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タテからヨコへ

2001年9月11日、ニューヨークに住んでいた。その日はたまたま出張で日本にいて、代官山で友人と会ってた。食事を終え、オフィスまで歩いていたら電話。実家からだ。めんどくさいので出なかった。何度もなんどもかかる。さすがに気になって、出た。オカンが「えらいこっちゃ!! ニューヨークで火事や!!」そら、火事くらい、あるやろ。なんでそんな騒がなあかんねん。「ええから、テレビ見てみ!」何言ってるんだおおげさな。テレビつけた。ちょうど2機目が突っ込むところだった。「えらいこっちゃ!!」非現実的なシーンが目の前にあった。

ニューヨークの自宅窓は南向きだった。いつもツインタワーが見えてた。帰宅したら消えてた。喪失感。深い谷を覗き込んだときのような。

タワーというのは、タテだ。建築でタテに上げるのは論理の積み重ねである。一つでも間違うと、壊れる。しかも高層になれば、要素も増える。たとえば、壁を引き剥がす負の風圧を計算しなければならない。映画『ミッション・インポッシブル / ゴースト・プロトコル』、ドバイの超高層ビルにトム・クルーズが張り付こうとしたのは、「剥がす」風圧が加わるから。

ツインタワーが破壊された、というのは、20年後の今日考えると、「論理の終わり」の始まりだったのかもしれない。タワーは論理、その論理が終わるよ、という(念のため。ぼくは911テロについての政治的意見を言っているわけではない。タワーという建築物について語っているだけです)。

ウィルスというのは生物と無生物のあいだの存在。疫学的・病理学的に語られることが多いけど、コロナちゃんが一瞬で地球全土に広がったことからぼくたち人類が学んだのはむしろ社会学的・マーケティング的なことだ。それは、「ウィルスは、アイデア(思想)である」。国境や人種を簡単に飛び越え、広まった。この1年半の、最大のヒットはBTSを追い抜いて、「コロナちゃん」だろう。「広まる」というのは「ヨコ」。どんなに社会的地位の高い人にでも、ウィルスは到達できる。アポイント不要。つまり、「論理(タテ)が終わって、広まり(ヨコ)が始まった」

物理的実体である人が国境を超えて移動するのは、まだしばらくはいろいろ制限があると思う。それでも、アイデアは簡単に広まる。国境を超える。エンタテイメントなんか、そうだよね? 音楽、ダンス、ゲーム・・・。

時代は、タテからヨコへ動いている。これは組織論、企業経営論でもそうで、ヒエラルキーは本当に消失してしまうと思う。それを好むと好まざるに関わらず。

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