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発想ぷくぷくぽたりんこ
「オンマ、ヨギ?」(엄마, 여기?)
小さい男の子が「ママ、このホームでいいの?」
と聞いてる。
すっかり観光地化した大阪。地下鉄には韓国からのファミリー。
今日はこれから
トークライブ「その話、長い?」
第一弾のテーマは「発想法」
題して
「発想ぷくぷくぽたりんこ」
![](https://assets.st-note.com/img/1711585224375-OuhDvfVFuF.jpg?width=1200)
しっかり準備し、カバン2個分資料持って会場のカフェ入りした。
一所懸命話した。
でもね。
JOYWOWの仲間たち、人の話、聞かないんですよ(笑)
「まあ、(阪本の)顔見たし、ええかと」
「ケーキ美味しいし」
さて、その話の中で一つ、皆さんにおすそ分けします。
発想に大事なのは
好奇心
言い換えると、スケベ心です(笑)
今回準備中、雪舟に出会った。
「雪舟(せっしゅう)」という人の名前は知っていたが、実はよく知らなかった。
ここで好奇心がむくむく。
1420年に生まれ、長生きし1506年、86歳ご逝去。
令和の現代ならいざ知らず、室町時代の人としては異例のご長寿である。
しかも有名な「天橋立図」(国宝)を書いたのが80歳になってからという。
![](https://assets.st-note.com/img/1711585895203-ltz7vHaN7m.jpg?width=1200)
なぜ年齢を特定できるかというと、左中程にあるこれ、智恩寺の多宝塔(図A)建立が1501年だから。無い建物は描けないので、1501年以降の絵とわかる。
1501-1420(雪舟生年)=81 よって81歳以降の筆と明らかになった。
![](https://assets.st-note.com/img/1711585988057-kO2einvKKk.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1711586354441-99lONJfa12.jpg?width=1200)
さらに。矢印の箇所、なぜか赤くなってる。
これ、塗ったというより、汚れ。
![](https://assets.st-note.com/img/1711586299471-5yjCOBpnlE.jpg?width=1200)
天橋立図は20枚の紙を貼り合わせたもの。タテ90センチ、ヨコ170センチある。
おそらく、多宝塔に朱を入れたあと、乾ききっていないのに、折りたたんだ。
それで図Aの朱が図Bについてしまった。
「なんだ・・・繊細な水墨画描くわりに、雑じゃん。MAIDOメンバーみたいじゃん」
と思った。思いながら、さらに雪舟の生涯を調べると、どうやらただの「素朴な水墨画を描く風流人」ではないことに気づいた。
雪舟は周防の国、現在の山口の守護大名大内氏に庇護されていた。
「庇護」って具体的にどういうことかというと、「ギャラ払うから仕事せい」
つまり、会社員ですな。
ではどんな仕事していたかというと、ただ水墨画を描いて、「いいですなあ。雅ですなあ」なわけがない。
秘密は、天橋立図にある。
この絵、よく見ると、視点がドローンだ。
天橋立周囲に、この視点が得られる高所(山など)は存在しない。
地上900メートル上空からの視点なのだ。
なぜ雪舟がこのドローン視点で描いたか。
なぜ神社仏閣など、当時そこに現存した建物を明確・正確に描いているか。他の絵では抽象化、デフォルメした描き方する場合もあるのに。
軍事目的だ。
都に近いこの地、「攻めるなら」という前提で、地理をしっかり把握しておきたい。
大内氏としては、そういう思いがあった。
「雪舟くん、というわけだから、ヨロシク」
81歳のご高齢にもかかわらず、山口から天橋立までやってきて描いた。
また、天橋立から山口のアトリエまで帰ってきた。
(まだデッサン段階なのだが)広げ、上司の大内さんにプレゼンテーションした。
「こちら、ここが新しく建立された多宝塔にございます」
雪舟は朱をつけた。
と
ドヤドヤドヤドヤ・・・
騒々しい足音。
「殿、との、一大事にございます。敵の間諜らしき者が」
大内「雪舟、伏せい!!」
雪舟「は」
あわてて折りたたんだ。
そのときついた朱。
なんてね。
想像するのがスケベ心、好奇心でござる。
発想ぷくぷくぽたりんこ。