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偏差値41からの三田国際、開智所沢 合格日記 2/5

N塾を辞めて、その空いた時間で、早稲アカに重課金をすることになった。ただ当の我が子は相も変わらずマイペースで、家にいる時は、朝以外まったく勉強をしない。今から冷静にみると、我が子は、与えられた問題などは、どんなに量が多くても淡々とこなせる強みがあるのだが、自主的には勉強しない。その様子を見ていると、その当時はイライラが止まらなかった。奥さんと、2人で我が子にもっと勉強しろーと、勉強しろーと呪いの言葉を吐きつづきてしまう。そんなの逆効果でしかないのに。それでも本人はあまり気にしないのか、朝の勉強である、要約、漢字、毎日計算、語句のたしなみは淡々とこなしつつ、それ以外は、家ではほとんど勉強することはなかった。そんな中、11月になり、N塾の全国模試が近づいてきた。N塾は退会したが、全国模試は有用だと感じていたため、継続して受験した。
その結果、ついに偏差値は52まで上がる。ドルトンや、開智所沢、かえつ有明も80パーセント以上の合格可能性があるという結果になった。ただ、それでも三田国際のMSTだけは、合格率5%になっていた。
この頃に、改めて受験する予定の中学校の口コミを確認して、我が子に合う学校に厳選することにした。その結果、ドルトンと、開智日本橋は志望校から外すことにした。口コミを信じすぎても良くないが、様々な口コミの特徴だけを抽出して、その特徴が出てくる頻度を見ていると、その学校の実態というのが、透けて見えてくる。その結果、我が子との相性を考えて、志望校を絞ることにした。
ドルトンの代わりに同じ日時の2/3 AMに受けられる受験校を探したところ、急浮上してきたのが、青山学院だった。ただ、偏差値的にはかなり格上の志望校だった。
開智日本橋と、ドルトンの受験を辞めることを我が子に相談したら、あっさりと、それで良いよとの回答。親を信頼しすぎているからなのか、本人の強い意思がそんなにないのか、あくまで他人事。それも心配要素の一つである。
この厳選により、志望校は三田国際、かえつ有明、開智所沢、青山学院の4校になった。
また、この頃には、受験の合否のパターンに合わせて、1月受験から2月受験のフローを全て作り終えていた。1月にこの学校を受けて、受かったらここを受けて、ダメなったらここを受けて、というようなフローだ。パターンはいくつも分かれるため、樹形図のようになる。みんなこんなフローを作っているのかしら?例え後で見直すことがあるにせよ、早めに仮でも良いから作っておくと、イメージも湧くし、戦略は立てやすい。どのような結果になってもうろたえないようになるのは、もちろん、万が一があった時のパターンも含めて、滑り止めの受験含めて2/5まですべてのフローを網羅したものを作っておいた。受験パターンが可視化されることにより、議論も進めやすくなるというメリットもある。その可視化のおかげもあって、滑り止めを受ける時期については、奥さんと若干方向性の違いがあることがわかった。攻め続けて、2/4に滑り止めを受ければ良いという僕の意見と、それまでに全落ちし続けたらメンタルが持たないから、もう少し早めに滑り止めを受けるべきだという意見だ。そこで、2/3に滑り止めを受けるフローに変更した。1月受験がうまくいかず、2月まで受かっていなかったら十分にあり得るパターンだ。そのような最悪なパターンを防ぐためにも、1番大きなファクターになるのは、1月の開智所沢受験だった。開智所沢はまだ2年目の新設校だが、都内からも通える学校であり、且つ、先進的な開智グループということで、人気が急上昇している学校だ。N塾の先生も、開智所沢は人気がありすぎて、今年は去年とは比較にならないくらい難しくなると、予想をしていた。今年は去年の3倍近く受験生が増えるという情報も入っていた。ただ、開智グループは本気で受かりたい生徒向けに加点システムがある。2回目の受験は10点の加点、4回目の受験では、最高30点の加点が付く。30点は大きすぎる。同じく加点を狙う受験生も多いと思うが、加点システムがあれば、なんとか受かるのではないかと思っていた。開智所沢への志望度は3位と高めであり、埼玉ではあるが合格すれば行かせたい学校である。開智所沢に受かっていれば、2月に滑り止めを受ける必要がなくなる。この学校の合格で、2月にかなり攻めた受験をすることができるのだ。そして、もし開智所沢がNGの場合は、第一志望の三田国際を受けられない可能性すら十分にあった。

