジア エロラ 第三号窟院》 昭和7年(1932)

この作品はラクダが彫刻のようで動きを感じないことがどうしても気になってしまう。

《印度と東南アジア アフガニスタンのキャラバン》 昭和7年(1932)

風景の中に描かれる人物が大きくなればなるほど、その風景が静止している感じが強まってしまうのかなと思いました。
人物がいない風景では空気の柔らかい動きが感じられるのに対してギャップを感じる、ある意味新しい発見がありました。

水の風景

博は「水を描かせたら彼の右に出るものはない」といわれ、海、渓流、湖、池など多くの作品で様々な水が描かれています。
特に昭和5年(1930)には、船頭と料理人つきの小舟をチャーターして二ヶ月間に及ぶ瀬戸内海巡航を行い、「瀬戸内海集第二」シリーズを完成させました。これらは、水、船、島をさまざまな光と影のバリエーションの中に描き、博の代表作の一つに数えられています。

展示解説より

このシリーズをみて、日本の水の風景がやはり一番落ち着くなと、改めて思いました。

《瀬⼾内海集第⼆ 鍋島》 昭和5年(1930)

薄明るい光の中、水蒸気で少し靄がかかった朝の空気を感じる。

《瀬⼾内海集第⼆ 阿武兎の朝》 昭和5年(1930)

故郷を描いたこの作品は夕暮れ時、町の明かりが水に映る様子に風情を感じます。

《⽇⽥筑後川の⼣》 昭和2年(1927)

別摺

博の木版画の独創的な特徴の一つとして、同じ版木用いて色を変える「別摺」の技法があげられます。
「帆船」シリーズはその代表作で、朝、午前、午後、霧、夕、夜の6つの時間帯や気象のそれぞれの表情を摺り分けています。(中略)
一つの風景を題材に光の推移を連作として表現する手法は、油彩画のタッチや描き方を素地としながら、水彩画で培った色彩表現を生かした博独自の新境地といえます。

展示解説より

朝靄に包まれて柔らかく広がる朝の光。

《瀬⼾内海集 帆船 朝》 ⼤正15年(1926)

午後になると水平線がくっきりと表れ、奥にあった船が消えています。

《瀬⼾内海集 帆船 午後》 ⼤正15年(1926)

一番好きなのは夕方の風景。

《瀬⼾内海集 帆船 夕》 ⼤正15年(1926)

水平線に現れた篝火で雰囲気ががらりと変わる。

《瀬⼾内海集 帆船 夜》 ⼤正15年(1926)

山岳の風景

終生山岳に親しんだ博は、山を題材とした作品を数多く残すと共に『高山の美を語る』を著し、画家の視点から観た山の美について語っています。
30代から50代にかけては、夏、日本アルプスや各地の山々でテントを張って山岳風景の写生に勤しみ、秋から春にかけて油彩や版画制作に没頭する生活を続けました。

展示解説より

富士山の風景を描いた作品はインパクトがあり、山岳に対する愛着が伝わってきます。

《三保》 昭和10年(1935)

水の風景は静かな雰囲気が多いのですが、この海の描画には珍しく臨場感があって好きな作品。

《冨⼠拾景 吉⽥村》 ⼤正15年(1926)

多色摺

博の版画は、他に類をみない版の多さが特徴で、平均30回から100回近く色を重ねることで、西洋画によくみられる遠近感や立体感を実現しています。(中略)
薄い色彩を演出する様々な色彩の「鼠版」を多用することや、輪郭線を多色で摺ることで、線と色面が一体感のある複雑な摺となり、繊細な表現を可能としました。

展示解説より

私は輪郭線の滲みや、鼠色に覆われて色の彩度が失われた感じが気になりました。

《東京拾⼆題 ⻲井⼾》 昭和2年(1927)

繊細と言えばそうかもしれませんが、このあたりは好みによるのかなと思いました。

《東京拾⼆題 隅⽥川》 ⼤正15年(1926)

所蔵品展示

企画展の途中に所蔵品の展示もありました。

さりげなく現れた国宝の壺。美しい藤の描画に見入ってしまいます。

野々村仁清《⾊絵藤花⽂茶壺》 江⼾時代 17世紀

⽵内栖鳳(1864~1942年)の紅梅は大胆さと繊細さを併せ持ち、

⽵内栖鳳《紅梅》 

安⽥靫彦(1884~1978年)の白梅は伸びやかな生命力に溢れていました。

安⽥靫彦《曙梅図》 昭和20年代(1945〜1954)

衣装の文様から台座の文様まで、とにかく装飾が細かい。

佐藤⽞々(清蔵)《福徳無量 聖⼤⿊天》 昭和25年(1950)

板⾕波⼭(1872~1963年)の鳳凰と唐草模様を描いた壺はとにかく豪華、の一言。

板⾕波⼭《彩磁椿花⾹炉》 明治42年(1909)頃

カフェと庭園

展示を観た後は、パティシエ鎧塚俊彦氏プロデュースのカフェでチーズケーキを頂きました。

カフェの窓から見える日本庭園の木々。

最後に日本庭園「茶の庭」を散策。
紅葉は終わりに近づき、木々の落葉が進んでいました。

尾形光琳の屋敷を復元した建物が面白い。

尾形光琳が最晩年を過ごし、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられる屋敷を、自筆の図面と大工の仕様帖(重文尾形光琳関係資料〈小西家伝来〉京都国立博物館)に基づき復元しました。2階に絵所(アトリエ)が、1階には5畳半と3畳の茶室が設けられ、江戸時代の上層町衆の数寄屋建築が見られます。


吉田 博の画業や技法を知ることができて、新しい発見もあり勉強になりました。陶器や木彫の素敵なコレクションが観られたことも嬉しい。
熱海まで遠かったけれど、充実した一日になりました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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