人生を合法的に立ち止まる方法はないだろうか
人生を合法的に立ち止まる方法という物はないだろうか。
現世はとかく濁流のように行き過ぎる時の流れに翻弄されている。人は皆うつむきながら速足で、耳に何か聞きながら、電話をしながら、パンを咥えながら、往来を行く。生き急ぎ、健康ブームで時間を大量生産し、大量に消費する。
今の私には休息が必要である。というか、現代人は皆休息を求めてさまよっている。社会人の友人が「生存のための労働ではなくて、労働のための生存なんだ」と言っていたのを思い出す。正にその通りだと思う。
パン食が増えたのもそこに原因はなかろうか。パンは米に比べ、簡単に調理できる。食べるのも簡単である。現代人の御用達になるのもうなずける。つまり、パン食というのは食事の工業化であると考えるのである。コンベアに乗せられ、最適化された栄養補給。これが工業でなくて何であろう。
工業化という視座に立った時に、今の世の中は皆工業化していると思われるのである。流行もその一つではないだろうか。服装をそろえ、食べ物をそろえ、効率化してmodel名を付ける。大学などに通っていると特に考える。私には区別がつかないほど統一されたファッションなどは典型例だろう。
時のながれという物はどうやら全存在が平等に巻き込まれるらしい。そんなことはわかっているが、私は人生に立ち止まってみたいのだ。少し考える時間が欲しい。成長からも、退化からも、競争からも、欲望からも、解放された状態。正に楽園。
右の状態をよくよく玩味してみると仏教のいう解脱に近いものを感じはしないだろうか。俗世を捨て、自らと向き合う。しかし、そんなことをしている間にも、時は無常に過ぎ去っていく。万象は時間に逆らえないのだ。だからこそ、死という一つの停止状態を我々は畏怖するのかもしれない。
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