11/2にかえつ有明の試験体験会があり、参加することにした。かえつ有明は志望度2位の学校だ、かえつの過去問の結果では、2科は合格点を出していたため、自信はあった。その過去問の日から時間も経ち、我が子の実力もアップしている。また試験体験会は4科ではなく、2科であったため、より我が子が得意としている試験範囲だ。ところが、結果は散々だった。試験体験会のテストは、オリジナルではなく過去問を使うことが多いが、そもそもテスト問題が2/1の試験ではなく、2/3、2/4の試験であったため、より難易度が高かった。結果は、合格点にはまったく届いていなかった。ただ、体験会自体は楽しかったと我が子は言っていたのが良かった。初めての入試体験会はその緊張感からか、泣き出してしまう子供もいると事前に聞いていたが、我が子にはまるで当てはまらなさそうだった。
11月も半ばになり、いよいよ開智所沢の対策に少しずつ移っていった。ただ、開智所沢は新設校のため、2024年の過去問しか合否判定できる情報がない。2025年度の問題自体は開智中と全く同じ問題を出すことを明言しているため、開智中の過去問を行うことで対策をすることにした。2022年の開智中の過去問を解いた結果は、最低合格よりも20点マイナスくらいで、初回としては悪くはなかった。開智中が偏差値53くらいあり、開智所沢よりレベルが高いことを考えると、開智所沢であれば合格可能性は高いように感じた。次の過去問デイでは、1日に過去問を午前午後で、2回解いた、その中には開智の特待の試験もあったが、こちらは合格点より40点くらい低かった。ただ、特待の偏差値が59くらいあることを考えると、こちらも悪くないように感じた。本番では実際に1日に2回試験を受けることになる。相当な身体への負担があるように感じたため、その練習もかねて、1日に2回試験を受けたのだ。ただ、我が子は平然とこなして、特に体力面の問題はなさそうだった。体力おばけだと改めて感じた。こういう試験も淡々とマイペースにこなしてしまうのが、我が子の強みである。
試験を受ける側の我が子も大変だとは思うが、一方で、試験を準備する側の親も大変である。奥さんが過去問の問題集の裁断をキンコーズでしてくる役目で、僕が印刷を担当する。問題はB5サイズが多いが、回答用紙は A3だったり、B4だったりで、その度に用意する印刷用紙を変えるのは、かなり大変だ。それでも過去問の印刷を、家で行うことができるのはかなり楽だった。都度、コンビニで行う親もいるという。中学受験にはプリンターが必須なことを、友達から事前に聞いていたのが良かった。brotherのプリンターが届いた時には、こんな業者みたいなプリンター本当にいるのか?と思ったが、これがなければ到底受験を乗り切れなかった。そして、次に大変なのは開始時間や終了時間のアラーム対応だ。試験終了時間がせまると、音を立てないようにソローっと階段を降りて、我が子の部屋の前まで移動して、アラームが鳴るまで待機している。アラームが鳴ったら問題と回答用紙を回収して、新しい問題と回答用紙に切り替えるのだ。そして次の開始タイミングまで待ち、開始のアラームが鳴ったら、またそろーっとリビングに移動する。その開始のアラーム待ちのわずかな時間も、我が子は緊張感なく話しかけてくる。ただ、なるべく緊張感を持たせるためにも、会話をしないように心がけた。
そしてもっとも大変なのが、採点だ。我が子が受験する学校は、自分で考えて自由に記載させる系の問題が多いのが特徴だ。つまり、採点しにくいのだ。これ、合ってるの?バツなの?三角なの?というのを、僕の感性で採点しなければならない。これめっちゃ、不安で仕方ない。最終的には受験校の採点者の感性で採点をすることになるため、僕の感性とは合わない可能性は充分にある。この感覚的採点は、10月などの最初の試験の方はかなり緩くつけていたが、2月が近づくにつれて、徐々に厳しくしていった。だからなのか、今過去問結果の一覧を見ても、最初の過去問の方は、割と点数は良かった。それ以外にも、過去問を行う順番も大切である。受験までにピークに持っていくため、そして早稲アカで対策を打つために、いつ何の試験を持ってくるかは重要になる。早めに2024年などの最新の試験を解いて対策を行うのは大事だと考えた。また、試験直前には傾向が違いすぎる古すぎる問題を解くのは良くないと考えた。また、今後も我が子は成長をするから、最新の問題を早めに解きすぎると、合否の判定がしづらいと考えた。それらの要素を踏まえて、問題の出す順番として、2021年頃の問題からスタートして、試験慣れをした上で、徐々に現在に近い問題を解いていった。現代までいったら、だんだんと過去に遡っていく。ただ、最新の試験問題は1つ残しておいて、試験前日に解くようにした。本番に近い問題を、直前に解いて慣れておくことは大事だと考えた。また古い問題が足りなければ、メルカリで奥さんが、2020年度などの過去問を購入した。
