瀬戸内フォルケフォイスコーレに参加したら、自分が気づけていなかった大切なことに気づけたかもという話
2024年の11月1日(金)から4日(月)にかけて瀬戸内フォルケフォイスコーレに参加させてもらってきました。
今回は、そこでの様子や私が学ばせてもらったことについて書いてみようと思います。
今回も、1万3千文字越えと大変に長くなっているので、時間ができた時にでものんびり読んでみていただけると嬉しいです笑
以下、目次になります。
ちなみに、こんな場所で行われました。
(1)フォルケフォイスコーレって何?
いきなりフォルケフォイスコーレという言葉が出てきて何のことだろうと思った方もいるのではないかと思い、まずは簡単にそこから説明しておきます。
フォルケフォイスコーレは「生のための学校」とも言われています。
一言で言えば、デンマーク発祥の、ゆっくりと時間をかけて自分の内面と向き合い、自身の生き方について考える空間というイメージでしょうか。
Googleで検索すると以下のような説明が出てきます。
なお、私自身においては、実はまだ行ったことがなく、いつか行ってみたいと思っている人、という位置付けになります。
ただ、現地まで行ったことがある人や、いつか行ってみたいと考えている人、また、現地であるデンマークや日本に作りたいと考えている人の話は聞いたことがあるので、全く知らない普通の人よりは、それなりに知った上での参加と言って良いでしょう。
なので、今回の瀬戸内のは、現地のプログラムに参加するにあたってのヒント探しという狙いもありました。
(2)今回参加した瀬戸内フォルケフォイスコーレはどんな感じだったの?
今回参加したのは、4日間のプログラムでした。
本家のフォルケフォイスコーレは、短くても1〜2週間程度、長いと半年から1年くらいという話なので、相当にコンパクトな内容になっています。
それでも平均的な日本人が休める日数から組み立てると現実的には、このくらいの期間でないと参加は難しいのではないかと思います。
また受けてみて思いますが、4日間でも多くの参加者が得たものをしっかりと自分の言葉で語っていたこともあり、4日間でも十分に得られるものがあるなということを感じました。
なお、内容についてはこちらのウェブサイトにあるので、ぜひ見てみてください。
(3)主催者はどんな人たちだったの?
主催してくれたのは、以下のお二人でした。
こちらも先ほどのウェブサイトにあるため、詳しくはリンクから飛んでいただき、インスタやnoteなどを読んでみていただけたらと思います。
耕平さんもよしこさんもお二人とも、デンマークのフォルケフォイスコーレに参加してきた中で、このプログラムの日本展開の可能性を感じて、今回の場を作るに至ったというお話しでした。
今回のプログラムの中では、お二人が実際に現地に行ってどんなプログラムを受けたかや、そこでどんな先生から何を教わったか、どんな人たちが参加していたか、そこで何を感じたか、などをとても丁寧に語ってくれました。
(4)参加者はどんな人たちだったの?
今回は、主催者の2名に加えて、私も入れて8名の参加者がいて、合計10名での実施となりました。
主催者のよしこさんもお話しされていましたが、本国デンマークのプログラウムでも、男女比が2:8になるそうで、まさにそんな構成だったそう。
年齢的には、20代〜50代の方もいたそうなんですが、平均年齢を取ったら30中盤という感じでしょうか。
個人事業主の方もいれば、会社員の方もいて、半々くらいだったように思います。
(5)どんな体験ができたの?
頭だけでなく、心と体と全身で感じる
詳しくは上記の4日間のプログラムにありますが、言葉や頭を使ったワーク以外にも、体や心で感じるワークがたくさん用意されていました。
全てが対話の時間
用意されたワーク以外にも、食事をしながら、それぞれの興味関心や今もっているテーマ、これまでの体験や自分が大切にしている価値観について共有し合いました。
また、夜はキャンドルを囲みながらそれぞれの内面を探求するワークが用意されていました。
フォルケフォイスコーレでは、それぞれが提供できるものを提供する
フォルケフォイスコーレの特徴として、学校側が全部の時間分のコンテンツを用意しておくという形態は取らず、各々が共有できるものを共有し合うというスタイルになっています。
自分が提供できるもの「HAVE」と相手に期待する「REQUEST」を付箋に貼ることで、みんながシェアできるものを共有し合いやすいようになっていました。
(6)私が提供してきたレゴシリアスプレイ体験
今回デンマーク発祥の教育プログラムということで、私も同じくデンマーク発祥の教育手法であるレゴシリアスプレイを体感いただくセッションを提供させてもらいました。前回のフィンランドでの働き方を学ぶツアーの時と同様ですね。
以前、これに関連したエントリーを書いているため、興味がある方はこちらもご参照いただけたらと思います。
ちなみに、今回作ってもらったのは、それぞれの北極星モデルをデザインしようというワークです。
北極星モデルというのは、自分が辿り着きたい場所をいついかなる時も確認できるようにと形にしたもののことを指します。
本来であれば、メインのワークに入る前にいくつかのステップを踏みながら、だんだんと自分の核心に迫っていきます。
今回においては、後述するように2日目のワークの中で、
・自分の情熱とは?
