経済ゲームはもう、終わりにしようね
学校出て、会社に入ったのが1981(昭和56)年。
会社は楽しかった。同期が多かったのもあり、大学生活の延長みたいで。
「◯◯さん、お互い仕事の話ばっかりしてんと、たまには飲みもってアホな話しましょうや」
課長が電話で取引先と話してるのを職場のみんなは顔見合わせてクスっとしてた。それだけおおらかな、のんびりした時代だった。
広島に転勤した後、約10年後戻ってきた大阪オフィスはまるで別の会社だった。1992年。キーンと張り詰めた空気。冗談なんて言えない感じ。
それからずっと世の中の「会社」というものが「人間」を押し殺していく過程だったんじゃないかなあ。
コロナが襲う直前は、その最高潮だったのでは?
ニュースで「大リストラ時代がやってきた! 上場企業の早期退職募集が2倍以上に」という見出しが踊ってる。
「大企業はもたない」というのをぼくはこの10年ずっと言い続けていて、それは社会のデジタル化とは論理的に相容れないからなのだが、それは今日はヨコに置いておくとして、「会社にいることが決して幸せとは言えない」わけだから、リストラされたらそれはそれでとっても良いことだと思うよ。ハッピーだと思ったほうがいい。マジ。
これはぼくのやったMe2.0セミナースライドから。
平成元年の世界時価総額ランキングで日本企業がずらっと並んでいて、なのに30年後の平成30年にはトヨタ一社だけしか残ってない。
これを日本経済新聞的に言うと
「残念だ。もっと頑張らねば」
となる。
しかしぼくはまったく違う読み取りをしていて、「日本人は世界の誰よりも早く資本主義からイチ抜けた」。
だって、資本主義は、人間の幸福を増やさなかったやん。
ぼくが実感したように、「おおらか」から「キツキツ」へ変えただけやん。
で、地球もそれは困っていて、
「資本主義経済は、わしを削ったり、汚したり、勝手に海埋めたり、森なくしたり、何1つええことあらへんがな。もう、やめてほしいわ。わしにとってあんたら人間はウィルスやで」
そこでワクチンとしてのコロナを派遣した。
コロナがぼくたち人間に思い知らせてくれたのは
「人間って、生物なんだ」
ってことだ。
「24時間戦え」ないし、「熱出す」し、「家族と一緒がやっぱりいい」し、満員電車に詰め込まれるのは「生物として不快」だということをあらためて。
インターネットを始め、ITテクノロジーは兵器用途から始まっている。
しかし、これからは「生物としての人間を救う」方向へ舵を切るだろう。
げんに創薬はAIのほうが得意だ。順列組み合わせだから、データが多ければ多いほどAIは萌えるし、力を出せる。人間の不得意なところだ。
人間として、何が心地良いのか。
何が人生の最重要事項なのか。
考えようね、経済ゲームはもう、終わりにしようね。
コロナと地球は、そう教えてくれていると思う。
この前の日曜日、紀伊半島のど真ん中あたり(地名忘れた)にて。
気持ち良かったー。