大地の恵み・人の恵み ~お米編~
こんばんは、きぜつです。
11/5に、2024年「新語・流行語大賞」の30候補が発表されましたね。
いつも、だいたい3分の2は知っているのですが、残り3分の1は耳慣れない言葉。どの界隈でなぜ流行ったのか、背景を調べるのも面白かったりします。
最後の30番目(50音順だから?)にノミネートされたのが「令和の米騒動」。確かに新聞やニュースなどではよく耳にした言葉です。
米が品薄になったのは、昨年の米の品質、インバウンド需要の拡大、南海トラフの地震の影響による買い占めなどの様々な要因で需給のバランスが崩れたからなどと言われていますが、詳細な原因の分析は専門的なレポートに譲ることにします。
ただ、紛れもない事実として、夏以降、スーパーから米が消えました。
そんな中、9月のこと。
妻の親戚が所有する田んぼの稲刈りに参加する機会に恵まれました。
以前に書いた「果物編」と同様、収穫だけのゲスト参加ですが、お米のありがたさを文字通り「噛みしめる」こととなったのです。
風にそよぐ稲穂を眺めると、アコースティックギターとともにこの歌が頭の中で流れます。私はこの黄金のような色が好きです。
播種から田植え、そして夏の間に生長し、収穫時期を待ち侘びたような稲穂たち。親戚曰く、コンバインがない限り、これらを刈ったあと、乾燥させるために掛ける作業は人海戦術だと言っていました。
こういう時は、私のような一兵卒の出番です。
まず、現場に到着したときにはこんな感じ。
手押し式の稲刈り機で、一束ごとにまとめられています。
この一束を、組み立てた物干し竿のようなもの(稲架)に掛けていきます。
この作業を「稲架掛け」と言います(読みは「はぜかけ」「はざかけ」「はさがけ」 など地域で色々あるみたいです)。
掛け方は多くの流派?があるようですが、ここの場合は、一束を9:1くらいに分けて、掛け終わったら上からポンポン。次は9:1を逆に(交互に)して、隙間なく詰めながら掛けることをひたすら繰り返します。
老若男女10人ほどで、3時間ほどかけてようやくひととおり掛け終わりました。かなりの重労働で、最後まで元気だったのは小さい子どもたち。
昔はこの地域の小学校では秋になると「稲刈り休み」があり、貴重な労働力となっていたようです。
「稲架掛け」を行ってしばらく放置することで、化学変化を促し、より美味しいお米になるとのこと(アミノ酸が増加するらしいです)。
後日、妻の親戚からは素晴らしいお届け物がありました。
今年は「令和の米騒動」も相まって、特にお米のありがたさを噛みしめることになりました。これらが自分の血肉になっていると思うと、農家の方々には本当に頭が上がりません。