・自分が活躍できるフィールドとは?
・世界が自分を必要としているとしたらそれはどこか?
というワークが用意されていました。これにより、レゴシリアスプレイに入る前にとても良い形で、段階を踏んでいくような内容となっていたため、今回はいきなり北極星モデルの制作に入っていきました。
結果的に、1日、あれこれとワークをした上での夜の21時から23時という、時間帯的には、とても厳しい環境であったのにもかかわらず。
みなさんとても良い形で自分のありたい姿を形にしてくれたのではないかと感じました。
(7)直島だからこその価値ってあるの?
これを読んでくださっている方々の中には、初めてフォルケフォイスコーレのことを知ったと言う方もいるかもしれませんが。
すでに興味を持っていて行き先を検討している方や、現地まで行って参加してきたという方もいるのではないかと思います。
そこで、直島で行われたことの価値についても簡単に書いてみたいと思います。
なお、先ほど申し上げたように、私は現地のフォルケフォイスコーレのプログラムや、他の場所でのプログラムには参加したことがありません。
ただ、国内外の様々な教育プログラムを受講してきていて、かつまた自分でも様々なテーマでの人材育成プログラムを提供してきている人ということで、そこで得た感覚をもとに書いてみます。
結論を言うと、直島で行うことの価値は大有りだなと思いました!
理由は以下の2つです。
①直島の自然の美しさ
直島の海、初めてみましたが、とっても美しく、かつまた面白いなと思いました。
瀬戸内海が全般そうなのかもしれませんが波の動きがとっても緩やかです。
今私が住んでいる軽井沢から見える山や森の景色も美しいものですが、直島から見える海と比較すると静止画のように感じられてきます。動きが感じにくいのです。
また、同じ海と比較しても沖縄や以前私が住んでいたセブ島の海などは、波の動きが早く、激しいものがあります。
あの海を見ていてもあまり穏やかな気持ちにはならないのですが、直島の海は、波の動きが永遠と続いていくような感覚になり、ゆったりとした時間を過ごせるのがとても良いなと感じました。
②直島でアート作品に触れる
ご存知の方も少なくないと思いますが、直島はアートの島ということで有名です。
アート作品と触れていくという体験は、フォルケフォイスコーレが本来持つ「生のための学校」という観点から見ていくと、自分の内面から生まれ出ていくものと向き合う際により多面的に向き合えるという点で、とても良い刺激をもたらすなと感じました。
私の場合、これまで、あまりアートに縁がなく、直島のこともなんとなくアートの島で有名だよなという程度でした。
アートについても、いまいちわかっていない自分がいます。
今回、初めて直島のアートに触れるにあたっても、ちゃんとその魅力が味わえるかなと不安もあったのですが。
以下の3つのサポートがあったおかげで、私でも十分に自分の生き方と照らし合わせながら深めていくことができました。
その1 アート作品に触れるまでの準備
今回の体験では、美術館に行く前に、本プログラムの参加者と一緒に1つのアート作品をそれぞれの感覚で鑑賞し、感じ方の違いを理解していく時間がありました。
そこで、それぞれの鑑賞の仕方の違いや感じ方の違いから対話を深めるという練習、スキルビルディングのような効果があったなと思います。
その2 美術館に行くにあたってのミッション
また、実際に美術館に行く際にも、一番気になった作品を写真にとってきて、施設に戻ってきてから対話型鑑賞をしたり、美術館を3人のグループになって巡り、一緒に作品を鑑賞したりしていくというスタイルになっていました。
それもあり、一人で鑑賞するよりも圧倒的に作品を楽しむことができたなと思います。
その3 美術館が用意している工夫
また、美術館においても、学芸員の方が作品についての解説をしてくれたり、作品を前にして、
「あなたはこの作品をどこの角度から見るのが好きですか?」
「あなたはこの作品は何を表現しようとしているのだと思いますか?」
「あなたはこの作品のここの部分の表現について、どういった解釈を持ちますか?」
と個人の受け止め方を引き出し、そこから作家さんが言葉で語っていることも含めて、解説をしてくれたのもまた、アート作品を鑑賞することの楽しみ方の補助となっていました。
加えて、作品を鑑賞する際には、ノート、手引書のようなものを渡され、それを持ち歩きながら、鑑賞するというスタイルになっていました。
