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人生を楽しむ考え方
人生は植物に似ている。
土に種を植え、水をやると芽を出し、日光を浴びることで大きく育つ。最終的には綺麗な花を咲かし、儚く枯れてゆく。
僕たちの人生も似たような感じだ。
自分の意思で、自分の力で行動する = 土に種を植える。
家族や友達など多くの人と関わる = 水や日光を与える。
それによって多くのことを吸収し自分自身の価値を見出す = 土から芽が出る。
また沢山の人と関わり、多くのことを学ぶ = 肥料を与え成長を促す。
そうして一つの成果や結果を生み出す = 花を咲かす。
その成果を元に次のステップへと進む = 種をつけ、枯れてゆく。
人生における種は最終的にどんな花が咲くのか分からない。
ただ、この花を咲かしたいと思い、自分で種を選びスタートを切ることはできる。
植物も同じで、例えばピンク色に咲くコスモスの種を植えたとする。
同じように水や肥料を与え、育てる。
そして最終的にコスモスは開花する。
しかし、そのコスモスは思ったよりか小さかったり、大きかったりするかもしれない。はたまた、ピンク色の予定が全く違った色のコスモスが開花する場合もある。最悪の場合、開花まで至らず途中で枯れてしまう場合もある。
人生も最終的に思い描いた結果には繋がらないこともある。
ここが人生において面白いところであり、植物と類似する点である。
ただ、自分でまいた種を理想に近づけることや思い通りにすることはできる。
それは、自分でまいた種をどうやって育て、どのような環境に置くのかというところだ。
種を選び土に植えることは簡単だ。しかし、重要かつ大変なのはどうやって育てていくのかという点である。
スタートを切ったものの、結局なにもせず、放置したままの状態にすると結果として何も得られない。または、スタートを切る前よりか最悪な状態になる。
大切なのは、自分でまいた種に責任をもつということだ。
” 自分の手でまいた種は自分の手で刈り取れ”
これは、高校の部活動で顧問の先生から投げつけられた言葉だ。
そう、自分で招いた出来事 = 自分の手でまいた種は最終的には自分の手で刈り取らなければならない。つまり、自分に責任がある。
スタートを切ったのにも関わらず、責任を持たずにそのままにしないで欲しい。
最後まで自分の人生を諦めずに綺麗な花を咲かせてほしい。
自分の人生に責任を持つ。これは、すごく荷が重く感じるかもしれない。だけど、それは自分軸で自分の人生を歩んでいる証でもある。
自分のやりたいことをする。自分の好きなことをする。自分が楽しいと思うことをする。他人の目なんて気にしなくていい。
ただ、その背景には自分に責任があるということだけだ。
そのことを意識し、種を植え、育てていくと必ず思い描いた成果や結果にたどり着くことや、少なくとも近づくことができる。
もし、大切に育てたのに関わらず、思い描いた結果に繋がらなかった場合、また一から種を植え直せばいい。
そやって、人生は繰り返せれてゆく。
自分の手でまいた種は最終的にどんな花を咲かすのか分からない。
だからこそ面白い。だからこそ楽しい。
無理に頑張って育てようとしなくてもいい。
自分のまいた種に責任を持ちながらもやることは、水をやる。肥料を与える。日の当たる場所に置く。というように簡単なことを人生でもコツコツとやればいい。
一つの小さな種を土に植えワクワクしながら花を育てるように、人生も重く考えず、花を愛でる気持ちで、自分の人生も愛でてあげればいいのではないだろうか。
すると、それなりの成果がついてくる。
少なくとも僕はそう信じている。