諏訪考 諏訪湖上のクロスライン。
諏訪信仰では、四隅の結界と、十字の印の切り結びが重要な意味を持っているようだ。御柱は、四隅に建てられるし、守矢の神長は、十字印を切るという。神長官守矢家の家紋が、丸の中に、左に撥ねのある十字紋というところも、大事な要素なのかもしれない。糸魚川静岡構造線と中央構造線の描く十字を象徴しているものであろうか、十字に分かたれる四つのプレートの抑えが御柱ということになるのだろうか。
諏訪湖の御神渡りについても、分厚く結氷したであろう古代には、その完成形は、十字形だったのではなかったか。そうであってくれれば面白いという希望的観測ではあるのだが、そのように思わせてくれる社の配置が、この諏訪という土地には存在するのだ。
冬季に全面結氷した諏訪湖の湖面を、切り裂くように南北に走る御神渡りのライン。それとは方向をたがえて、佐久之御渡りはやや東西方向にラインを延ばす。上社から下社へと走る南北方向の御神渡りと、現代ではあまり見られなくなったという東西方向に走る、佐久之神渡り。そもそも、最初に、諏訪湖上を十字に走る氷の亀裂があったがために、その亀裂の先に、上社・下社を配置したのだとは考えられないものだろうか。上社・下社と同じように、佐久之御渡りと呼びならわされるようになった東西方向にも、上社・下社に対応するような祭祀の場所が用意されている。
あまり有名ではないけれども、諏訪湖畔の東西には、先宮神社と小坂鎮守神社というふたつの神社が、向かい合うように存在する。東側の上諏訪方面、先宮神社が祀っている祭神は高照姫、西側の岡谷方面、小坂鎮守神社が祀っている祭神は下照姫だ。高照姫・下照姫ともに、大国主命の娘であり、そうであってみれば、ともに建御名方神の姉妹の神であるということになる。
翻って、上社に祀られている祭神は、ご存知の通り建御名方神であり、下社に祀られている祭神は、その妻・八坂刀売神ということになっている。何をいまさらと思えるほどの、有名すぎる祭神であるが、ただし、下社の御由緒書きにはひとひねりあって、八坂刀売神とともに、建御名方神の兄である事代主神が祀られていると、なんともさらりと書かれている。
わたしとしては、「うん?」となるポイントである。
軽い違和感があるのである。
個人的に、神社を訪れたときに抱く、ほんの些細な違和感というものは、神社を考えるうえで、とても重要なポイントだと思っている。概して、整合性のとれているものに対しては、違和感というものは抱かないものだ。
建御名方神にとってみれば、自分の妻と、自分の兄が一緒に祀られているということであり、八坂刀売神にとってみれば、夫から引き離されて、なぜか義理の兄と一緒に祀られているということになる。神さまのことであるから、人間と同じように考えるのは、下世話なことなのかもしれないが、どうにも不自然な気持ちは拭い去れない。見慣れてくると、そのうちに流すようになってしまう、些細な違和感であるけれども、最近、なんとなく解きほぐせてきたように感じている。
そもそも、建御名方神の入諏以降、先に祀られていた祭神は、事代主神の方であり、上社と下社は、兄弟神での南北ラインを構成していたのではなかろうか。お船にまつわる神事も、事代主神由来のものと考えることも出来そうである。そして、あとになってから、下社には、やはり女神としての神格がないと「整合性」がとれなくなり、八坂刀売神を合わせて祀ったのではないかと考える。それも、姉妹の神では具合の悪い理由があって、建御名方神の妻としての八坂刀売神をもってきたのであるかもしれない。
そちらの「整合性」については、いずれまた語る機会もあるだろう。
かくして、建御名方神と八坂刀売神の夫婦神によって置き換えられて、諏訪湖上の南北の御神渡りのラインは現代にまで受け継がれた。糸魚川静岡構造線と中央構造線の交わっているところに生まれた諏訪湖畔では、断層のずれによってもたらされた過去の大災害の記憶が、幾千年も民族の記憶として語り継がれていたであろうか。諏訪湖に走る十字の氷の裂け目が大地に到達することのないように、これ以上、大地が裂けることのないように、四方に抑えの神を祀ったとすれば、腑に落ちる。
上社の建御名方神と、下社の事代主神の、兄弟としての南北のライン。
そして、先宮神社の高照姫と、小坂鎮守神社の下照姫の、姉妹としての東西のライン。
諏訪湖上に、大国主命の御子神たちの、兄弟姉妹の十字形が浮かび上がる。