該当する作品の前に立ちながら、その手引書を開くと、作品の概要や問いかけがのっており、それについて過去に鑑賞した国内外の様々な方々の解釈が載っていたのもとてもよかったなと思います。
時空を超えて作品を鑑賞し、その多面性を味わっていくという点で、非常に良くできたアプローチだなと感じました。
なお、直島の活動についてはこの記事がとてもよくまとまっていて、良いと思います。
なんと、今回の主催者の一人である耕平さんも登場していて、私もびっくりしました笑
(8)フォルケフォイスコーレで実施されたワークに取り組む
今回のプログラムでは、主催者の方々の人生に触れながらの対話の時間とともに、現地のプログラムの中で用意されていたワークに取り組むという時間がいくつもありました。
そこで語ってくれたことの中から特に私にとって印象深かかった内容を写真で紹介してみます。
さすがに写真が小さくてスライドの内容までは読めないかもなので、ぜひPCのモニターなどで写真を大きくして読んでみてもらえたらと思います。
スライドを眺めてみてもらえればわかると思いますが、どれもなかなか日本では教わらないもの、聞かないものばかりだなという感じですよね。
また、現地で体験したワークも共有してくれました。こちらも、いろいろとあったのですが、私が印象に残ったワークをいくつか紹介してみます。
①目に見えるものから自分のテーマを探究するワーク
目に見えるものを16個書いて、上下2つをセットにし、最終的に1つになるまで2つの言葉から浮かぶ言葉を加えていくワーク。最初はみんな似たような話になるのに、最後は個人の価値観が大きく反映されていてめちゃくちゃ面白いなと思いました。
②世界が自分を必要としている領域を考えるワーク
耕平さんがくれた問いが「世界が自分を必要としているとしたらそれはどこか?」というものでした。この問いは、これまで耕平さんが直島にやってきた海外からのお客さんからもらった言葉だそうです。
カメラを生業としている耕平さんは、直島にやってきた観光客に話しかけ、写真を撮らせてもらいながら、インタビューをしています。
そこでとった写真をインスタにアップしていく中で一人の旅人から「この取り組みは世界が必要としている」というコメントをもらったのだそうです。
そんな経験から、もし自分が世界から必要とされているとしたら、それは何か?という問いが浮かんできたのとか。
それを私たちにも投げかけてくれました。
たしかに、自分の立場として考えてみても、自分が旅行先でこんな形で写真を撮ってもらえたら忘れ難い思い出になるだろうなと思いました。
また、これも被写体から自然体の笑顔を引き出せる耕平さんだからこそ届いたコメントだとも思います。まさに耕平さんの強みが輝いている感じがします。
ちなみに、耕平さんのインスタがこちら。こんな感じの素敵な笑顔がたくさん載っています。
私も、この問いについて考えてみた結果、こんな形になりました。
私がこだわりとして思ったのは、これから生まれてくる子どもたちや、未来に大人として社会を支えていくことになるであろう今の若者たちが、「こんなものを残さないでくれ」「これを残してくれてありがとう」と思ってくれるような仕事を残していくことだなということでした。
それに向けて何に取り組んでいったら良いのだろうかと考えてみたのですが、結局、一周回って、今取り組んでいることをこの調子で頑張ることだなというふうに思えました。
③振り返りとして詩を書く
3日目の夜には、3日間の振り返りを詩にまとめようというワークがありました。
私の場合、主に他者に正確に、認識のずれができるだけ生まれないようにと日常的に文章を書いたり、チャートなどで説明をしていたりしますが、最後に詩を書いたのはいつだったか、全く思い出せません苦笑
詩で表現してくださいと言われた瞬間、「なんだこれは・・・」とフリーズしたのですが、とりあえず、3日間の振り返り情報は頭の中に山ほどあります。
固まっていても仕方がないので、まずは頭の中に浮かんできた要素を書き出すことにしました。
ええ、ご覧いただければわかるようにいつものように構造が言葉とチャートで出てきます苦笑
これを書いている段階で時間が終了。
みんなが出来上がった詩を発表をしていくことになりました。
「みんなこれ、書けているのかな?」
「私と同じように書くのに苦労している人がいると良いな」
と思ったのですが、なんとびっくり。みんなそれらしいものが出来上がっています。。。
