5ヶ月前の私へ
この場所に着いてもうすぐ1ヶ月が経つ。
そう、と言うことは無事に派遣員に合格したんだよ。改めておめでとう自分!!!
2022年7月にベルギー留学が終わって、今後の進路を決める時、
頑張って大学で学んだ事を生かせる、言語を武器にした仕事がしたいなって思った。
お世話になったゼミの先生から教えてもらった、2年間だけ語学を使って海外の大使館で働く〔在外公館派遣員〕の仕事。
これしかないなって思ったし、何となく私受かるやろって思ってたね。今思うとすごい自信やん。でも何とかなると信じたから、何とかこうしてアフリカにある、受かるまで名前も存在も知らなかった国だけど、フランス語を使って新社会人生活が出来てるよ。
派遣員の試験。
10月末に一次試験。12月6日に面接。結果発表の12月20日。
この約2ヶ月間が人生で1番きつくてしんどかった。
謎の受かる自信はあったけど、落ちたら怖くて一応就活もやったね。
IT、インテリア、不動産、知的商材、、、、
エントリーシートと睨めっこし、エージェントの人と何回も電話して、面接対策
世の中の就活生、マジですごいよ。私はたった2ヶ月しかやってないけど、自分と向き合い、評価されるこの期間を半年くらいやる気力は私には無かった。
そんな中一次試験の結果発表。
パソコン上に表示された「一次試験 合格」 の文字を見た瞬間はもう飛び跳ねたね。
正直筆記試験はボロボロだったと思うけど、まあ神様ありがとうってことで。
でもまたすぐにどん底につき落とされるね。
派遣員の面接は圧迫面接って色んな人から聞いていた。
しかも就活中の大本命であるこの派遣員の面接がトップバッター。
普通滑り止め2、3社受けてやるもんなのに、いきなり大ボス来ちゃった。
キャリアセンターで怖いお姉さんに詰められて、質問深掘りされて
必死に志望動機暗記しようとしても、5秒で忘れて。
この頃から毎日夜は不安で押しつぶされながら寝て、ああどうしようと悩み事から始まる朝を迎えていた。ずっと前を向けなくて、帰り道下向きながら泣いた日もあった。
しかも、大好きだった彼氏に振られた。
面接まで残り一週間。初めて食事が喉を通らない感覚を味わったし、泣いたとて面接は迫ってた。東京で面接終わり会えるの楽しみだったのになあ。
今この文章を書いてると思い出す。
あの頃の私は本当に鬱レベルで暗かった笑
色んな思いが重なって人生で本当に1番辛かったけど、
面接対策って言って忙しいのに電話してくれた、
失恋や私の話ただただ聞いて聞いてくれた友達や先輩に支えられたね。
そんなどん底で受けた面接も予想通り圧迫だった。
「英語話せるん?ほら、一分間で自己紹介してみてよ。」
「バックパックしてたらしいけど、これは仕事で行くんだからね?
遊びじゃないのわかってる?」
でもなぜかここでまた謎の自信が復活してて、(面接の20分間だけ)
ここで私落としたら後悔しますよ?こんなアフリカ行きたい人材いないよ?
って感じで堂々話したね
合格の電話が来る日もあっさりしてて、貸切サウナに行く途中の車で電話かかってきた
ほらね!!!!!!!!!!何とかなるわ!!!!!!!!!って
屋根の上で整いながら海見たね
年が過ぎてバタバタしながら渡航準備することになるよ。
なんか恒例のパッキング終わらないやつも経験するし、結局重量オーバーで3万空港で払う。
でも大切な友達や先輩と会って、美味しいもの食べて、ゲームして、近況語り合って、
2月後半から出発まで、人生で1番楽しくて幸せな日々を過ごせるよ。
日本離れたくないなって正直思ったし、バイバイしたくなかった人もできるよ。
これを読んでくれている人の中にいたら嬉しいんだけど、
忙しい中ご飯連れていってくれたり、遊んでくれた各位
心からありがとう!!
出発当日に食べた寿司の味は二度と忘れることはないし、
羽田空港で最後に飲んだ梅酒は今でも想い出せる。
そして今。
初めの一週間は時差ボケと仕事覚えることがあり過ぎて
帰宅後即爆睡かますけど、優しい上司や館員さんに支えられて毎日楽しく社会人やれてるよ。先輩達と仲良くなって、唐揚げパーティー企画してるくらいね。
そう、だから5ヶ月前の私へ。
試験勉強が辛くて、面接対策で頭抱えて、おまけに彼氏に振られて、今が1番辛い時だと思うけど
全部全部上手くいったし、すごく今充実した生活送れてるよ。
朝はちゃんと空気吸えるし、泣きながら歩いてない。
大丈夫。苦しい出来事をちゃんと受け止めて、
前向いて歩いてね。何とかなるし、何とかしてみせるから。
明日は、今日揚げ物にチャレンジして盛大に汚したコンロ掃除から始まる1日ですが、
まあ何とかなるよ。