そして、同じ過去問題を2度解くということは、効率が悪いと考えて、行わないようにした。国語は文章を覚えてしまうと、時間短縮につながる。本番は少ない時間で内容を読み取り、考えて答えを導き出す必要があるが、その時間感覚が狂ってしまう。算数であれば、解き方を徹底的に覚えるという意味で、同じ問題を繰り返すのはアリだと思うが、繰り返す暇があったら新しい過去問を解いて、新しい問題の解き方を早稲アカで教えてもらう方が良い。100%覚えたことにこだわるより、80%でいいいから、量をこなして解ける問題を増やしていく。このように2月の本番直前までの、過去問を行うスケジュールも早々に組み上げていた。途中で試験順番を変更することも多かったが、闇雲に解かせるのではなく、効果的に解かせるという意味でも早めに過去問の順番を決められたのは良かった。
そんな受験の真っ只中に、小学校の運動会があった。その頃の両親は精神的にかなり追い詰められていたから、休ませたいくらいだったが、もちろん我が子はそのようなことは望んでいない。今にしてみると、運動会はいい気分転換になったと思う。
11月は開智の過去問を行いながらも、三田国際、青学の過去問も行った。三田国際、青学はともに難しすぎるため、対策にはかなりの時間が必要だと考えて、11月という早いタイミングでちょこちょこ過去問を入れておいた。その結果、三田国際、青学の試験が続いた11月の後期あたりから、悪い歯車が回転をし始めたように感じた。結果としては青学も、三田国際も最低合格点にまったく届いておらず、その差は60点もの開きがあった。例えば162点の最低合格点で、101点しか取れない。三田国際の方がさらに悪く、70点もの開きがあることがあった。絶望的な差に感じた。我が子にとって難しすぎる問題が続いたせいか、解けないループに入ってしまい、普通の問題も解けなくなってしまった。この時に早稲アカの先生と面談をして、三田国際か青学か、どちらか諦めた方が良いというアドバイスをいただいた。どちらかといえば、三田国際の方が点数に差があって無理だと感じたのだが、先生は三田国際の方が我が子に合うから青学は諦めた方が良いというのだ。もともと、2/3の午前に受けたい学校がなく、ドルトンの代わりに入れた学校だったため、あっさり諦めることにした。他に受けたい学校もないため、もし開智所沢に受かっているようなら、2/3の午前は試験を受けずに、お休みすることにした。
そんな悪い流れのなか、僕は入院する事になった。突然、強い下腹部の痛みがあった。これはただ事ではないと感じた。僕が受験に頑張りすぎたとかではなく、ただの盲腸で入院することになった。2泊3日で手術をしてから、退院した。我が子の受験対策で忙しい中、奥さんには面会に何度も来てもらって、迷惑をかけてしまった。
話を戻すと、三田国際と、青山学院の難しすぎる問題で我が子の調子は明らかに下がっていた。12月に入った三田国際の過去問の結果は、なんと合格点に90点も届いていなかった。悪い流れの中で、12月の全国模試は始まった。調子が落ちているなか、我が子は頑張ったが、それでも偏差値は52から50まで下がった。今にして思えば、新たな挑戦中の産みの苦しみの途上だったが、なかなか上がらない成績に親のストレスは半端なかった。三田国際にまったく届かない、全国模試の点数は落ちていく。二月の勝者によると、子供よりも、親が先にメンタルが潰れるらしい。まさにその通りだった。我が子はどこまでもマイペースで、まあなんとなるでしょという感じだった。
悪い流れが残る中、我が子は諦めずに粛々と早稲アカで解けなかった問題を振り返っていき、徐々にその成果が出始める。問題が解けるようになってきたのだ。特に三田国際の算数は当初15点くらいしか取れなかったのが、75点まで成績を上げてきた。ついには、4科目で合格点に15点差までのところまできて、その次の過去問では、なんと最低合格点を上回る成績を叩き出した。しかも、最低合格点を20点以上も上回ってきた。よくもまあ、諦めずに挑み続けたものだ。早稲アカで教えてもらいながら、手ごたえを感じていたのかもしれない。これが12月の前半の出来事だ。国語の成績もかなり伸びてきていて、この頃には記述問題はむしろ得意問題になっていた。
