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アフリカ新卒一年目の振り返り

2023年3月14日。

1年前、この日からアフリカ生活がスタートした。

これからの未知すぎる生活にワクワクして、もちろん不安も抱えて、この地に足を踏み入れた日を、私は一生忘れないと思う。

1年間振り返るとあっという間で、気づいたらもう3月だったし、日本で就職してたら絶対こんなのないわ!的な経験を沢山してきたね。

期限付きの任務も、折り返し地点まで来てしまった。備忘録としてこの1年を振り返り、いつかの酒の肴にしようと思う。既にウイスキー片手にこのnote書いてるんだけどこんなこともあったなとゲラゲラ笑ってる🥃

備忘録1:ドキドキの初出勤

晴れ女なはずなのに、土砂降りだった勤務初日。

お土産で配った地元名物通りもんが好評でほっとしたのを覚えてる。
まだ夢見心地だった大使館での勤務。
私、今日からここで働くんだ、実感ない、、、を100回くらい繰り返す。

自分のデスクを紹介され、パソコン、公用携帯を受け取ると、
「社会人になっちゃった!!私、働いてるんだ!?」
社会人という大学生とは違う肩書きを手にしたことが嬉しかった。
後、直属の上司がめちゃくちゃ竹野内豊に似ていた。←

挨拶回りから一週間しかない引き継ぎ。覚えること多いし、時差ボケもあったのか仕事終わってすぐしんだように眠ってた。寝ても寝ても足りないくらい頭使った。とにかく最初の1ヶ月間は、引き継ぎ書と睨めっこしながら必死に仕事を覚えた。だって前任の方が今まで繋いできたものを、私に変わったからって理由で途切れさせたくなかったし、「前任の方が良かった」なんてセリフ絶対聞きたくなかった。(謎の強い意志)

初出勤10分前。記念にじどる。アホ毛やばい。


備忘録2:いきなり海外出張

ガーナに出張行ってくれない?

社会人1ヶ月目。こんなセリフをもう聞くとは思っていなかった。
しかも『総理大臣レベル』。緊張度高まる出張ランキング絶対1位。

先進国ならこの規模は普通らしいけど、アフリカに総理出張あるのは滅多にないからね。それで隣国から応援に駆り出されるんだけど、なんとひよっこ社会人一年生選ばれました。

テレビ上でしか見たことなかった外交の世界。
ニュースで総理同士が握手してるシーンとかあるじゃん。あの裏では何百人の人が動いていて、まじで分単位でスケジュール決まってた。

配車を担当する班に選ばれる。思い返せば、毎日知らない単語、目まぐるしく変更されるスケジュール。正直何も役に立ててない自分の無力さに会議室でずっと押しつぶされそうになっていた。(いや、ぺちゃんこだった)
支給される弁当のおかずなんだっけと考え、食べることだけが救い。

でも辛いことばかりじゃなかった。

色んなバックグラウンドを持つ外交官や普段関わることのないガーナのお偉い様方と話すことが本当に楽しかった。
特に同じ派遣員から外務省に入省した方がいて、仕事のやり方・考え方をたくさん伝授してもらった。
「いきなり完璧目指さなくていいからね」って私のセル打ち間違えで仕事増えたのに、優しく一緒に修正手伝ってくれたAさん。元気かな〜。


睡眠時間2時間で出勤したし、徹夜明けに食べるカップ麺の美味さを知った。
急遽、私一人に任された仕事(車を正しい位置に配置するようドライバーに指示するだけなんだけど)上司から「グッジョブ!ありがとう!」と言われた時、やっと役に立てたと嬉しくて涙出そうになったね。

そしてこの経験のお陰で、のちの私、派遣員後の目標ができるよ。

1番美味しかった唐揚げ・チャーハン弁当


備忘録3:現地職員から怒鳴られる

自分の仕事の流れを掴み始めた頃のこと。

ある許可証を空港警察に申請をする必要があった。
その申請書類を出してきて欲しいとドライバー(40代、男性)に頼んだら、その必要はないって断られた。
理由は「今までなくても大丈夫だったから」って。

