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ラ・ボエーム


 2018年10月1日、94歳で急逝したシャルル・アズナブール。同年9月、日本で開かれたコンサートが最後になった。アズナブールは、死の間際まで現役だった
 私は、彼の歌う〈ラ・ボエーム〉、が好き。 貧しい画家とモデルの20歳の時の恋を回想する歌。若い頃から晩年に至るまで歌い継がれた曲だが、彼の年齢によってまるで別ものに聞こえる。

 言うまでもなく、若い頃の方が、声量があり、声の張りや透明感も優れている。まるで恋の思い出に闘いを挑む騎士のような華やかな歌いっぷりだ。アズナブール自身も美しい。歌い終わるや、握りしめていた小道具のハンカチを、苦笑しながら捨てる。新しい恋が既に始まっているのかもしれない。

 一方晩年は、敢えて旋律にのせず呟くように歌う。くっきりと影の在る歌い方。言い換えれば、思い出になってしまったけれど、その恋がかつて存在した事を痛いほどに感じさせるのだ。であるからこそ思い出を拒否するかのように投げ捨てられるハンカチ。聴き終えた時、私はいつも泣いている。

 この違いは何処から来るのか。仮に前者を30歳、後者を70歳とするなら、20歳との距離感の違いではないか。三十男が20歳の恋を回想する時、そこには10年分の〈思い〉しかないけれど、70歳だと50年分。単純に計算するなら、5倍もの〈思い〉が込められ歌われているから、聴く者をも同じ舞台に立たせてしまう。
 
 詩作にも同じ事が言えないか。
 私も若い頃は、それが自分の詩風だと信じて華やかで官能的な詩をたくさん書いた。それから敢えて書かない時期があり、再び書き始めた。還暦過ぎた今、現在進行形の自分の詩を書いてゆきたいと思っている。

 La bohème, la bohème
 Ça ne veut plus rien dire du tout

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