偶然の数だけ、面白い
後ろをぽこぽこ。
ぼくの膝下くらいの小学一年生。
ランドセル重そう。
地下鉄入口は少し段になってる。上がって
ランドセルの重さで後ろへひっくり返りそうに。
あわてて手を添えようとしたが、大丈夫。
時刻は7時。
地下鉄乗って行く小学校。重いランドセルにはタブレットが入ってるんだろう。
電車乗ってまで行く学校だから、きっとカリキュラム充実してる。タブレットで学ぶ。
偶然がどんどん排される教育だろう。◯か✗か。答えは出せるか。それは正解か。必然を突き詰める。
でも、人生で面白いのは、偶然だ。
若狭神宮寺行った。714年建立というから今から1310年前だ。古事記の頃。
ここも偶然、知った。
一歩入った途端、氣、清浄。
桜に満ちた参道を400歩下る。
下っていく先に仁王門
参道とは、氣の通り道であり、邪を仁王が遮る。
なぜこの場所に建立されたのか、いまとなってはわからない。
わからないが、おそらく偶然が働いたのだろう。
ただ、参道に沿って細い溝が掘ってあり、水を流し、結界張ってる。
これは必然。
湧き水。建屋をつくり、大切に保護されている。
湧き水は偶然。人間にはできない。建屋は必然。人間がつくった。
仏像を安置している堂内から。
窓は必然、
枝垂れ桜と山がつくる借景は偶然。
樹齢500年。
5世紀生きた木に触れると、言葉にはできない感覚になる。
偶然と必然が美しく共存している。
だからきれいに洗濯されたような、そんな清々しさを。
現代のデジタルワールドは、必然の積み重ねが「より良い」とされる。
小学校一年生から、叩き込まれる。
つまらんよ、そんなの。
さっき会った子に言いたい。
学校なんかやめてもいいよ。君のような幼い子が早朝から電車乗って行くなんて、自然じゃないから。
偶然の数だけ、面白いから。
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