グラスの形は忘れても、ワインの味は忘れない
迷ったようだ。これはもうあきらめて駅へ戻るほうがいい。愛用のデッキシューズが壊れかけてるし(笑)もし破壊されたら、いくらアーシングといっても真夏並の太陽光線に熱せられたアスファルト道路を裸足で歩けない。住宅地はどこもそうだが、袋小路、わけがわからない。坂を上がり、下の畑ではおじさんが仕事している。ここを抜ければ・・・抜けられない。誰かの家の前庭に入ってしまう。
駅前の案内板に「海岸まで1キロ」とあって、ふむふむ、これをつたっていけばいいのねと。
どこかで間違えたようだ。まっすぐ歩けば突然海が開ける、と思い込んでいたが、出てくるのはお墓とか畑とか用途不明の空き地ばかりである。そして、人がいない。住宅街なんだけど、人の気配がない。道を聞こうにも、いない。かと思えば、住宅新築工事やってたりする。とにかく海の生き物表示のある道路までなんとかして戻らないと・・・あ。グーグルマップしてみる? 大きく西に外れてることがわかった。
丁寧に、ていねいに、そっと靴を壊さないよう歩いて、どこをどうしたものか、駅へ戻るはずが、海岸に着いてしまった。
狭っ! というのが第一印象。ぼくの好みは須磨海岸や葉山一色海岸のような海岸線がすーーーーーーーーーーーっと伸びているイメージ。ところが、ここはコンパクト。まあ、人それぞれ好みがあるからここが大好き、という人ももちろんいるだろう。でもぼくは違った。しかも人、多い。ファミリーがバーベキューしてる。若者たちがビーチバレーしてる。ぼくは靴脱いで、マスク外して深呼吸したかったのだが、できない。5分で帰路についた。往復2時間、滞在5分(笑)
まあ、これも面白い思い出だ。アーシングにはならなかったけど。この足で須磨へ行くか、とも思ったが、靴が壊れそうなので、やめた。
帰宅し、映画『空に住む』。
主人公は渋谷のタワーマンションに住むことになる。39F。新宿が一望できる。靴履いたまま。ところが職場は東京郊外の平屋一軒家。みんな靴脱いで、顔付き合わせて仕事してる。住んでいるところから職場へ行くのに、いつも主人公は下りる。エレベーターを、階段を。職場から自宅へ帰るのに、上がる。階段を、エレベーターを。この対比が面白い。タワーマンションは人工であり、窓から見えるビューも人工。
「素敵な眺めねー。セレブー!」と訪ねた友だちが言うが、主人公は醒めてる。ぼくも同じ意見で、醒めてる。飛行機で伊丹空港にもうすぐ着く、という頃、大阪市内上空を見ていると、墓石が並んでるように見える。決して「セレブー」とか思わない。
500年後、このままの街の姿なんだろうか、とも考える。タワーマンションって、どうやって壊すんだろう。ところが周囲はあちこちでタワーマンション建設がやまない。
「グラスの形は忘れても、ワインの味は忘れない」ハリール・ジブラーンが言うように、人はそれでも、地面に裸足で歩いたときの味は忘れていない。むしろこれからは、「空に住む」のではなく、「地に住む」方向へ行くんじゃないのかなあ。そんなことを考えた日曜午後でした。
なんだか疲れたので昼寝した。そこで初めて気づいた。ぼくの寝室、足元の窓から空が見える。
何より、癒やされました(笑) 家におったらええやん(笑)