読書感想「行かずに死ねるか!〜世界9万5000km自転車ひとり旅/石田ゆうすけ」
旅行記のジャンルで必ず「おすすめ」にあがる一冊。
自転車で世界一周。とてもクレイジーな響きだ。著者は頭がぶっ飛んでいるか、余程、体力に自信がある人物なのかと思いきや、そうではなかった。出発直前に持病のナッツクラッカー症候群が再発し、血尿が出る。道中で気管支炎やマラリアを患えば、当然、衰弱する。精神力の面でも、強盗に命を奪われかけたトラウマが頭にまとわりつく。自転車の真横を巨大トラックが通り過ぎることに恐怖を感じる。血の通った普通の人間だ。
国籍問わず多数のチャリダー(自転車旅をする人)との出会いが綴られているように、自転車で世界を旅することがそこまで珍しいことではない、というのはとても意外だった。著者自身もエピローグで「自転車世界一周という旅は、出発前こそ大冒険だと思っていたが、いざ始めてみるとその印象はしだいに消えていった」と回顧している。
好感が持てるのが、7年半におよぶ長い旅が、(文庫版では)たった5章・約300ページにまとめられている点だ。それだけエッセンスが凝縮されていて、無駄がない。寝る前にでも1日1章読めば5日間、一気読みでも半日程度で「旅を終える」ことができる。
世界一周旅行を検討している人にとっては、いざという時に役立ちそうな知識も多い。強盗に後ろ手で縛られる時は、意図的に手首を開き気味にすると後からほどきやすくなる。危険な場所で野営せざるを得ない時は、なるべく人目につかない岩陰などにテントを張る。ペルーの砂漠でヒッチハイクを試みるも、誰も止まってくれない時は、道の真ん中で両手を広げて「アルトォォ!!(止まれー!!)」と叫ぶと成功するらしい。
著者は旅の道中、様々な現地人の思いやりや温もりに触れる。例えば、トルコ東部で出会った若者・ネルディン。彼は著者を、勤め先のガソリンスタンドに泊めてくれる。暖房の効いたオフィスで寝るよう著者に勧めるが、そこはネルディンの寝床でもあるので著者は気をつかって断る。すると、ネルディンは著者の寝床である食堂に電気ストーブを持ってくる。ただ、そのストーブのコードの先にはプラグがない。ネルディンはコードの先をそのままコンセントに差し込むが、うまくいかず青い火花が散る。著者の制止を振り切り、手の痛みに耐えながら、何度も試みる...。
最終的には、その光景を見るのに耐えられなくなった著者がオフィスで寝ることを申し出てストーブ問題は解決するのだが、ネルディンがここまでして客人に尽くそうとするのはなぜだろう。ガソリンスタンドに泊まる前段では、このような記述もある。「イスラム教徒の、とくに田舎の人々は、ときどきこっちがドキッとするくらい、いい顔で笑う。慈愛に満ちたような、その笑顔を見ていると、宗教がいい形で人の心に作用しているな、と思う。イスラム教には客人をもてなすようにとの教えがあり、シリアでもトルコでもよく人の家に招かれ、泊めてもらっていたのだ」。
壮大な旅行記を読んでおいてこんな感想も変だが、イスラム教や、イスラム圏で暮らす人々について、もっと知りたくなった。