確かに必要ないかもしれない。けどその許可証が無いために、入れなかったなんてあったら大変だ。(この国はころころと上の意見が変わるし、それが下まで伝わってないことだらけ。結局その場で対応した人次第で状況が変わる)

確実に入るために申請書類を出してきて欲しい私
VS
長年大使館で働いてきた俺の意見が正しいと主張するドライバー

まあ口喧嘩できるほどの語彙力を持ち合わせてなかったのもあったけど、ヒートアップしたドライバーに、永遠と、そして一方的に怒鳴られた。
(一応私あなたの上司だよ、、、)

後で分かったこと。
この国は日本より男尊女卑、年上の意見は絶対の文化。
20代の若い女から指示され、何にしても自分の意見が通らないことがムカついたんだろうな。

結局、私の手には追えなくて男性上司と3人で話し合い。
するとすんなり上司の話聞いて、申請書出しにいってた。

まずは、何に対して怒りを感じているのか確認する。
そして論理的に物事を説明する。(大抵は理解しないけど、、、)
それでもだめなら男性上司に相談すること。

考え方の違いや文化背景を知らないと、相手を理解できない。
違いは絶対あるもんだから。
違いを知った上で、お互いの妥協点を見つけていかないとね。

余談。現地職員との問題はまだまだある笑
頻繁に言われる「金貸して」

男:コピー用紙なくなったんだけど?
私:そこにあるから自分で入れてください。
男:それお前の仕事だろ?お前は仕事放棄している!!!!
私:!!!!????

負けない。笑

行き詰まったら海みてる


備忘録4:いきなり単独出張?In Paris

シャバの空気はうまい!

今度はパリに一人で出張が決まった。
シャルル・ドゴール空港に降り立った時、フランス人のフランス語ってなんて綺麗なんだろうってよく分からないけどなんか感激した。

少なくともアフリカのなまった?フランス語ではない。
しかも、歩ける。(これ割と重要)
あまり一人でウロチョロするの推奨されてない国からしたら、気軽に歩けて、疲れたらカフェで休憩して、、、、ができることって本当に夢みたい。

仕事終わりの美術館。
日本食街で食べる新鮮な海鮮丼。
マツパに美容院。まつ毛が上がると気分も上がる。
行列の絶えない人気店のクロワッサンとカフェオレで始まる朝。

パリってなんであんなに財布の紐がゆるくなる街なの?
(のちのクレカ請求額はそっと見ないふりをした)

パリの空気を、食を、街並みを存分に味わう


備忘録5:車から火出たんだけど

コートジボワール旅行に行く1日前のこと。

夏休み1日目でもあった。
明日から一週間いないし、ガソリン入れるついでに洗車でもするか〜
午後3時。私は近くのガソスタで前の車が洗車終わるのを待っていた。

その日はとても暑かった。
洗車すぐ終わるだろうと見越して買った冷凍食品。
すでに助手席の上で溶け始めてたね。

これはやばいと冷房付けてのんびり待っていた。

なぜかガソスタのおじちゃんが不安そうにこちらを見ている。
そしてすぐに目の前が真っ白になった。理解不能。
これ何が起きてるの?

おっちゃんが「エンジン切って!!!!!」と叫ぶ。
窓開けると焦げ臭い匂い。

ああ、何か燃えてるんだと気づいたときはもう遅かった。
前を開けると火が出ていた。

気が動転して、どう消したのか、消されたのか覚えていない。
多分誰かがタオルでバシバシ叩いて消したんだろう。
とにかくmécanicienに電話して、ガラージュに持っていけってみんな言う。

そんな知り合いいないし、そもそもこれ運転できるの?
ずっとガソスタには置いておけないし。
申し訳なさ100%で大使館の同僚に電話した。

幸い大使館近くのガソスタで、すぐに駆けつけてくれた。
たまたまその日、ある訓練やってて、「邦人被害発生!!」と訓練をリアルにしてしまった笑

ぎりぎりまだ運転できる状態だったみたいで、同僚が運んでくれた。
自分のせいじゃないけど、やっぱりメンタルにくるもんで。
ほぼ半泣きで大使館行ったら、みんなから慰められた。
怖かったねとハグしてもらったとき、もっと泣いた。

