忙しいを捨てる
出張後、経費処理していて気づくのは、「駅前で乗ったタクシーはいまだにデジタル化してなくて、現金のみ、が多い」。これはなぜかというと守られてるから。駅前で客を待てる権利というものがどうやらあるらしく、許可なくしては入れないそうだ。Suicaやクレジットカードを使えるようにするには新たな投資が必要だが、守られてるから客の利便性など考えなくてもいい。しかしながら、歴史を振り返ると、守られてる業界で、発展した試しがない。ブレイクスルーが起こるのは、守られてもいず、周囲から「何やってんだか」と「理解できない」とされている業界だ。
守られてる・守られてない、のほかに、「目の前のことだけに集中している」と、置いていかれる。「目の前のこと」というのは「昨日のつづき」であり、過去。要するに、出張経費処理と同じく、過去の処理なんだ。忙しい人の「忙しさ」中99%は昨日のこと。つまり「つづき」で忙しいだけなのである。
1950年代のニューヨーク港には51,000人以上、ロンドンでも5万人以上の港湾労働者がいた。政府も労組も港湾局も、彼ら労働者の問題にアタマを痛めていた。仕事の割り振り、不正、揉め事、登録労働者の仕事能力別ランク分けをどういう基準にするか・・・
ところが、水面下でコンテナによる物流革命・コンテナリゼーションが進んでいた。あまりに平凡な箱「コンテナ」であるがゆえに、まさかそれが破壊的技術となって、世界経済を根っこから変えるとは誰も思わなかった。1959年のある報告によると、海上輸送にかかる全費用のうち、船が波止場に止まっている間に発生する費用が60-70%を占めていた。大半が労賃である。コンテナリゼーションがこれを限りなくゼロにした。グローバリゼーションを生み出した。
港湾の労働者問題に忙殺されている誰一人として、コンテナリゼーションという革命を着想できなかったのだ。
NetflixがDVD郵送レンタルでビジネスを細々と始めたとき、巨人ブロックバスターはなんとも思わなかった。「ふーん。興味深いね」程度だった。目の前のことに忙しかったのである。ビデオやDVDという「物体」のことでアタマがいっぱいだった。物体を貸すか、売るか。
小さなNetflixは違った。顧客が欲しいのは物体DVDではなく、DVDの中身、映画やドラマというコンテンツであり、しかも借りたり返したりというのもできれば「無し」にしたい。そこでストリーミングという「コンテンツの新しい届け方」と定額費用さえ毎月クレジットカードで引き落としされればいくらでも楽しめる「サブスクリプション課金」を導入しよう。
ブロックバスターは目の前のことに忙しく、「コンテンツの新しい届け方」と「サブスクリプション」をまったく理解できなかった。「Netflixが2万タイトルだったらうちは25,000タイトルで対抗しよう」「Netflixより安くすればお客さんはこっちに来てくれる」「スーパーボウルのCMで宣伝したらぜったい顧客は獲得できる」結果、2010年、倒産。
スーパーボウルCMが役割を終えた話はすでに1999年、『パーミションマーケティング』にある。にもかかわらず、彼らがこの「戦略」を言っていたのは2006年あたりだ。「守られてる」と、目の前のことしかやらなくなる証左。自社のビジネスの定義を「コンテンツの提供」としていたら、当然デジタル配信へと目が向かなければならなかった。しなかった。目の前に忙しかったから。
結論。忙しい、を捨てよう。昨日のつづきで忙しいだけなんだ。ビジネスの明日を作ってくれるのは、そう、明日なのだから。