私の場合、チャートしかないため、どうしたものかなと思いました。
このまま、ギブアップして、チャートを見せるという手もあったのですが、それもそれで、ダサさが感じられます。
できないと決めつけずに、この機会にやってみようと無理矢理にでも詩にし始めた結果。なんとか、私もそれらしいものに仕上がりました。
ただ、書いてみて、これが詩なのかなんなのか。
これが良い詩なのかどうなのか。
自分でもよくわかりません。
でもきっとこれで良いのだろうと思いました。
正確に自分の考えが伝わるかどうかという話ではなく、自分が何かを表現すること、相手がそれを相手の目線で解釈することが大事であり、そこにずれがあったとしてもそれで良いのだろうなということにしました。
結果的に思ったのが、できないと思い込んでいて手を止めてしまうと、やっぱりできないままだなということと。
良いかどうかという観点で見てしまうと、良いものにならないからやめておこうとして、生まれないものがあるなということも思いました。
個人的に出来上がった詩に対しては今もあまりしっくりきているものはないのですが。これまで使わなかった思考回路が回ったということに対する手応えはしっかりとあります。これを得られただけでも価値があるように思いました。
今回もこれまでのように呪術廻戦で説明すると、五条先生が宿儺と戦う時に、領域展開後に焼き切れた術式を回復させるため、一度自分の脳を破壊して、修復するという超高等技術を使っていましたが、そんな感覚を得ることができました笑
④振り返りとして絵を描く
3日目の振り返りは、詩で表現するという課題が出ましたが、最後、4日目の振り返りのテーマは、絵・アートで表現するというものでした。
これまた私が最も縁遠い作業です。
先ほども書いたように、複雑な概念をチャートで説明するというのは、日常的に行っているものの、イメージを絵にするというのは全く記憶にありません。
今回も、まったく手が動かないということが起こったのですが、昨日の自分の得意な脳の回路を一度壊して、全く新しい回路を動かすというアプローチに挑戦する良いチャンスだと思い、やってみることにしました。
とはいえ、今回も、絵のイメージこそ浮かんでいませんが、チャートでは出てきています。それを形にしていくことを考えていきました。
また、絵を描いて表現するという課題は、もう1つの意味で難しいものがありました。
それは、誰にどうなってほしいかがわからないままに着手ができないという私の思考の癖が働いてしまうからです。
それはやはり私の仕事が、教育施策でもこのnoteでも参加者や読み手が誰なのか。
その人たちがどういった状態に辿り着けると良いのか(ゴール)。
そして、参加者や読み手ををゴールに導くためにはどういったステップで障壁を解消することが良いのか、というアプローチに最適化されてしまっているからでしょう。
ということで、4日間の振り返りを誰かを対象としてその人に届けるための要素は頭の中に浮かんできつつあるのですが、絵で表現してくださいというのはあまりに難しすぎます。
本当は、これらの思考パターンも消し去って、純粋に絵が描ければ良かったのでしょうが。
私にはさすがにそれは難しすぎるということで、いつものようにまずは考えるべき問いを明らかにし、順番にその問いについて答えを出していきました。
最終的に、私の書いた絵は、右下のもの。
直島から見えるキラキラと光る瀬戸内海に4つの島が浮かんでいて、そこに旅人が訪れては自分が得たいものを得てまた次の旅に出ていくという作品です。
4つの島というのは、上記のメモにある通り
1、イメージの島=浮かんだイメージから思考を展開する支援を行う空間。
2、脳の島=自分の得意とする思考パターンを強化するのとともに、従来の得意とする思考パターンを一度破壊し、新たな思考プロセスを獲得する空間」
3、数字の島=抽象的な価値を数字に落とし込みながら、目指す理想と現実とを擦り合わせていく空間
4、ReQuestの島=他者の要望を聞いていくことで、自分の活動を拡充する空間。
ちなみに3つ目の数字の島と、4つめのReQuestについては、いきなりこれが出てくると意味がわからないだろうと思い、簡単に共有しておきますと以下になります。
3の発見の背景として、直島の非商業主義的なありようや新しいアプローチに対して保守的なありようから、直島の財政状況が気になってきて、公開されている情報を調べた結果、というのがあります。