原因はエアコン関係のヒモ?の劣化。
そもそも20年もののヤリスだったし、買い直す方がいいよとなった。
これを機に、この地で新しく車を買うことを決意。

この車を売って(日本では無理だけど、ここではまだ売れる)
中古車を買う。早く車を手放したい一心で、車探しに明け暮れた。
後、買い手探しも。

運がいいことにいい感じの2019年式のヤリスがすぐ見つかった。約130万。
人生で一番大きな買い物をしてしまった。。。
火が出た車も買い取ってくれる相手みつけたんだけど、色々税金関係の手続きがあってさ、、、、
ここの税関が仕事が遅く、まだ売れてないしお金は受け取れていない
(2024年5月現在)すでに半年は手続き始めて経過しとるんやけど。

さて私はいつお金を受け取れるのか?この車を手放せるのか?

黒いヒモが燃えてた、正直しぬかと思った

5月13日
追伸 4月頭に新たに買ったヤリスで事故る。それは来年の振り返りで。

備忘録6:一生忘れない週末

通称:亀ロッジ🐢

とある7月の週末。リゾート地(一応)にプチ旅行。
大使館、家、スーパーくらいしかなかった行動範囲が一気に広がった。

ボートで1時間くらいゆられてたら、対岸に到着。

ウエルカムドリンクに綺麗なお部屋。

亀の形がしたプールがあって、近くにバーもある。
泳ぎまくって疲れた体に、搾りたてマンゴージュースがしみる。

トランポリンに卓球台、ゆらゆらハンモック。
下手くそなりにそこにあった遊具は全て遊び尽くしたと思う。

別にここに来たからってサファリツアーとか特別なことはしなかった。
しなくても十分、ただ誰もいない海辺をぶらぶらと歩くだけで幸せだった。
この幸せな時間がずっと続けばいいのにって100回は思った。

家の近くにも海はあるけど、いつも誰かしらいるし、アフリカンパリピがいるから正直あんまり好きじゃない。私は静かで波の音しか聞こえない海が好きだ。別にめちゃくちゃ綺麗な海でもないけど、この海辺を歩いた記憶がなかなか忘れられない。

ドクがデロリアン開発してくれたらいいのに。
そしたら記憶消してまたあの週末を過ごせるのに。


今までで1番美味しかったマンゴージュース☀️🏖️👱‍♀️



備忘録7:そんでクーデター起きた


銃声で起きる朝。

今までテレビでアナウンサーが言ってるのを聞いたことしかなかった単語。
まさか自分が住んでいる国で起こるとはな〜

幸いにも退避とかそこまでみんなが想像しているレベルではなかった。
他の国では住んでる隣の部屋にロケラン飛ばされていたから←

ただネットが遮断されたのが大きかった。いかに普段自分がネットありきの生活を送っているのかを強く痛感した。5日くらい世の中と遮断されていたんじゃないかな。
そんな中で村上春樹の「IQ84」を読み始めて、青豆と天吾の世界を堪能していた。生と死と純愛と。私が好きなジャンルの小説だった。

持ってきていたのに触れてもいないスイッチのあつ森を始めるいい機会でもあった。魚釣りしか出来なかったのに、マリンスーツ着て素潜りできる機能を発見した時は、小学生みたいにはしゃいでしまった。

レシピ検索出来ないけど、自己流でちょっと凝った料理にも挑戦した。

非日常の日々だったけど、メンタル的に支えてくれた人のおかげもあって何とか乗り切れた。助けてくれてありがとう。

謎にクーデター起きてからアボカド育て始めた。結局根は出なかった。



備忘録8:日本一次帰国

日本に旅行に来ている日本人。

アフリカ生活してると、いかに日本が恵まれているのかが分かる。

停電なし、夜12時過ぎても歩いて帰れる(女性でも)、シャワーの水圧最高、お湯に浸かれる、Wi-Fiの速度速い、もはやコンビニはうちの冷蔵庫、日本酒飲める、電車乗れる(当地はよく脱線事故ってるから)、基本的に愛想悪い店員いない、道歩いていても臭くない、乞食に職ないか食べ物ないか頼まれない、トイレ無料で綺麗、、