さらに三田国際の対策を進めて、合格率を高めていきたいところだが、そうも言ってはいられない。先に受験が来るのは開智所沢だ。12月半ばからは開智所沢の合格に向けて、一気に開智モードになった。1月10日までにほとんど全ての過去問をやり尽くす予定だ。三田国際の成績が上がってきたから、開智の問題も楽勝かと思っていた。ただ、問題の傾向も違っていたため、最初の方は合格点には全然届かなかった。どちらかというと、開智の問題は漢字だったりの記憶系の問題が多く、我が子が苦手とする系統が出る。最低合格点に30点とか、10点とか、足りない成績が続いた。ただ、実際の開智所沢は開智中よりも偏差値は低く、十分受かる可能性があるのではないかと思っていた。開智対策が本格化する中で、冬季講習期間に突入する。早稲アカの授業を毎日4コマを入れてみたところ、なんと冬季講習分だけでとんでもないお金の請求が来てしまった。重課金から、廃課金へと突入したフェーズである。ここまで来たら、課金するしかない。早稲アカの先生からは4コマは体力的に大変と気にしていたが、我が子は全く問題ないという感じで、早稲アカに通っていた。学校がなくなり、家にいることが多くなったため、奥さんがお昼も、夕飯も作らなければいけないのが、かなり大変だった。
三田国際と違い、開智は成績が伸び悩んだ。特待の算数はかなり解けるようになってきていたが、特待を狙いたいわけではない。そして最後まで合格点を出せない状況のまま、ついに最新の2024年の問題を解くことになった。結果は想定通りで、開智中は合格点は出せないものの、開智所沢は余裕で合格点を超えてきた。ただ、去年と比較して、今年の開智所沢の偏差値が上がることは間違いない。予想できないのは、どこまで開智所沢の偏差値が上がってくるかだ。この頃には、開智所沢の受験会場がほとんど埋まり、合計2万人近く受けることがわかっていた。これまで長年に渡り中学受験の受験者数トップの王者として君臨してきた栄東中学校を上回り、開智グループが受験者数トップを奪い取ったのだ。そんなニュースがYahooニュースを賑わせていたため、心配は尽きない。偏差値が上がることは想定していたが、N塾の予想偏差値では、それでも開智中の方が上としていた。
我が子はクリスマスも勉強漬けの日々だったが、ケーキだけは奮発して7000円近くのものを3つも買った。人気の吉祥寺のお店のケーキで、事前に並んで予約までして買ってきた。だったのだが、、、3つもケーキがあると食べてるうちにちょっと飽きてきてしまい、ちょっと後悔した。何事も足りないくらいが丁度いいんだなぁ。我が子は変わらずマイペースで、危機感もなく、家ではSNSに興じていた。親ばかりが焦る日々だ。
年末年始という、受験生にとって、とても大切な日。なんと早稲アカ個別はお休みだった。早稲アカ本体は年末年始も授業があるが、個別塾は受験に特化しているわけではないので、お休みなのだ。紅白が始まる中、我が子はいつも通り過去問を解いて、SNSを見て早めに就寝をした。以前、早稲アカの先生と面談をした時に、「最近、かなり疲れているのか集中力がない」という指摘があった。思い当たる節があったので、それを踏まえて、20時半には寝るようにして、6時半に起きるようにした。10時間睡眠だ。変更した直後は如実に良い影響があるように感じた。我が子はさっぱりした顔をしているし、成績も伸びてきていた。ただそれもしばらく経つと、ドンドン集中力が無くなっていき、むしろ前より集中力が落ちているように感じた。10時間も寝ているのに、いつも眠そうにしていた。またこの時には運動不足も感じた。年末年始は特に、学校に行かずに、早稲アカにも行かずに、ずっと家にこもっていたので、筋力が衰えるのは当たり前だ。それなのにお米は二、三回おかわりするくらいの食欲があり、かなりポヨっていた。ふっくらしたお腹と、お顔。実は、筋肉がないことは、勉強にも支障をきたす。筋肉は血液を全身に届けるポンプの役割を果たしているため、適切な筋肉がないと脳にまで十分な血液とそれに伴う酸素を届けることができず、頭が働かないのだ。そこで、我が子の運動不足解消のためにも、ランニングマシンを買うことにした。

つづく

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