このサイト、今回調べて、初めて知ったんですが、めちゃくちゃわかりやすくて良いですね。気になって日本のあちこちを調べてしまいました笑
まだ地方自治体の経営、運営については全然わかっていないことだらけだということに気づいたので、これも今後数年単位で勉強していけたらと思っています。
また4のReQuestについても。
今回、ReQuestの語源を調べていくと、Quest=自分のミッションを、他者からの問いかけのもとで、Re=新たにする、つまり相手の問いかけから、新しいミッションが生まれる、という意味があるのだそうです。
4つ目の島は、まさにReQuestが今後の社会に求められているものだという着想から生まれました。
みんながアートの授業を受けている中で一人だけデザインの授業を受けていたみたいな作品になったのですが、まあ、これも1つの絵だということで、今回はよしとすることにします笑
⑤ニーズカードを用いてお互いにフィードバックをし合う
プログラムの最後には、上記のように4日の経験を振り返った上で、また4日間を共に過ごしての相手へ送りたい言葉を渡し合うというワークがありました。
その際、今回のフォルケフォイスコーレでは、NVC(ノンバイオレントコミュニケーションの略)で用いられるニーズカードを用いて、お互いにフィードバックをし合いました。
今回、私がいただいたフィードバックもとても大事なものばかりだったのでぜひそれも共有させてもらえたらと思います。
先ほど見せた私の振り返り用の4つの島の絵の話をした上で、それに対して渡してもらったのがこれらのカードになります。
見ていただければわかるようにたくさんありました。
その中でも印象的だったもの、いただいて本当に嬉しかったのが以下の言葉でした。
いやー、なかなかこうやってフィードバックをいただくことはないので、本当に嬉しい話だなと思います。
特に、学習とか、探究とかは、自分が頑張れば良い話ですが、右の方に置かれている「みてもらえること」や「あたたかさ」については相手の受け取り方の問題で。どれだけ自分ががんばっても相手がそう思ってくれないことにはそうはならない話と言っていいでしょう。
それもあり、そういったことを言っていただけたのがとっても嬉しいですね。
(9)4日間の振り返りで起こった驚くべきこと
今回、私としては、最後の振り返りで、これまでとは違ったアプローチがとれる自分に気付き、たくさんのことを学べたな、また1つ新しい世界が見えてきたという気持ちでした。
先ほども書いたように、車座になって振り返りを行った時にも元気よく私の学びを共有したのですが、私の次から発言する方々が涙を流しながら今回の体験を振り返っていました。
最終的には全部の10人の参加者のうちの半分くらいの方が涙を流していたのではないかと思います。
私としては、今回の体験の中から涙が出るような要素が見当たらなかったので、最初は何が起きているのだろうと思ったのですが。
聞いていくと、どうやらそれぞれの方々が日常的に抑圧されていたものに気付き、そこから解放された感覚を得ていたようです。
また、そのありのままの自分を受け入れてもらえた感覚が得られたことがとても価値がある体験だったという印象を受けました。
考えてみると、私も公務員だったころや会社員だったころは、さまざまな抑圧の中にいました。もし、あの頃の自分がこのプログラムを受けていたら同じように思ったのかもしれないなということを思いました。
もちろん、今も個人事業主として仕事をする中で抑圧を感じる瞬間はありますが、最悪、合わなかったら契約を解除してもらえば良い話です。
解除ばかりしていたら私の生活が成り立たなくなるため、会社員とはまた別のリスクがあるわけですが。それでも私の気質にはこの働き方は(今の所)あっているのだろうなということを思いました。
自分で仕事を選べるというのは本当に恵まれた環境なのかもしれないですね。
(10)フォルケフォイスコーレに参加してみて思ったこと
私の場合、日常的に立ち止まって熟考やリフレクションをすること(主にサウナの中で)、自分が囚われているかもしれないことに意識を向けて、そこから解放されることについては、かなり丁寧に時間をかけて取り組んでいるなと思います。
ということもあり、今回のプログラムでの自己内省的なワークについてはそれほど発見がなかったというのが正直なところです。
ただ、これは、私が相当、例外的な状態だとも思えるので、きっと多くの人にとってとても良い機会になるのだろうなということを感じました。