書いてたらキリがないけど、それなりの生活が普通にできる。
気持ちは外国人で日本に旅行しているみたいだった。10ヶ月のアフリカ生活で不便を沢山味わったからこそ感じる日本の豊かさ。

社会人生活頑張ってるよと神様、推しのライブ前から2列目良席プレゼントを頂いてしまった。でも何よりずっと応援してくれてる友達や家族と会えたことが幸せだった。

次はいつ福岡に帰れるかな。どうせ一年後には日本にいるんだけど、今は全部恋しい。



もつ鍋からの〆のラーメンを食べるために生きている
お世話になってるカップルに話聞いてもらって、泣きながらたべた


備忘録9:病んだ!鬱!


とにかく泣いてた。(泣き虫すぎてごめん)

ベルギー留学中も日本に帰りたいと泣いたのは1回しかなかったのに、ここにきてほぼ毎日ベットで泣いてた。

それなりに普通に接していた人から裏切り。裏切られたっていうよりか、私がその人をいい人だと、信じすぎていたんだと思う。

聞こえる距離感でグサグサ心を突き刺す言葉を投げられた。
逃げ場がなくて、今考えたらあちらが悪いんだけど、全部自分が悪いんだ、悪口言われる私がダメなやつなんだと自己肯定感ブラックホールに落ちていた。出勤前も涙が止まらない、職場に着いたのに車から出れなく、勤務開始1分前からしか動けなかった。

でもストーリーのコメントでブラックホールから救い出してくれた人ありがとう。
『みんな仲良く』って大人になるにつれて難しいし、合わない人がいる方が普通だよね。

ひろゆきが言ってた。
会社って金を稼ぐために集まったしょうもない人たちの集まり、そんなに思い入れを強くしなくていい。

優しい子に育ってと地元新聞ホープちゃんに載った母のコメント。
24歳になった今、優しい子に育ったか分からないけど、別に私のこと嫌いなら、私も嫌いでいいよね?嫌いと思う感情が勿体無い。心は常に好きの感情で埋め尽くしていたい。


友達のライクハック;嫌いな上司にバレないように中指


備忘録10:出会いっていつも突然

この1年で更に出会いが広がった。

私はいつも行動力を胸に生きてる。
特にこの国は自分から働きかけないと、何も生まれない。

家と大使館の往復だけじゃつまらない、外部の友達欲しいって思った数分後、当地のFacebookコミュニティに『友達募集!フランス語勉強してます!』って呟いてた。
そしたらまさかのここまで気合う?ってくらいのフランス人の友達ができた。

旅行一緒にどう?ってお誘い、行きたいと思ったらスピードが大切、んで即決。
すぐ飛行機調べてた。結果、旅行先で素敵な出会いがまたあった。

タクシー来ないねってたまたま近くでお互いタクシー拾おうとしてた女子。
思い切って話しかけてみたら、イケイケ大学生でこの地の情報沢山教えてくれた。

この1年で悲しいお別れも沢山あったけど、その分新たな出会いがあると信じてる。

だから、私、油断してスッピンで買い物行くな。
そんな日に限ってめちゃ知り合いに会う。


仲良くなった仏友とサファリ。運よく🐘



終わりに


ニーバーの祈り


なんとなく画面をスクロールしてた指が止まった。

神よ、変えられるものについてはそれに立ち向かう勇気を、
変えることのできないものについてはそれを受け入れる落ち着きを、
そして両者を見極めるための賢さを、私に与えたまえ。

どこに住んでたって言えることだと思うけど、今の私に必要なもの。
あーあって思う時はスクショしたこの文字を眺める。
残り一年のアフリカ生活。上手くいくことの方が珍しいかもしれないし、またずっと泣いてるかもしれない。

でも負けない、この地で働くって決めたのは自分だから。


まとまりない文章でごめん。後少し、次の目標に向かって頑張るね。
目指せ、外務省。

加工なしだよ、1番好きな海の写真。

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