ただ、そんな私だからこそハマった点、得られた気づきとしては以下の3つでした。
①他者からの期待を得られていなかった。
よくキャリアにといては、will(やりたいこと),can(できること),must or need(やらなければいけないことや、求められていること)の3つの重なりを考えなさいという表現がなされます。
私の場合、これらの3つの重なりについてもまた日常的に意識を向け、そこから取り組みを考えているということもあり、さきほど書いたように自己内省的な要素としては発見がさほどなかったという形になったのかもなと思ったのですが。
ただ、周囲の人の期待からこれらを構築することはほとんどしていないんだなということに気づきました。
これは良くも悪くも、自分で一定程度はできてしまうことの弊害だなと思います。
今回のワークを受けて、もっといろいろな人の意見を聞くことで展開していくことはたくさんあるのだろうなと感じました。
現に、今回も自分が生きるフィールドについて考えるワークにおいて主催者のよしこさんが私にこんな言葉をくれました。
たしかに、私の文章は長いことは自分でも自覚していて。
どうせ読まない人は読まないだろうから別にいいやと思い、基本的に過去の自分に向けたメッセージという形で書いていたのですが。
違うアプローチであれば届く人もいるのかもなということを今回考えさせられました。
ということで、全部、導入するかどうかはさておき、2025年はもう少し私に対するリクエストをとって活動内容を考えようと思いました。
②縁遠いものとの接点
もう1つの発見としては、縁遠いものとの接点というのがあります。
具体的に言えば、アートに触れることと、感覚的に表現することの2つですね。
これは、良くも悪くも、これまでのパターンが確立されてしまい、毎回、同じように処理されていくという経験を積み重ねてきた結果だなということを感じました。
これはこれで別に悪いものではないのですが。
自分のパターン以外にも、世の中にはいろいろな表現方法やアプローチ方法があるわけですから。
もう少し異なるアプローチを身につけられるように取り組んでみるのも悪くないなということを感じました。
③改めて人は感情と言葉になりきらないもので生きている
これが、一番の自分の理解できていなかった点だなと思いました。
先ほども書いたように4日間の最後の振り返りでの時のこと。
私は、元気よく振り返りを共有したものの、みんなは私とは全然違うムードで、涙を流しながら振り返りを行なっていたのが今も忘れられません。
良くも悪くも、私は思考と論理で自分の内面にある要素を編集、整理してしまうところがあるのですが、誰もがこういうアプローチをとるわけではないというのが当たり前だけれど自分にとっての大きな気づきになりました。
自分の場合、何でもかんでも言葉にしようとし、言葉を中心に理解を進めようとするところがありますが、世の中には言葉になりきらないものの方が圧倒的に多いのでしょう。
今後、人と関わっていく時には、なんでもかんでも言葉だけで進めないように、言葉にならない内面にあるものを大切に取り扱っていけるようになっていきたいものだということを思いました。
(11)まとめ
ということで、瀬戸内フォルケフォイスコーレの様子やそれに参加してみての私の気づきと学びが以上になります。
今回の参加にあたっては、ここ1ヶ月ほど、なかなか仕事に時間を割けない日が続いていたので、参加しようか、すまいか、どうしたものかなと思っていたのですが、行って本当によかったです!
素晴らしい体験を用意してくれたよしこさんと耕平さんには感謝しております。
二人とも「また機会があったら直島でフォルケフォイスコーレをやりたい」ということだったので、次回があった際には、ぜひ参加してみていただけると嬉しいです。
また、「参加の決定までは至っていないけれどぜひもう少し詳しく聞いてみたい!」という方がいましたらコメントなどいただけると幸いです。
ということで今日も素晴らしい学びの機会をどうもありがとうございました。
おまけ:耕平さんが撮ってくれた今回の素敵な写真
最後に本プログラム中に耕平さんが撮ってくれていた写真をお見せして終わりにしたいと思います。
ほんと、プロはさすがだなと言う写真ばかりですね。カメラマンを探している方がいましたら、ぜひ耕平さんに依頼をしてみていただけたらと思います。改めて耕平さんのインスタアカウントがこちら。